かつてシャープは、サムスンの半導体事業の技術支援をしていた。なぜ競合相手を利するような行為に及んでいたのか。元TDK米国子会社副社長の桂幹さんは「シャープには『技術情報を漏らさなければ韓国の一企業に負けるわけがない』という慢心があった」という――。

■技術開発力に定評があったシャープ

 電機業界で慢心による弊害が起こっていたのは、もちろん記録メディア事業だけではなかった。記録メディア以外の事例も見てみよう。

 親が勤める会社に対しては、子供心にも自然と親近感が湧くものだ。何より家の中の家電品はすべてシャープブランドだったし、父の労働の対価とはいえ、日々の食費や学費の出所でもあったのだから当然だろう。成人し、直接の関係はなくなっても、私にとって同社は特別な存在だった。

 シャープは技術開発力に定評がある会社だ。創業者である早川徳次氏の、「他社が真似する製品をどんどん開発していこうじゃないか」という考え方が影響したのかもしれない。実際に、国産初のテレビの発売や、世界で初めてのオールトランジスタ電卓の開発という成果を上げている。そのDNAは受け継がれ、1990年代に入ってもビデオカメラに大きな液晶画面を付けたビューカムや、携帯情報端末の先鞭をつけたザウルスなど、ユニークな製品を発売し続けた。

■シャープはサムスンにとって「半導体の家庭教師」だった

 そんなシャープは、韓国の新聞で「サムスン半導体の家庭教師」と呼ばれることがある。

 世界第2位の半導体メーカーが、かつてはシャープの教えを乞うていたのだ。1983年に半導体事業への本格的な参入を宣言したサムスンは、スタートラインに立つためにマイクロンやシャープの技術指導を受けた。実際にシャープは4ビットマイコンの技術をサムスンに売っている。これは当時でも陳腐な技術で、機密性や先進性に問題はないと判断されたためだった。

■シャープは途上国への技術支援に積極的だった

 この競合相手に利するような行為の裏には、創業者の時代から発展途上国企業への技術支援に熱心だったシャープの企業文化や、良好な日韓関係を背景に、韓国への経済支援を推奨した中曽根政権の方針もあった。80年代の日本は、アジアの最先進国として周辺国の発展を支援する責務を自覚していたのだ。

 ただ、結果論にはなるが、このシャープの技術支援がサムスンの半導体事業の急成長を助けたのは否めない。

 この頃、私の父はシャープで海外事業の責任者をしており、4ビットマイコンの売却を行う担当部門をサポートするよう命じられたそうだ。そんな父に、シャープは当時サムスンをどのように評価していたのか聞いたことがある。

 「いや、サムスンがここまで強なるとは、当時は誰も想像できんかったよ」

 年老いた父は、そう答えると苦笑いを浮かべた。シャープからすれば、ヨチヨチ歩きの子熊を助けたらモンスターに成長し、すべてを食い荒らされたようなものだ。今となっては自嘲ぎみに笑うしかなかったのだろう。当時のシャープに自社の半導体事業への慢心があったとは思えない。日本企業の中では後発で、慢心するほど強くはなかったはずだ。とはいえ、サムスンを見くびっていたのは否定できないだろう。

以下全文はソース先で

■半導体の失敗から学んだ「ブラックボックス戦略」
■「絶対に追い付けない」という慢心
■慢心に染まった組織の末路

PRESIDENT Online 2023/03/27 13:00
https://president.jp/articles/-/67527