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【AIIB】リベラル派が唱える「バスに乗り遅れるな」論は、軍国主義時代に新聞が「日本も大東亜共栄圏を」 と唱えた時と同じ
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1428126025/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BD%93%E5%88%B6%E9%81%8B%E5%8B%95
新体制運動を主導した近衛文麿が、雑誌『日本及日本人』で「英米本位の平和主義を排す」と題する論文を発表するなどして、私有財産制を否定するマルクス主義に触れた大正期から昭和初期にかけては、これらの思想は学者・研究者、ジャーナリストや文学者などが主導したが、まもなく農村出身の苦学の若年層たちを通して、彼らの実家である農村の貧困層や無教養層にも広まった。

1933年(昭和8年)の日本共産党幹部らによる転向宣言後は、軍部(主に陸軍)や警察にも大きな影響を与えた。

1937年(昭和12年)に首相に就任した近衛(第1次近衛内閣)は、これを世界的潮流と認識し、「やがて世界は『ソ連』、『ドイツ・イタリア』、『アメリカ・イギリス』、『日本』の四大勢力により分割支配されるだろう」と予想した。そのため日本では、時流に取り残されることを恐れ、また新体制に諸問題の解決を期待する運動が高まり、「バスに乗り遅れるな」というスローガンが広く使用されるようになった。このことが日独伊三国同盟への道を急速に開き、1940年(昭和15年)9月27日、ドイツの首都ベルリンにおいて条約が正式に調印された[3]。

この思想が広まった国々(主にソ連、ドイツ、イタリア、日本など)では共産主義とファシズムが台頭し、三国同盟締結後の翌1941年(昭和16年)の日米開戦(太平洋戦争・大東亜戦争)、連合国対枢軸国による第二次世界大戦の拡大への伏線となった。