中国に駐在する垂秀夫(たるみ・ひでお)日本大使が4日、約3年の任期を終え、日本に帰任を前に記者会見を開いた。
在任中に力を入れた業務の1つとして「邦人保護」を挙げ、こう強調した。

「私は普段から同僚に対して、『政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官である』と。
そう何度も言って常に意識改革をしてきた」

このセリフを聞いて、筆者は12年前のことを思い出した。

北京特派員をしていた2011年1月、中国内陸部の四川省成都市郊外の一角で、
中国が開発していたステルス戦闘機「殲(せん)20」の試作品を撮影した。
レーダーに探知されにくい次世代ステルス機で、各国メディアが注目していた。
その姿を世界に先駆けてカメラに収め、スクープすることに成功した。写真と記事を本社に送った後、
地元当局に拘束され、近くの警察施設に移送された。

事前に現地は中国が定める「軍事管理区」ではなかったことを確認しており、筆者以外にも地元の人々がカメラを構えていた。
当時はまだ、「反スパイ法」もなかった。にもかかわらず、「スパイ容疑」をかけられ、2人の取調官から尋問を受けた。

日本や米国政府などとの関係を執拗(しつよう)に尋ねられたが、「撮影は報道目的であり、違法行為をしていない」ことを反論し、
拘束から9時間過ぎたところで釈放された。

空路で北京に戻って、筆者に面会に来た日本大使館員が発した第一声が忘れられない。

「ステルス戦闘機のスクープはすごかったですね。どうやって端緒を得たのですか?」

長時間の取り調べによる極度の緊張状態の糸が吹っ切れたような感じがした。
当然、筆者の体調や精神状況を尋ねられると思ったのに、そのような質問は最後までなかった。

この時から感じているのが、外務省の「邦人保護」に対する意識の低さだ。
筆者はこれまで中国で拘束された後に帰国した邦人にインタビューをしてきたが、ほぼ全員が領事面会をした日本の大使館員や
領事館員の対応に不信感と不満を抱いていた。垂大使の冒頭の発言は、こうした意識のことを指しているのだろう。

垂氏は11月28日、中国当局に反スパイ容疑で拘束されているアステラス製薬の日本人男性社員と領事面会をした。
その理由について「任期中に助けることができなかったことの、おわびを伝える必要があると感じた」と語った。

大使が直接面会した意義は大きいといえる。ただ、もう少し早くアクションを起こせなかったのか、と思わざるを得ない。

これまでの邦人拘束のケースを振り返ると、釈放されるのは「居住監視」といわれる期間中だけだからだ。
この社員は10月中旬には、正式に逮捕の手続きに入っており、救出は絶望的となっている。

拘束された邦人を救出するのは簡単ではない。だが、すでに中国で拘束された邦人は17人に上る。
どこかで歯止めを効かせないと、犠牲者は増えるばかりだ。
それを食い止めるためにも、外務省を含めた日本政府は「邦人保護」を最重要政策に据え、抜本的な対策を練ることが求められる。
■峯村健司

2023.12/9 10:00
https://www.zakzak.co.jp/article/20231209-Z53PCJOTRVOMDEAPD55IOCDDB4/