◆中国に稲作を齎したのは日本人

日本人のルーツは中東からやってきた民族であり
その途中で、チベットに居住して大きなグループとなったのが
現在のチベット族である。

そこから分かれ、中国に稲作をもたらしたのが倭人である。

倭人はチベットから雲南地方に流入し
後に黄河文明と比肩される長江文明を生み育てた。
彼らは川を下り、長江の上流域の貴州、
四川一帯に領土を広げた。

『史記』の中に記述されている夜郎、且蘭、昆明、蜀、巴などなどの国は、
いずれも倭人によって建てられた可能性があると
中国の最高行政機関・国務院の発展研究センターの
歴史学者・張雲方氏が述べ、
「人民中国」2008年10月5日号に掲載している。

一部の倭人は北上し、山東半島に到達し、
ここで徐、淮、呂、奄、莱などの小国を建国した。、
漢代にはこれらの国々は異民族であるとして「東夷」と呼ばれた。
もっと前に北上したグループは朝鮮半島や日本に渡ったようだ。

だから「昔わが国の領土だった場所は全て中国領」という中国式理論で言えば
中国領土のいくつかも日本の領土という事になる。