1897年以降、ロシアの影響力が顕著になると、独立協会は反露闘争を展開、国王の高宗は王宮に戻り、大韓帝国の独立を宣言した。
これによりロシアの勢力は朝鮮半島から後退したが、独立協会の主張は次第に守旧派官僚との対立を招き、最終的に高宗の勅令により独立協会は解散させられた。
ロシアの勢力が朝鮮半島から後退したことによって再び日本の勢力が増大し、大韓帝国の経済的支配を進めた。
ロシアと日本は朝鮮半島や満州の利権を巡り対立を深めた。