全国で唯一、被差別部落の人を中心に編成された熊本県の来民(くたみ)開拓団に関する本を昨年出版した日系4世のジャーナリスト、エィミー・ツジモトさん(京都市)による講演会は22日、阿智村の満蒙(まんもう)開拓平和記念館で開いた。同開拓団は敗戦直後、旧満州(中国東北部)で多数の現地民に囲まれ、1人を除いて全員自決した。ツジモトさんは、天皇制と皇民化教育が多くの人に自決を強いた―と訴えた。

 同開拓団は被差別部落を対象にした満州移民の模範例作りのため、国が進めた。「満州に渡る条件として一切差別をなくす―という国の方針があった」とツジモトさん。差別から逃れたい―と願った人たちが新天地に希望を求め、1941(昭和16)年から入植が始まった。

 敗戦後、女性や子どもを中心に276人が現地民に襲撃された。成人男性の多くは敗戦前に動員され不在だった。45年8月17日、団長の指示の下、悲劇を本国に伝える役割を託された男性1人を除き、全員が青酸カリや刃物で自決。約半数は5歳以下だった。ツジモトさんは「日本に帰り再び子を差別にさらすわけにはいかない―という状況に追い込まれた」と指摘した。

 46年9月、惨劇を伝えようと生きて帰った男性が地元に報告。男性は開拓団が現地で家や畑を奪って入植したことを晩年まで悔やんだという。満蒙開拓平和記念館の三沢亜紀事務局長は「農村の貧困解消を目的に満州移民が進められたように、差別を受けた人もまた国策で選択を迫られ犠牲になった」と話した。

ほんとジャップの棄民政策すごいね
ネトウヨも樺太あたりに捨てたいね