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もうお人よし日本は終わりにしましょう

■NHKスペシャル 「日本の群像、再起への20年」より
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/5108dcd64e4873179846bf9a9b5a02c2

東芝で、耳を疑う噂が囁かれ始めたのは、絶頂期の80年代後半でした。
週末に、一部の技術者が海外のメーカーに行き、技術を教えているというのです。

向かう先は、韓国でした。

日本と同じく資源の乏しい韓国は、国を挙げてハイテク産業の育成に力を入れていました。
財閥系の企業を筆頭に、電気メーカーが相次いでDRAMの事業に参入。
わずか数年で生産を軌道に乗せることができた背景には、日本からの技術流出があるという噂でした。

86年。今度は、事業本部長の川西さんに韓国から接触があります。
東芝の国際担当の専務を通して、「一度ソウルに来て欲しい」という要請が入ったのです。
川西さんの韓国訪問を強く求めていたのはサムスン電子でした。
日本を追いかけ、DRAMの技術力を急速に高めていた韓国の大手半導体メーカーでした。
ソウルに降り立った川西さんを待っていたのは、目を疑うようなVIP待遇でした。

川西剛さん
 「半導体工場を作ってますから見て下さいって。僕もこれちょっとあんまり見たくなかったんですが、
見るとまたこっちの工場を見せなきゃいけないかなと思ったもんですから。
でも、まぁ断るのも大人気ないしってんで、見ました。
案の定ですね、その後、大分工場を見せろっていうことになりまして、大分工場はもうしょうがないですから
答礼としてお見せしました」

ソウルに招かれ建設中の工場を見た見返りに、東芝は大分工場の見学を許可します。
当時最新鋭だった大分工場には、装置の配置方法など、様々な企業秘密が詰まっていました。
その後、サムスンは、工場の生産ラインを統括する東芝の製造部長をスカウト。
大分工場と同じ造りの製造工場を建設していきました。