>>573
に書いた事、及び

>>540に書いた
>ベートーヴェンは精神に訴える音楽である。耳が酔うことはない。(無理を承知で1曲に絞れば)「朝比奈隆&大フィルの交響曲エロイカ2楽章(VDC-5528)」をその代表として、私は採る。

他方、モーツアルトは私の場合、(これも誤解を承知で言えば)ハーモニーに耳が酔う音楽であり、
ベートーヴェンの音楽がうったえる精神の、「さらに内奥にある、本能とは別の、自意識を超えた何かしら深いもの」に触れる、とでも言い様がない。

ベートーヴェンとモーツァルトに関する私の意見は、この数十年間、上記で変わらぬ。

そんな按配だから、その日に「何が聴きたいか」で「その日の心の在処」が、私の場合分かるという仕儀と相成る。

日々仕事に出向くとき、無意識に口ずさんでいる事が多いのが、(1)モーツァルトK.551 2楽章 (2)モーツァルトK.550 2楽章 (3)モーツァルトK.595 2楽章であることがやたらと多い。

他方帰宅時は「ベートーヴェン交響曲3番エロイカ1楽章」、「ブルックナー交響曲7番1楽章」、そして「モーツァルトK466 2楽章」が多い。
これは恐らく、出社時はまだ、日常を越えたある処に心が在る事を、退社時には生活者としての充実感がまず在り、「いやいやこんな充実感に長居は無用」とばかりにブルックナーの音楽が舞い降りてくる。
どうやらそんな按配らしい。

私がストラド(ドルフィン/デュランティ)の音やチャイコフスキーのピアノ協奏曲(アリス・紗良・オット盤があれば他は要らない)に手が伸びるのは、音楽よりも音を聴きたいと感じている時だと決まっている。この場合のアンプは「WE300B88」。
弦に限れば、至近距離でしか堪能出来ない「弦と弓が擦れる摩擦音、f字の隙間から響き渡るヴァイオリンの胴鳴り音」、この2つの音ばかりはモニターGoldの独壇場である。
モニターGoldは楽器の音で鳴るが、その他のスピーカーシステムはスピーカーの音で鳴る。