>>692
あなたの妄想に付き合いたいところだが、徒労に終わりそうなので止めておきましょう。

前に、「モーツァルトは恐ろしい音楽でもある」と書いた。
そこの処を今少し掘り下げてみたい。

ベートーヴェンの音楽は、心身ともに充実している時は、交響曲3番エロイカや交響曲7番辺りが、まるで此方の心の映し鏡の如く朗々と鳴るし、反対に凹んでいる時はヴァイオリン協奏曲2楽章がそっと寄り添ってくれる。
私に取って、ベートーヴェンはそんな音楽であり、耳を酔わせることは無いが、人生の辛苦を乗り越えてきた精神が書いた音楽とでも呼べば、あながち間違ってはいまい。

他方モーツァルトとなると事情はだいぶ異なる。
まず心身ともに充実している事が絶対条件であり、それだけでは足りぬ。
私も生身の人間であるから、気分の浮き沈みは当然ある。
沈んでいる時、私は、「モーツァルト特有の凶暴な美」と呼んでいるのだが、、この凶暴さに太刀打ち出来ないのだ。耳が酔うなんざ到底出来ぬ。

凶暴な美からは最も遠い音楽とも思えるクラリネット協奏曲2楽章でさえ、私の場合、相当の覚悟が無ければ聴こうとは思えぬ。

今日は心身ともに充実しており、気分も浮き浮き、まさに「ピアノ協奏曲22番」か「魔笛」日和なのだ。
心ゆくまで耳を酔わせてくれる。