朝鮮人の暴動・一例

横浜における目撃者の談話より
「交通機関の全滅は元より徒歩さへ危険極まりない。
況んや不逞の鮮人約二千は腕を組んで市中を横行し、
掠奪したり、婦女子二三十人を拉し来たり
随所にて婦女暴行し非人道の所行を白昼に行ふてゐる。

これに対する官憲の警備は東京市と異り、
軍隊の出動もないので行届かざること甚だしく、
遂には監獄囚人全部を開放し看守の指揮によりて
対抗させたので大戦闘となり、
双方に犠牲者が出た」

(石鹸会社専務談「河北新報」大正12年9月)