朝鮮半島の儒教において、正しい政治というのは、まさに教育であり、徳の高い人は、
そうでない人の心や行動を正しい方向に変えることができる。それが感化であり、教化です。
この考えはいまでも残っていて、対日外交はいうまでもなく、国内でも、日常的に現れています。
私的な関係の親密さを意味する「情」というものも、
ほとんどは徳、言い換えれば上下関係としての側面を持っています。本ブログでよく取り上げる黄金シチュエーションですが、
知り合いに「貸したお金を返してほしい」と言ったとき。ほぼ間違いなく相手の口から聞こえてくる定番セリフ、
「私たちの関係はこの程度だったのか」、「あなたは、私に『こんなことをしてはいけません』」。
そこにも、徳(もどき)な考え方があります。
いままで大事な関係を築き導いてきた、徳の高い私ではないか。その関係をこわそうとするのは、お金より大事な人倫の領域である、と。