少しは歌謡曲の話でも【5時から男のララバイ】
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歌謡曲なんて何で聴いても同じだろ!
そう思ってるアナタ。
ヌンチャクひとつで男を磨け。
前スレ:
少しは歌謡曲の話でも【四畳半・ナイトクラブ】
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/pav/1490268634/
少しは歌謡曲の話でも【御三家・三人娘】
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1478948029/
少しは歌謡曲の話でも(プレイバックPart2)
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1472355982/
少しは歌謡曲の話でも
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/pav/1465126238 この手の分割振動を積極的に使ったサウンドは
ラジオやテレビではお馴染みのもので、昔の楕円スピーカーはその代表だ。
1967年の長岡鉄男のコラムでは、安いステレオのマルチウェイよりも
テレビに付属しているスピーカーのほうが正常な音をしていると論戦を張って
その証拠にアナウンサーの声が、ステレオだと胸声の強い不自然な音
テレビは隣の部屋で聴いても肉声と勘違いすると言っている。
それに加え、放送録音はイコライザーやエコーであまり音をいじらない
アンプも五極管をジャリジャリ鳴らすのが良いとした。
もともと反骨の人なので、音楽の友に連載していた当時のコラムは
「モノーラル再評価」だとか、「団地ステレオ論」だとか
ステレオ初心者が躓く内容を斜めからぶった切るようなものが多かった。
実践的な姿勢は、1970年代のFMfan時代にも引き継がれる。 一方で、分割振動の多い安物フルレンジの欠点は
ヴァイオリンやトランペットのように、楽器そのものの高次倍音の多い場合で
およそ実際の音とは掛け離れたピーキーな音になる。
このため、クラシックやジャズのファンからは見放される結果になったが
ポップスの場合はどうだろうか? さらに歌モノ中心の歌謡曲なら?
この点が評価の分岐点であり、オーディオ発展史が逆転するのだ。
効果的な低音、効果的な高次歪み、これらの「効果的」は
小出力で聴くラジオ、テレビの視聴者に向けて出されたメッセージである。 16cmのC6Vは卓上ラジオや電蓄のスタンダードな音だが
当時のペナペナのコーン紙に比べると、かなりしっかりと音量をだせる。
ナローレンジなままで大音量を出すと、グッとラウドな感じが増してくる。
最近になって気付いたのだけど
新しいリマスタリングのうち、デジタルリバーブを掛けたものは
この手のスピーカーだと急激に音がくもってしまうことだ。
理由はパルス波の帯域を超高域に振り分けたためで
古いタイプのフルレンジは、この帯域が出ない。
高域を切った古い復刻盤のほうが高域がクリアに聞こえる
逆転現象がみられる。
購買層に恵まれた新しいリマスター盤は
リボンツイーター付きの12インチ・エクステンデッドレンジに任せ
より多くの楽曲を手広く聴きたいときは6インチのフルレンジ。
1960年代後半で重なり合う拡声器のタイプを使いわける。 1970年代に増えてくる演歌歌手のリサイタル盤だが
よく言われるのは、テレビ音声なみの収録音という評価だ。
舞台のプロモートそのものがテレビのものと遜色ないのと
会場ノイズ、オケ伴との音被りなど、様々な制限があるので
実際の帯域は100Hz以下、10kHz以上はバッサリと切られている。
なおかつトランジスター時代なので、元テープの倍音成分は
グローに沈んだ感じである。
これが新しいHi-Fi機器だと、超高域のパルス成分がないと
ステレオの音場感や定位感をコントロールできないので
帯域もサウンドステージも狭い、ローファイな音に様変わりする。
逆に古い高次倍音バリバリのシステムで聴くと
天井の高い澄んだ音になるのだから不思議だ。
昔なら、ラジカセ、テレビで、どこでも聞けたサウンドだったが
今ではそのどちらも、かつての輝きはない。
こうした放送録音の規格でも、充実した音の出せるのが
Jensen C6Vのような古い設計のスピーカーだ。
サンスイトランスST-17A、ECL82アンプなど組み合わせれば
さらに倍音が蜜のようにしたたり落ちる。 あらゆる録音に相性のよいオーディオ機器というのは存在しないが
緩和処置としてイコライザー、エフェクターで音をいじることも必要だと思う。
にわかのマスタリングを施すわけだが、何事も適度なのが心地よい。
イコライザーは±3dB以内、エフェクターは30%程度織り交ぜる。
最初の頃は、真空管プリ、英ORAM社のイコライザーHi-Def 35
Lexicon社のデジタル・エフェクターなど、色々と使ってみたが
現状はヤマハの簡易ミキサーMG10XUで十分な感じ。
3バンド・パラメトリック・イコライザー、デジタル・リバーブが付いていて
ステレオ録音をモノラルミックスする際に利用している。 家庭用オーディオ機器にエフェクターが搭載された機種は
1950年代の独グルンディッヒのラジオ3D-Klang方式で
音場感をコントロールするリモコン 3D-Dirigentが搭載された。
ttps://thumbs.worthpoint.com/zoom/images1/1/0116/30/grundig-3d-dirigent_1_231160f37372d6dac9d4f56329264094.jpg
これはFMモノラル放送時代に多かったオーケストラ実況のためのもので
高域拡散のためにツイーターを多数配置することと併用していた。
日本ビクターの1960年代初頭のステレオ機器にも
スプリングエコーが付属しており、こちらは音場感の補完のためと思われる。
ttp://www.ne.jp/asahi/radiomuseum/japan/images/victor-cat.jpg
クラシックの分野だと、1950年代の放送音源にリバーブ処理するのは当たり前で
それが新リマスター盤として出回っている。
エコーというと、どうも下手なカラオケか風呂場の鼻歌を思い浮かべる人が多く
原音主義との齟齬も含めて、エコーを掛けないほうが良いと言う人も多い。
でもリバーブをうまく掛けると、声の艶やリズムの流れが出てくることが多い。
ステージ系だと中高域に艶が乗り、ルーム系だとリズムはタイトに引き締まる。
ヤマハの場合は、中心周波数を動かせるようなので
なるだけ200〜800Hzの間の低めに合わせると
音色の変化をほとんどなくエモーショナルな感じに仕上がる。 中低域でのリバーブで緩和処置を取るのは
自分の使用しているJensen製フィックスドエッジのウーハーの反応が非常に鋭敏で
通常の柔らかい低音でバランスが取れる録音もおおよそ半数は存在するからだ。
単純にいうと、Jensenを後面解放箱に入れたままだと乾き過ぎている。
逆にJensenのような大げさな表現でないと、良さが判りにくい音楽も半数ある。
例えば、昭和30年代の美空ひばりとかフランク永井は胸声がこもりやすく
ウエスタン・カーニバル系のロカビリーなどは、リズムが弾んでこないことが多い。
また1970年代のソフト・ロックのグルーブ感も表現しにくいもののひとつだ。
一歩前に踏み込んだスピード感を出せるかどうか、それで損をしてる録音もまた多い。 >>205でのキングレコードの録音史で分かりやすい音源として
「蘇る!キングSP原盤再録名曲集」というのがあって
5枚組のうち2枚目8番の「トゥ・ヤング」から米キャピトルの指導で行われた録音
それより前が旧テレフンケンの機材での収録になる。
ttp://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICW-316/
残念ながら、旧テレフンケンの機材で収録された盤は
深いエコーが掛けられており、本来の音という感じではないが
金属マスターの原盤を保管しているとのことなので
いずれちゃんとしたリリースがなされると思われる。
ちなみに>>205の第2編では
1951年以降の録音でエコールームを効果的に使ったとあるので
そうした辻褄を合わせてみたかったのかもしれない。 >>205で出てくるアメリカン・マイクロフォン社というのが
あまり他では聞かないものだったので調べてみると
以下のようなリボン&ダイナミック併用マイクだった。
ttp://www.coutant.org/american/
同じような構造はWEの鉄仮面があり、それよりずっと小型で手持ちも可能。
WEのほうはRCAの特許ハズシだったという噂もあり
米キャピタルはノイマン製のコンデンサーマイクだったりと
色々と裏の事情も含めて選ばれた感じもする。 戦後の録音史で非常に分かりにくいのが1955〜60年頃で
ちょうど78回転盤から45回転盤への移行期にあたり
日本レコ―ド協会資料によると以下のようになる。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-22697.png
録音史の表記だとドーナッツ盤の生産開始が1954年だが
実際の流通にはさらに5〜6年の年月が必要だったことが判る。
ひとつは欧米では1947年のLP発売でボツになりかけた録音が多く
1954年のEP盤リリースに伴い旧規格の生産調整があったと思われる点。
もうひとつは1953年から開始されるテレビ放送以降
家電購入でのHi-Fi機器の優先順位が下がった点である。
このレコード売り上げの谷間によって現れるのは
SP盤とテープ録音の区分と共に、懐メロと流行歌のジャンル分けにも波及してる。
ところがその境界線にある1955〜60年の流行歌は
テープ収録&SP盤リリースというどっちつかずの状況のなかで
忘れられがちである。 SP盤だからということで、鉄針のラッパ蓄音機で聴いてたと思いがちだが
実際にはラジオ電蓄での試聴というのが一般的で
クリスタル・カートリッジ、ダイナミック・スピーカーという点では
45回転盤とそれほど違いがあるわけではなかった。
ただ78回転盤はシェラック盤という特質上スクラッチノイズが多く
これの除去のため後の人が高域にフィルターを掛ける習慣が根付き
高域のあまり伸びていない録音という誤解が生まれたと思われる。
実際は>>217でのマイク特性からみる通り
8kHzくらいまで伸びていれば十分にHi-Fiであり
これを戦前のラジオ放送の4kHzまでの規格に抑えようとした結果だった。 1955〜60年の録音の変換を知るのに最適なのが
美空ひばり「船村徹の世界を歌うVo.1」
フランク永井「懐かしのフランク永井 シングル全集1〜3」あたりで
同じ歌手での聞き比べが可能なものになる。 レコードに記録された実行的な周波数レンジを考える時
比較として映画音声を取り上げると判りやすい。
もともと、映画館の音響特性は高域の丸まったもので
戦前のアカデミーカーブから現在のXカーブまで一定している。
アカデミーカーブ ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/Academy-Curve.gif
Xカーブ(ISO2969) http://cent20audio.html.xdomain.jp/Xcurve.gif
1950年代を考えると、例えば浅草や銀座のWestrexの再生機器で聴けば
普段から聴いている電蓄やラジオの音など吹っ飛ぶだろう。
逆に1980年代の家庭用オーディオ機器から考えれば、これは完全にカマボコ型である。
この点についてホームシアターのTHX規格では「Re-EQ」という補正をして
サウンドトラックの周波数バランスを最適化すべきだと提案している。
”THXのホームシアターに対する重要なステップは
映画のサウンド・トラックのカン高い音を補正することです。
映画館で合成された音響はいわゆるXカーブによって
高域がロール・オフするように調整されています。
この特性は国際規格ですが、映画館での再生装置の全てを合わせた状態で、
すなわち狭くない空間で鳴るようにソースは高域の減衰に合わせてあります。
しかし依然として家庭での試聴は近距離でおこなわれているため、
Xカーブ用にミックスされた音響はフラットな特性のスピーカーで再生すると
非常にカン高い音に響きます。
THXは、小さい空間や距離での音響に合わせるため、
独自のイコライゼーション・カーブを使い、
家庭環境で映画のサウンドトラックの総合的なバランスを
補正するように設計しています。” 映画館と家庭用のオーディオシステムを比較すると
1965年以降にFM放送が世界的に広がると
家電量販レベルでのレコード試聴環境が画期的に良くなったと推察できる。
つまり電気音響のランドマークだったトーキーシステムが
スタジオモニターという方向に変わっていったともいえる。
ここでの課題は、同じテープ録音によるHi-Fi録音でも
昭和30年代と昭和40年代では実行的な周波数レンジが異なり
前者は高域の丸まった音響機器で聴くことを前提に練られていて
10kHz以上はほとんどノイズと区別できないランダムな情報だということ。
そのかわり、再生機器側で1〜6kHzくらいに高次歪みを加味することで
音の明瞭度を上げていた。高次歪みの元凶は、真空管のオーバーシュート
トランスの磁気歪み、スピーカーの分割振動などである。
このほうが、パンチがあって、天井が高い(抜けが良い)ということができる。
今では、真空管とトランスは、無味無臭のデジタル録音に欠かせない
アナログテイストを出すためのアイテムになっている。 昭和30年代と40年代の違いは、大きくはステレオとモノラルに分かれるが
両者を分け隔てなく公平に試聴するのに、多くの人はHi-Fiなステレオを選ぶ。
私個人は、モノラルでカマボコのほうが楽しいと感じる。
以前に、女性の顔写真を何百枚と重ねたモンタージュ写真があったが
ttps://buzzap.jp/news/20130928-avarage-woman-face/
そういう感じで聴き返すと、トーキーのアカデミー・カーブに近いものが自然に感じた。
アカデミーカーブ ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/Academy-Curve.gif
自分のメインシステム ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-2068.png
とはいえ、指向性が90度以上でこの周波数レンジを確保している点と
その実行的な周波数レンジ内で、俊敏なタイムコヒレンスを達成している。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-2296.png
高域が低音がという分け隔てなく、一度にドッと攻め寄せてくる。
1940年代設計のフィックスドエッジと、最新のリボンツイーターの組合せは
掛けた費用の少なさ(チャンデバ含め約8万円)からを考えれば
十分に満足な出来だと思う。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/monoralsystem20.jpg SP盤の時代はそれしかレコードの流通媒体がなかったが
LPの出現以降は、長時間録音の恩恵を受けたクラシック、ジャズを中心に
レコードがオーディオファイルの一部として取り込まれるようになった。
シングル盤はモノラル、LPはステレオという時代も結構長かったし
アルバム・バージョンになると急に音場感が広がるので違和感のあるものもある。
ただ初期のオーディオマニアは、ただの好事家という感じで
自慢したくても青天井の機材に誰も関心を向けないという感じ。
それを跳ね返す情熱とロマンがなければならなかったと思う。
何よりも金銭では贖えない音楽体験が本当の目的なのだ。 ただ歌謡曲やロックのレコードマニアはやや特殊で
オーディオマニアをすごく毛嫌いする。
おそらくクラシックやジャズのオーディオマニアは
機材に負けないくらいのレコードマニアでもあるが
歌謡曲とロックという大衆性は、家電レベルで評価できないと
ヒットするための足掛かりが掴めないということかもしれない。
ヒットした時期のメディアを総動員した宣伝も
音楽とそれほど関係がないようなゴシップも含め
クラシックやジャズとは大分違うのだと思う。
ただそれがレコードをオーディオ的に評価できないというのは間違いで
ヒット曲という時事性を越えて、音楽鑑賞の対象にして聴こうとすると
リアリティをもって再生する手段としてオーディオ機器が必要になる。
やはりクラシックやジャズと同様に、大切な記録として聴き続けるために
オーディオファイルを整えていくことが必要なのだ。 ヒット曲が家電レベルの音響機器から生まれるというのは
メディア戦略という名のとおり、大掛かりなプロモーションとも関連している。
ところが、今になって思うのは、その家電の音響デザインの特徴を
あまり一般の人は知らないことだ。存在自体が当たり前すぎて印象が薄い。
そう思っているうちに、ラジオもテレビも昔に比べ音が悪くなった。
なんというか、音がはじけていない、元気がないのである。
最初は、自分も歳をとって、耳も心も感性が鈍くなったと思っていたが
色々とビンテージの機材をいじっているうちに、その印象は間違いないと確信した。 私の考えるビンテージ機器は1950年代のものを指すが
ちょうどSP盤からHi-Fiへの移行期にあたり
その時期のサウンドデザインがその後のオーディオ業界の方向性に
深く入り込んでいるからだ。
よくメーカーの最高級機種をフラッグシップ(旗艦)と呼ぶが
その旗印の先頭に立っているオーディオ機器と呼べるだろう。
その頃のオーディオ機器の凄さは、Hi-Fiで世界を一新しようとするかのような
凄い覇気を感じるもので、真空管1本、ラジオ用フルンレジに至るまで
丁寧に作り込まれたものだと思う。やはり音に覇気があるのだ。 家電レベルの音響機器に、音の勢いがあるというのは
その時代の流行歌やロカビリーを聴くとすぐに判る。
それはネガティブな意味で、今のオーディオ機器だと刺激のない
いかにもアコースティック楽器でやってました、というサウンドに聞こえる。
過去形になるのは、アコースティック楽器のもつ出音の鋭さが削がれ
ホールの一番奥で聴くような印象があるからだ。
逆に言えば、昔のオーディオ機器は、音がスピーカーより前に出る。
音楽が前のめりで推進する感じに聞こえるのだ。 逆に昔のオーディオ機器が苦手なのは、立体感というか定位感で
ステレオ効果が押し並べてスクリーンに張り付いたように展開する。
初期の2マイクのステレオ録音、特にクラシックの録音で
最近になって素直で優秀なのが判ってきたのは
昔のオーディオ機器ではあまり気付かなかったことだ。
むしろコッテリとマルチマイクで味付けしたほうが聴き応えがあった。
このことは何を意味するかというと、ステレオ効果は絵画の遠近法と似た
一種の錯覚を用いたサウンドデザインであり
1940年代のバイノーラルの幻影を現在も追い続けていると言える。
それを人工的に作成して、大衆が理解するまで、1975年頃まで掛かった。 なぜ1975年頃かというと、ひと頃4chステレオが失敗した頃に
BBCなどを筆頭に、ホールでの臨場感の表現について研究され
ホールの音響特性の差が、ほぼ8kHz以上の超高域に特徴があり
ほんの2〜3dB差で違いを表現しなければならない一方で
その帯域でのインパルス応答の鋭敏さがキーポイントになるとした。
古いオーディオ機器がこの表現で難しいのは
高次倍音で埋もれて定位感の情報が聞き取りにくいからだ。
この頃になると、ライブステージを模擬したサウンドステージが
ポップスの分野でも確立してきて、多くはステレオ放送に応用された。
それより以前に、宇宙空間のようなエコーの来襲は存在したが
そのUFOがついに地上のライブ会場に降臨した。 このステレオ効果の表現にはメリット、デメリットが当然あって
私が注目するのは、旧来の高次倍音に頼った場合
高域の成分は楽音と連動してしか発生しないのに対し
ステレオ効果は、その成分だけを抽出して録音に加えていることだ。
そのお陰で、1975年代以降のステレオ機器はそちらにシフトして
超高域のアンビエント成分がなければ聴き映えがせず
従来の録音をモノトーンに鳴らす傾向が強くなった。
新しいレコード売り上げに貢献するという一面と
過去の演奏の記録をチープな録音とする傾向も増した。 そこで、なぜ過去の演奏の記録にこだわるのか?
単純には、それぞれ癖があって人間として面白いからだ。
自分などテレビでみるアイドルは、サンダーバードの人形のように
誰もが憧れるように作られたロボットだと幼心にも感じていたが
今ではそれも人間味のある成長を見届けることができる
一級のエンターテインメントだと思えるようになった。
その一瞬一瞬をピカピカのまんまで聴かせてくれる
オーディオ機器を所望するようになったのだ。 1950年代後半〜1970年代前半の古い録音を聴くのに
ライントランスは絶大な効果を生むが
ポップスを聴くのに個人的におすすめなのがサンスイトランス。
ttp://www.hashimoto-trans.co.jp/frame/sansuitr.html
もとはラジカセ用のB級動作のためのプッシュプル分割用だが
ハイインピーダンス用としてST-17AとST-78があって
前者は昭和30年代、後者が昭和40年代のテイスト。
個人的にはST-17Aの中域の倍音がいっぱい乗った音が好きだが
ST-78のスッキリと伸びた高域も十分に魅力的だ。
不要な低音をカットしてくれるのでリズム感も良くなる。 よく真空管の音が甘くて暖かいとか言う人が多いが
実際にはトランスの音が8割程度で
真空管の生の音はトランジスターより澄んでいる。
高次倍音を加えるのに一番上品なのがトランスで
最近のマイクプリにも入っているものが増えている。
デジタルの直球勝負の単調さから、アナログ的な緩急を加える
嗜好品にも近いアクセサリーで、ビンテージ物はすごく高いし
最近のものは高域まで伸びきっていて薄味すぎる。
サンスイトランスは800円前後の安物なので見落としがちだが
まさに往年のラジカセの味の素だと確信にいたるもので
フェライトヘッドのカセットデッキ、MMカートリッジの音とも似て
中域に一種の力強さと粘りをもつサウンドに変えてくれる。 チープな磁性体のラジオ用トランスはすぐに磁気飽和して
いわゆるテープコンプレッションと同じような効果が得られる。
それが力強いと感じるのは、レンジを若干絞りながら音圧を出し切るためで
ちょうどホースの先を絞ったときのように勢いが増してくる。
いわゆる音量だけがドーンと押し寄せてくるのではなく
テンポにドライブ感というか加速するときの緊張感が出てくる。
思えばこの効果は、かつてはラジカセの2〜3WのB級プッシュでしか
聴けなかったので、あまりオーデイオ的に注目してこなかったが
パワーアンプの前段に入れることで、勢いの良い音がクローズアップできた。 一方で昔のラジカセやテレビの音の勢いの良さは、B級動作にも起因していて
小型ライントランス、楕円形スピーカー、全てが混然一体となっていた。
あらためて、そのサウンドを再現しようと思うと、各々のパーツを再検討しなければならない。
サンスイトランスは、昭和の音質を残している絶滅危惧種で
ジェンセンのエクステンデッドレンジはロックの殿堂入り。 ラジカセの音の縁取りの明瞭さは、メインソースだったAM放送に起因していて
限られた帯域で最適なパフォーマンスを出せるようになっていた。
思えば、スピーカーのフィックスドエッジ、後面解放型というのも
出音の勢いを最優先に考えると都合のいい構造だった。
そのAM放送の音質も段々と落ちていく方向にあり
1950年代後半の広帯域→ステレオ試験放送の流れから
テレビ、FM放送へのシフトなどの影に埋もれていった。
改めて1950年代の放送音源を聴いてもそれほど悪くない。
むしろ脚色の少ないため、素直に聴ける。
またエアチェック用のテープ録音機能がチープに抑えられた部分もあり
市販の音楽テープを再生すると、凄い音が出てきて驚いたことがある。
これもカセットデッキとの優位性を出すためのものかもしれない。 1950年代の放送音源で最初に出会ったのは
「なつかしのテレビ・ラジオ番組主題歌全集」で
放送用モノラル録音の良さが改めて理解できた。
他に、上方漫才の実況、美空ひばりの芸能生活10周年コンサート
三木鶏郎の冗談音楽など、本当にバラエティ−に富んでいる。
1970年代後半に念願のステレオを購入したとき
AM放送の音がブカブカ、モゴモゴでとても聞けたもんじゃなく
こっちのほうはラジカセのほうが音が良かったので
AM放送はラジカセで聴くことにしていた。
それでもトランジスターのラジカセは
真空管ラジオに比べると音が悪くなっていると言われる。
個人的には、ラジカセの音響設計が、戦前の電蓄から続いた
100〜8000Hzのローファイ規格に合わせた最後の灯火だったと思ってる。 真空管ラジオで思い出したが、過去に英国製の真空管ラジオを購入して
外部入力からCDの音を入れて、1960年代のロックを聴いたことがあったが
イギリス製=渋くてクラシック向けという下馬評が完全に吹っ飛ぶほど
パッツリとした勢いのある音が出てきてびっくりしたことがあった。
メンテがほとんどなされていないので電源を入れて1時間もするとブツブツいうのと
使われている真空管が特殊で交換が不可能だったのですっかり忘れていたが
そもそもサウンドバランスが違うことだけは覚えている。 ラジオ用スピーカーというと、薄っぺらいコーン紙にちっちゃな磁石という印象だが
16cmを超えるとそれなりの音が出てくるようになる。
昔のHMV製 楕円スピーカーの特性は以下のとおり。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/EMI-1944.jpg
中高域にアクセントのある独特なカーブで
ドイツ製のフルレンジを知ってる人なら、キレの良い音だと理解できるだろう。
以下は右がHi-Fiモニター用、左がラジオ試聴用というもの。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/50iger_Jahre/Seite_12_13.jpg
この手の中高域をカツンと持ち上げる特性は
一番最初のダイナミック型スピーカーだったライス&ケロッグまで遡る。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/Rice-Kellogg_Frequenzgang.gif
もう少しさかのぼると、クレデンザとの比較で出てくる旧規格の蓄音機で
低音が伸びず甲高い音で鳴らしていることが判る。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/Ortophonic.jpg
電気録音への移行期でも、やはり小型のラッパ蓄音機の音が温存されて
ラジオの音へと引き継がれていったと思うのが自然だ。 ただ日本の戦前のラジオと言えば、並四のペナペナスピーカーという感じだが
海外のほうはHi-Fiへ確実に向かっていた。
特に生演奏の実況放送はAM放送でもワイドバンドで受信すれば結構な音質だった。
数多く残されている放送用のアセテート盤でその片鱗に触れることができる。
当時のHi-Fi技術は10kHzまでだったが
ドイツとアメリカでの高級ラジオは、スーパーヘテロダイン、2wayスピーカーが
一般に手に入るようになっていた。
独Telefunkenの例)
ttp://www.radiohistoria.fi/yabbfiles/Attachments/JS.JPG
ttps://www.radiomuseum.org/r/telefunken_spitzensuper_7001wk.html
米Zenithの例)
ttps://caseantiques.com/item/rare-zenith-stratosphere-console-radio-model-16-a-63/
ttps://www.oldradios.com/strat/
ttp://www.nutsvolts.com/magazine/article/the-colossus-of-radio ちょっとしたダンスホールでも十分に機能しそうな大型ラジオは
AM放送が主体だった時代には無用の長物のように考えがちだが
32kHzのバンドフィルター(高域は16kHz再生)をもっていたこと
SP盤再生用に高域のノッチフィルターを装備していたことなど
実際にはAM放送のほうが高音質であったことが伺える。
こうした技術基盤のうえに立つAM放送の実力と
1970年代のラジカセの機能性を見比べて
ローファイ時代のサウンドデザインの継承を取り繕うのが
私なりの懐メロ〜歌謡曲の再生技術の考え方になる。 懐メロ〜歌謡曲の再生技術の谷間については、以下のものを参照すると判る。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-22697.png
1950年代を境にSP盤vsEP盤のコレクターの区分けが明瞭で
オリジナル盤の再生技術の違いからくるものが大きく原因して
どちらも平等に聴くことを難しくしている。
これに1960年代のステレオまで被さると
SP盤=懐メロは、モノラルでローファイという二重のハラスメントを受けている。
実際にはAM放送規格(モノラル、100〜7500Hz)は
1970年代まで有効なフォーマットだったと考えている。 ところが、このAM放送規格から見据えると
時代を超えた草の根の大衆音楽の面白さが傍観できる。
100〜8000Hzを均質なスピードで再生できると
古い録音もちゃんと表情豊かに聞こえてくる。 なんで最低限のシステムの話してるんだずっと
最高に再生できるシステムの話しろよ たかがローファイ帯域と言いながら
意外とちゃんと再生できない機器が多いんだよ。
何かが良くなれば、どっかが引っ込むという具合で
アンバランスなものが付きまとう。
それと最高というのは、高音質ソフトを連れ添ってることが多く
その意味では歌謡曲やポップスの類は、ほとんどが落ちこぼれ。
これをサルベージできるシステムが欲しいだけなんだけど
1950〜70年代までの録音を9割方ニュートラルに再生できる状態を
測ってみると見事なカマボコ型。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-2068.png
この理由について考えてみると、これまでのHi-Fiの理想形がおかしいと気づいた。 カマボコ型の秘訣は、アジア系言語で感情表現に富んでいる
400〜2000Hzの喉音(母音の第二フォルマント)を中心に
1オクターブ広がるごとにラウンドしていく特性だということ。
もうひとつは出音のタイミングがボーカル域で揃っていること
つまりタイムコヒレントが優れていることが挙げられる。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-2296.png
ジェンセンの30cmエクステンデッドレンジを後面解放箱に入れているせいか
リボンツイーターと同じくらい出音のスピードが速く、中低域が埋もれない。
いわゆるドンシャリとは真反対の特性なのに、100〜8000Hzが万遍なく聞こえる。
おそらくチャンデバでマルチアンプにしているのも功を奏してる。
あとは、これだけだと結構やんちゃな音なので
サンスイトランスを噛ませて倍音の出方を整えている。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/monoralsystem20.jpg
各部品や機材のグレードを上げることも可能だけど
このバランスを保って揃えようとすると4〜5倍の費用がかかると思う。
最低限だけど、結構あなどれないと思うぞ。 このバランスの保持が難しいのは
例えばアルテックの大型ホーンで500Hzクロスを狙うと
400〜2000Hzを中心とした同じような効果が出る。
ttp://kiirojbl.web.fc2.com/audio/1001.jpg
しかしこれのウーハーがドライバーの反応に喰い付くまで
どれだけのパワーを入れなければならないか?
おそらくJBL 130Aや、励磁型のウーハーでないと
小音量でドライバーとのレスポンスのバランスがとれない。
小音量というのは、歌謡曲のもうひとつのキーワードで
ミニワットのAMラジオでも心地よく聴けるように
サウンドのバランスを調整してある。
これをフラットで大音量で聴くというのは間違っていて
どう考えてもドンシャリに収録されている。
それも100Hz付近と4kHz付近にアクセントをもつ。
低音に量感をもたせたシステムはリズムが平坦に聞こえ
高域のレスポンスが突出するシステムはザラザラした歪みに悩まされる。 ただポップスの分野でドンシャリ傾向が分離する以前は
トーキーからラジオまで、一種の船団方式でサウンドが統一されていた。
Hi-Fiステレオの登場で、近接試聴での高域の可聴領域がフラットになり
THXの提案では、ホームビデオが出回る1980年代以前のサウンドトラックは
映画館の音響規格に合わせ、高域を落としてあげなければいけないとした。
こうした旧規格であるトーキー、SP盤、AM放送でのポップスの対応は
一般のオーディオ技術史よりも10年程度遅れていて
1950年代半ばまでアメリカでもSP盤が主流だったし
モノラル盤が1965年前後まで新譜で売られていたのは良く知られる。
では1970年代はどうかというと、テレビは依然としてモノラル
ラジカセのステレオ化は1970年代も末になり
そのままウォークマンに時代は移っていった。 私なりに昭和の歌謡曲をニュートラルに聴くシステムとして
トーキーとラジオの間にある中規模の音響機器を考えたとき
1960年前後のジュークボックスに思いいたった。
ビートルズ以前のロカビリー、ブルースを得意とするが
もちろん懐メロ、流行歌もいける。
そこで使われているユニットを調べたところ
Jensenのギターアンプ用ユニットP12Rが主流だった。
現在も伊SICA社で製造を続けており、値段も手ごろだ。
こうした情報は、ジュークボックスのメンテを手掛けるサイトで知った。
ttps://www.jukebox-world.de/en/Speaker/Jensen-speaker-P12R-16.html
ここで使われているJensen P12Rは、口径30cmのエクステンデッドレンジで
通常のウーハーが2kHz以上の分割振動を抑えるのに対し
2〜6kHzに大きなピークを作るように設計されていて、多くは高次歪みである。
もうひとつは8kHz以上は出ないことで、フルレンジとは言い難い。
この喰えないサウンドが、実は1950年代のオーディオ史のミッシングリンクで
ラジオ用スピーカーでは普通に装備されいたもの親玉的存在だ。 自分の使っているのはJensen C12Rで
理由はセンターキャップが省略されてフェライトが張ってあるところ。
ボイスコイルの共振がジャリジャリ出るようにできている。
安いとは言いながら、大口径フィックスドエッジの端くれ
中低音の瞬発力は驚くほど速い。
foが90Hz前後、Qo=2.0を超えるハイコンプライアンス
後面解放箱でないと使えないような代物だが
300Hz前後までは直接空気を振動させるので
それが瞬発力を支えている。
小型のラジオ用フルレンジとは全く違う世界だ。 このJensenにFountek社のリボンツイーターを付けるアイディアは
もともとPiegaのフロア型を持っていたのでリボンに慣れていたのと
1945年頃にデッカのリボンツイーターを使ったHMVの高級電蓄があって
この時代の録音水準からして多少疑問に思いながら試しに使ってみた。
ttp://quwa.fc2web.com/1950/BBC/HMV-1609a.jpg
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/1950/BBC/BBC-M008-16.jpg
これまで、コーン、ホーン、ドームと色々試してみたが
どれも一長一短で、どうもスピード感が噛み合わなかったらしい。 大口径エクステンデッドレンジを使うと判るのは
裸で鳴らしたときに、アクティブに振動できる最低周波数で
コーン紙を平面バッフルとして計算すると凡そ合ってる。
foc=2*4250/B、 B:バッフル幅(cm)
これだと、10cm:925Hz、16cm:531Hz、30cm:283Hzとなり
10cmクラスはステレオでの定位感が良好
16mクラスは女性ボーカルが綺麗(第二フォルマントがクリア)
30cmクラスからは肉声の躍動感が出てくる。
このアクティブに振動できる最低周波数より下の帯域は
エンクロージャーで反射、共鳴した2次的な反応で
輪郭の曖昧な音になりやすい。
多くは高域のパルス波で音の輪郭を補うようにしている。
しかし、古い録音は積極的にパルス成分を収録していない。
なので曇ったモゴモゴした声に聞こえる。
これは高域をイコライザーで持ち上げてもノイズだけ増してダメだ。 大口径エクステンデッドレンジのもうひとつの特徴は
分割振動(高次歪み)の多さで、測ってみると基音よりも多いくらいだ。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-18861.png
これでは音楽どころじゃないと思うだろうが
エレキのクリーントーンのように艶のある音が鳴り響く。
まだリバーブのようなエフェクターがなかった時代の産物でもある。
こうした倍音成分の豊富さは、真空管やトランスからも発生していて
カートリッジでも生じる。いわゆるアナログ的な味わいである。
1960年代の録音スタジオでは、真空管とトランスの山に埋もれた環境で
試聴して音決めをしていた。初期のNEVE卓のトランスの艶やかさも定番だ。
トランスレス→デジタル化にいたる時期は1975〜85年の10年に過ぎない。 ところが、1970年前後の国産ビンテージ機器で組もうとしても
アンプとカートリッジ以外は、特にスピーカーがほとんど思い浮かばない。
ビクターSX-3が1973年、ヤマハNS-1000Mが1974年というのがあるが
この2つはその後のロングランで勝ち取った未来志向が入れ混じって
ニューミュージックの系譜を知りたい人にとっては宝物のようなものだ。
大瀧詠一の昔の写真にもSX-3は写っていて
米AMI社のジュークボックスと比較試聴していたように思う。
ttp://livedoor.blogimg.jp/pyan10/imgs/4/7/47f6a380-s.jpg
ttps://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/migrate.musicman-net.com/2017/02/f589d89109df3c.jpg
アンプはラックスのSQ38、サンスイの777〜999あたりが良いだろうか。 1970年代初頭の頃のシステム構成は
アンサンブル型(一体型)ステレオからセパレート型へと進んだ時期で
サン・トリ・パイ:サンスイのアンプ、トリオのチューナー、パイオニアのスピーカー
を買えば間違いない、というような感じだった。
ところが一番売れたのは、チューナーとアンプが一体化したレシーバーで
レコードプレイヤー、スピーカー、カセットデッキが選ぶ対象として残された。
レシーバーの広告には、ほとんどスピーカーが写り込んでおらず
おそらくヘッドホンでの試聴が始まった時期でもあった。
当時最も売れたのはパイオニアのヘッドホンで
1961年からステレオ・ヘッドホンを販売していた。
当時はELEGAとSTAXくらいしか製造しておらず
まさにパイオニアの名前通りのもの。
ちなみにスタジオユースは圧倒的にELEGAで
現在のSONY 900STの原型にもなった。 当時と同じ仕様のヘッドホンというとあまりにマニアックだが
KOSS PRO/4AA、Sennheizer H-414、Beyerdynamic DT-100あたりで
いずれも独特なサウンドをもっていることが判るだろう。
ELEGAのヘッドホンは、耳を測定するような検聴用なので少し特殊な感じ。
名称だけ引き継いでいるのはAKG K240Studioで
1990年代にDiffuse Field Equalization対応のため
音調が変わっていると思う。
ちなみにDiffuse Field Equalizationとは
外耳の共鳴を加味した補正曲線で
ダミーヘッドマイクで測定したときに、もろに出る共鳴ピークを
実際の聴感に合わせて表示させるためのもの。
ttp://en.goldenears.net/388 ヘッドホンの場合、見た目の周波数特性よりも
インパルス応答やステップ応答のほうがむしろ実感があるかと思う。
パルス波が鋭く収まっているかで高域の立ち上がりの繊細さが判るし
ステップ応答でちゃんとライトシェイプしているかで自然なバランスかが判る。
例としてSennheiser HD600を上げると以下のとおり。
ttp://en.goldenears.net/8072
ステップ応答で超高域のリンギングが若干出るが中高域からスムーズに推移
インパルス応答も反動の少ない構造だと判る。
AKG K240 STUDIOも同様な感じだが、低音の収まりがタイト。
ttp://en.goldenears.net/17565
SONY MDR-CD900STは遠目に見るとステップ応答が綺麗なライトシェイプだが
インパルス応答で中高域のリンギングが比較的大きいことが判る。
ttp://en.goldenears.net/6993
特殊なのがEtymotic Research ER-4Sで理論的な動作だが
実際に試聴すると従来のサウンドデザインが変に聞こえる。
ttp://en.goldenears.net/20770
これより妥協案を出しているのがSHURE SE846で
インパルス応答は正常、ステップ応答の低域のブーストが尋常じゃない。
ttp://en.goldenears.net/30016
これに比べるとSE425はいたってまとも。
ttp://en.goldenears.net/6114 SONY 900STでリンギング(分割振動)が多いのだが
実際は世の中のヘッドホンでは、リンギングを容認するほうが多数派で
例えばShure SE425の上位モデルSE525はリンギングが多い。
Etymotic Researchのイヤホンを聴いて感じたのが
全ての音がスマートすぎて、音楽の骨格だけを聴いている感触である。
さらにイヤホンでは耳穴にフィットしてないと低音不足を感じやすいので
バスブーストする構造も好まれる。
こうした嗜好性の多様さもヘッドホン、イヤホンの特徴で
自分の好みの音が何かということを知っておくのも大切だと思う。
実際にはドンシャリが好まれているという別の側面が浮かび上がるのだ。 個人的には、オープン型の醤油味が好きなので
Sennheiser HD598、AKG K501などを愛用してきたが
寝転がって聴く癖があって、いずれも早期に断線の憂き目にあって
それ以来ヘッドホンの購入を自重している。
どちらかというとユーロビートのほうが合っているスマートな鳴り方で
歌謡曲に合ってるとは少し言い難い。
思い出のあるのは、フォステクスのT-5Mで
見せかけのファットなベース、きつくない高域と
個性が強すぎて、どの録音もバランスが崩れない安定感があった。
あと最終的に残ってるのがSONY MDR-Z700DJで
これも低音ドカドカでアメリカン・ロックのマニエリスム調だが
こちらもサウンドが崩れない安定感がある。 やや気になってるのが以下のもので
JVC JVC HA-MX10-B ttp://en.goldenears.net/16638
Pioneer SE-MJ591 ttp://en.goldenears.net/10587
中域と高域の段違い平行棒のような特性だが
インパルス、ステップ応答の両方とも良好。
ほとんどの人の印象は、高域不足、中域過多らしいが
歌モノにはフェイズの乱れがなくて合ってそうな気がする。
高域の出し方については、STAXのイヤースピーカーにも同じ傾向があって
耳から少し距離を置いてセットするタイプなので
必ずしもDiffuse Sound Field補正が正しく機能しないかもしれない。
ttps://www.innerfidelity.com/images/StaxSR007SZ31576.pdf 私個人が普段からモノラル試聴なので
ステレオヘッドホンの話をしても何だかな?という感じだが
実はモノラルミックスしてからステレオヘッドホンで聴いても
特に違和感がない。
2〜3年の経過で「モノラル耳」が既にできているからで
右耳から脳内で左に受け渡す、脳内ステレオが再生される。
これは普段はスピーカーから斜め45度に座り右耳から試聴していて
当然ながら左耳は凄く高域が聞こえていないはずなのだが
あたかも左耳でも聴いているかのように脳内で補完している。
この訓練が瞬時にできているので、勝手に脳ミソがリズムを刻みだす。
モノラルだと1次元的な音響と勘違いしている人が多いが
実は脳幹が活発に反応するようなエモーショナルな体験が得られる。
これを何次元と呼べばいいのだろうか? >>261のJVCやパイオニアのヘッドホンの特性は
個人的には一種のJ-POP病の一種だと思っていて
2kHzを境にした段違い平行棒のような特性は
古くはオーラトーン〜テンモニで醸成されたサウンドだ。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/aura5c-ns10.jpg
これらは小音量&ラジオ視聴者に向けたバランスチェック用で
これとヘッドホン試聴でのパーソナル化に伴うメガヒットにより
むしろポップスのミックスバランスの標準となった感じがする。
興味深いのはJVC HA-MX10-Bの開発段階で
ビクタースタジオで鳴っている音をそのまま移行したと言われることで
そうだとすれば、ラージモニターも段違い平行棒になっている。
ttps://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1102/07/news119.html
ttp://en.goldenears.net/16638
とはいっても、実際のミックスバランスは動的に変化するので
必ずしもトーンキャラクターが全てを支配するわけではないが
5dBの穴を埋めるためにどれだけ音数を増やさなければならないか?
電車でシャカシャカ鳴る状況が理解できるだろう。 とはいえ、個人的にはビクタースタジオの作るリマスター音源は
そのグラマーなサウンドが結構好みではある。
艶の良いサラブレッド、ボンドガールのような血統の良さだ。
そっちのほうではJBL 4331や4343などが使われていて
多様性の担保というか、ユニークな協力体制があるようだ。
ttps://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/pr_takumi-report/index3.html
ttp://blog.fmyokohama.jp/ckb/2011/09/post-93e2.html
とはいえ、このグラマー路線のサウンドを好まない人が居ることも確かで
藤圭子や吉田美奈子などはソニーのほうで化粧替えをして
クールなサウンドにリマスターされてたりする。
ビクタースタジオがGenelecをメインモニターに導入する際の話を読むと
「80年代後半、スタジオで作った音を、
コンシュマー用のオーディオ・システムで再生すると、
何だか違和感を覚えるようになったんです。」
という言葉に集約されているように思った。
ttps://www.genelec.jp/references/victorstudio/ ビクタースタジオのグラマー路線は
例えば1999年に出されたシモンズとペドロ&カプリシャスを聴くと判る。
シモンズの清楚さと高橋真梨子の情の深さとは、何だか真逆に感じるが
そのどちらからも中域に深い艶をもつ肌の感触が伝わる。
一方で、吉田美奈子のFlapperはドンヨリした音調だったりしてキレがない。
後ほどタワーレコードから吉田保当人によるリミックスに近い状態で発売されたときは
解像度が上がった一方で、何かオーラのようなものがすっかり抜けた感じだった。
これは藤圭子のアルバムについても言えて、音は正確なんだけど…味がない
というのが最初の印象。しばらくその情報量をもてあましていた。
現状では、これらの奥底から湧き出るディティールがバランス良く再生できるので
むしろ誤魔化しのない、ガチンコ勝負での試聴が可能になったが
こうしたポテンシャルをもつ機材をもつ人がどれだけ居るか?というと
ヘッドホン試聴をメインに考えていることが何となく判った。
ttps://mora.jp/topics/interview/yoshida-tamotsu/
藤圭子については「藤圭子劇場」の最後に収録された盤で
本来のビクターサウンドでの藤圭子の声が聴ける。
どちらか1枚というよりは、色々な切り口があって良いものだと思う。 ヘッドホン試聴で気を付けなくてはならないのは
外界との音響から遮断れるため、個人の嗜好の差が出やすく
そのうえイコライゼーションも容易くできるため
かなり癖のある音響でも受容して慣れてしまうことだ。
一般のオーディオマニアにも、高音のきつい音を好む人は多いが
フラットで聴くという行為そのものが、ルームアコースティックの関係からすると
少し高域を持ち上げた状態になっている。
有名な録音スタジオの音響特性は以下の通りで、5dB前後ラウンドする。
ttp://en.goldenears.net/en/files/attach/images/249/388/1f52df8624d9b1bef9b77674162e6979.png
これでも実際にヘッドホンを聴くと、もっと強い高音に晒されるわけで
難聴とまではいかなくとも、聴覚がダメージを受けてもおかしくない。
心地よい音が、習慣的に変化しているというほうが正しいかもしれない。 一方で、ハイファイの要件を満たすためには
ヘッドホンとスピーカーでは、アンプも含めると1ケタどころか2ケタも費用が違う。
費用対効果を考えると、ヘッドホンほど便利なシロモノはないとも言える。
個人的な体験を言うと、この状況からモノラル〜ローファイに慣れて
ちゃんと高域が聞き取れるようになるまで、2年くらい掛かった。
昔の初心者にフルレンジから修行して、ステレオ再生のノウハウを学ぶことがあったが
こうして耳を育てながら、機材のグレードアップを図っていくのが順当だと思う。 ローファイで聴くことの必然性は
オーラトーンやテンモニでサウンドバランスを確認するように
1970年代から意識され始めたラジオ音との共存体制だと思う。
実はラジオのサウンドデザインには、1940年代のPA機器にあった
強力なラウドネス効果が仕組まれていて
それを録音側に組み込むことによって、良い音の概念が変わった。
デジタル化でクラシックやジャズはむしろニュートラルになっていったが
(このため1950年代のモダンジャズが今でも重用される)
ポップスではその逆のことが起こっているのだ。 1970年代に設計されたスタジオ用ヘッドホンの特性について
Koss Pro/4AA ttps://www.innerfidelity.com/images/KossPro4AA1975.pdf
Beyerdynamic DT100 ttps://www.innerfidelity.com/images/BeyerdynamicDT1002X2kOhm.pdf
当時の計測方法が、diffused sound fieldの補正を考慮せず
スピーカーと同じ特性で考えていたことが判るが
今からみるとボーカル域と高域のキャラクターが明瞭に分かれている。
まだスタジオ用の第一要件が音漏れの少なさと堅牢さだった時代でもある。
4kHz付近に一種の耳ざわりな音が付きやすいのは認識していたようで
かなり抑え込んだディップがある。その一方で1〜2kHzの吹き上がりが演出され
これは音が1歩前に出るような前のめりのトーンである。
DT100の10kHzのピークは、Pro/4AAよりも強調されており
この時代がマルチ録音でのタイミング合わせを重視したことと関連があるし
シンセベースの導入によって、重低音の聴き取りが条件として追加されている。
一方で、これらでサウンドバランスを取るようなことはしていないので
録音ブースでの便宜上のものと考えるのが妥当だろう。 4kHz辺りのディップで思い出したのが
テープ再生時に必ず生じたヒスノイズで
これを抑えて楽音をクローズアップする役割も当然あっただろう。
ドルビーがBかCか、はたまたSRかで世代が判るが
Bタイプのエンファンシスは以下のとおりである。
ttp://www.rfcafe.com/references/popular-electronics/images5/dolby-noise-reduction-popular-electronics-august-1972-3.jpg
CD時代になってこうした苦労はほとんどなくなったが
何か雰囲気みたいなものが失われたという感じもある。
個人的には音量が上がっていくときのザワッとしたのが好きだが
どうも歪みの一種らしい。 初期のカセットテープの音というと、あまり音源は残っていないと思うが
意外なのはアメリカでソニー製のカセットレコーダーを使ったブートレグ盤が多く
なぜかヴェルベットアンダーグラウンドで集中していたりする。
ttps://audio-heritage.jp/RADIO/SONY/portable/tc-100a.html
ttp://www.alliedcatalogs.com/html/1969-280/h156.html
この頃、日本は硬質なフェライトの精密加工技術で先行しており
世界中でシェアを獲得していた。
1972年のマックス・カンザス・シティでのラストライブは
当時のカセットレコーダーの扱いが、コダックのインスタントカメラと同様に
若者文化のアイコンだったことが判る。
もうひとつのほうは西海岸でのクワイン・テープで
期待どおり(?)の悪音だが、放浪していたバンドの記録として貴重なもの。
こうした録音には、サンスイトランスST-78を挟むとしっくりくる。
低域を切って、少しスレンダーにまとめてくれるようだ。
この延長上にシュガーベイブのソングズがあると言ったら言い過ぎか?
シティポップの教祖のように思われているが
音質はガレージロックのはしりだったように感じる。 日本のロック史で面白いのは、海外バンドの偽ライブ盤で
ローリング・ストーンズ、ジャニス・ジョプリンとその影響力が凄く強い。
ストーンズ派のザ・タイガースの初アルバムがライブ盤だったのも
この影響だと言われるくらい。
個人的には村八分の1971年ライブ「ぶっつぶせ!」が
ブートレグ風のアングラ感一杯で、最高の内容だと思う。
イレギュラーなのが、あがた森魚の世界史B#1で
屋外テントのアングラ劇場を彷彿させる。
どちらもフィルムの粒子まで荒々しく印画した
森山大道のストリート写真を思い起こさせる
淫靡な雰囲気がただよう。 フォークルが1967年に放った深夜放送&アングラ路線は
メジャーデビューの際にも、むしろチープな宅録をわざと狙ったといわれ
その原盤製作の売り上げを元手にURC(アングラ・レコード・クラブ)が始動した。
テレビはおろかラジオでも顔を出せないので謎めいていたが
シングル集を聴いてもあのときの情熱を窺い知るにはやや気だるい感じもする。
レコーディングスタジオに入って救済されたという安堵感が先行しているのだと思うし
見えない未来を画く点では、デビューしたてのアイドル歌手の声の震えのほうが
リアルに何かを感じ取っていたように思う。そのバックバンドの緊張感はもっと厳しい。
それを知ってか知らぬか収録していたと思うのだ。 70年前後の深夜放送は、ジャストタイムで聴いていなかった私など門外漢だが
今も続くラジオパーソナリティの伝統は、ぶっちゃけ、本音の多いわりに
今の情報化社会では炎上必須のものも多かったのだと思う。
聴いてる人と共有し、3日もすればキレイに忘れる。
話し上手というほうが適切かもしれないが、歌詞もそういう時代感覚が流れるのだろう。 深夜放送枠のフォークは思春期の終わりを告げるための儀式のように思っていて
かと言って大人の管理社会にも馴染めない宙ぶらりんの世界だ。
この宙ぶらりんという感覚は、身体性を離れた幽体離脱のようなもので
とても精神的なもので、オーディオのスペックなんかで縛りたくない
ましてやオーディオマニアになど、その内容のどこが理解できよう?
200〜6000Hzの帯域に詰め込んだメッセージは
喩えていえばインスタントラーメンのようなもので
麺の細さ、味の濃さなど、ちゃんと調整しないと
カップからドンブリに移し替えたときの、あの不味さといえば
本格的なステレオで聴くAM放送のように興ざめする。
電波とレコードの間にある距離感は
声を届けるための商業システムの手順の違いにあるが
情報化社会のなかでサイバー化された記録=記憶は
ヘッドホンで頭内定位するだけでは精神性の欠片も感じられない。
やはり人肌が恋しい、肩が触れ合う程度の身体性は必要だ。 興味がてらにフォークジャンボリーの抜粋盤を買ってみたが
みんな仲良く平和になんていうのは嘘で、K1グランプリのような格闘技戦だ。
ほとんどの人が、舞台での本気度を示すために怒鳴るように歌っており
少しでも気を緩めると舞台に乱入されかねない緊張感のなかにいる。
フォークが軍歌になった、そういう時代でもあったのだろう。 このときの関西フォーク陣と東京フォークゲリラ陣営の対立軸は鮮明で
説教じみた関西陣、怒鳴るフォークゲリラという感じだ。
岐阜の山奥に集結したものの、空中分解するのは目に見えていて
そのもがきっぷりがどうにもならないほど切ない。
今ではカレッジフォークの人たちとも仲良くステージに並ぶというのだから
半世紀たって商業主義のしがらみから自由になったのだろう。
どの会社も派遣さん25%の契約社会で
金銭にともなう人間関係の束縛は益々厳しいものになっているが
オリンピックと万博でもう一度夢をみようなんて思いたくないもんだ。 さて四畳半フォークの話とふけ込もうと思ったのだが
再生する装置がこじんまりとフルレンジというのでよかったか?
ということを考えている。
加えて自作の真空管アンプなど灯すといいだろう。
ところがフォークジャンボリーに参加したミュージシャンをみると
よしだたくろう、はっぴぃえんどはロックバンドだし、その後の分散が激しい。
フォークというスタイルは、シカゴブルースのように音楽の核の部分であって
そこから派生する演奏スタイルは色々なバージョンがありえる。
実際、ロクハンと直熱三極管の組合せで聴いても
あまりピンと来なかった。イヌエッチケーの醤油味である。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/monoralsystem1.jpg
当時は国営放送への反発があって、そこから抜け出す何かがあった。 フォークとニューミュージックの間にあるものは
ラジカセとステレオのように違いがある。
アイワのラジカセとパイオニアのステレオコンポ。
ttp://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/As431028.jpg
ttp://audiosharing.com/review/wp-content/uploads/2014/10/Pioneer.jpg
ライフスタイルの影響が大きいが、今は同じフォーマット(CDかレコード)で
聴くことになるので、このような棲み分けがはっきりしていない。 四畳半フォークとラジカセがリンクしたのは
松本零士「男おいどん」を広告キャラに設定したソニーだ。
対抗した松下電器が「がきデカ」だったのはアレだが
どちらもラジカセでモテモテ気分を夢想するもので
精々テレビの前に置いて好みのアイドルの声を録音することで満足したのだろう。
アイドル歌手を前面に出したステレオ、ラジカセの広告は
日本の定番になったといって過言ではない。
例えばアメリカでTVコマーシャルは三流芸人の仕事なので
ジョディ・フォスターが日本でCMに出てて驚かれるという。
日本では人気があったから広告に出れたという印象が強いが
オーディオメーカーがレーベルを運営していた時代なので
デビューしたての初々しい頃のピンナップがみられる。 フォーク歌手はラジオのパーソナリティを務める人も多く
コンサートでのMCなども今では鉄板のようなもの。
レコードで聴ける内容は、パーソナリティの一部でしかない。
最近、米フォークの立役者だったウッディ・ガスリーのライブ音源が出たが
ともかくおしゃべりが長く、ステージの8割は独り語り、終わりに歌を披露する。
芭蕉の奥の細道にも似たような配分だが、短い歌の重みを主張すると
そのようなことになるのだろうか。英語なだけに退屈してしまう。
日本のフォーク歌手について最近思いを強めているのが
声だけで何かを伝えようとするあまり、本来あった実体感が薄れることで
アコースティックな演奏スタイルが生むフィジカルな部分がちゃんと出ないと
レコードからくる情報だけでは、記憶を留めておくことが難しいと感じることだ。
ラジカセで聴くのが良いのは、ラジオ・パーソナリティとの整合性が取れるからで
オンタイムで本音が聞けなくなったときに、本来の味わいが掴みにくくなってる。 同じことは、アイドル歌手にも言えて
振付のないUFO、パラシュートのないTOKIOなど誰が想像できるだろうか?
メディアと連動していない歌謡曲は、気の抜けたサイダーのようなもので
それに再び炭酸を入れ込むくらいの刺激がないと、再生したとは言えない。 メディアと切り離された歌モノの鑑賞について
フォークソングは、その素材が限定されているだけに
オーディオ的に吟味するのに試金石ともなりそうな気がする。
歌声に実体感を出すために必要なのは
150〜300Hzくらいの胸声の反応の速さと
500〜2000Hzの第二フォルマント(母音)の抜けの良さで
このふたつが均一に揃っていると、日本語の情感がスムーズに伝わる。
どちらもウーハーの帯域で、胸声に重低音が被って不自然になったり
ネットワーク回路との関連で1.5〜2.5kHzは沈み込みやすい。
私はJensenの30cmエクステンデッドレンジを愛用しているが
1947年から現役のPA用スピーカーの端くれだ。 面白いのはエレボイの初心者用のテスト方法で
マイクをつなげてチェックするというもの。
江川三郎がやっていた方法だが、あまり人気がなかった。
エレボイはタンス型マルチウェイスピーカーの元祖のような感じだが
米国の放送局用マイクでは昔から定番のもので、タッチノイズに強いこと
近接効果(胸声が被ってモゴモゴする)を抑制する技術で知られる。
そうした実声の再生との相関性に自信があったのだと思うが
今のスピーカーにマイクの生音を入れても、ほとんどは汚い音で
カラオケ用のエコーをかけて整うのが関の山である。 フォークソングでオーディオシステムを整えるというのは
音楽の言語的性質を聴き取ることだ。
200〜4000HzのAMラジオ規格内でのポテンシャルを高めると
音楽のボディラインの基本的なところが整って心地よくなる。
背が高い、足が長いというよりは、抱き心地のような部類だ。
狭い帯域でもフィジカルな実在感が欲しい。
それとHi-Fi&ステレオの時代にあっても
ラジオの特性はほとんど変化がない。
1956年のナショナル製真空管ラジオの特性
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/wps_clip_image-28429.png
1972年のナショナル製ラジカセの特性
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/RF-848-1972.jpg
これでもAMとFMの音質の違いは十分に判る。
なぜだろうか? 狭い帯域でもリアリティを感じる理由は
生音での高域は瞬発的に出るパルス成分がほとんどで
ほとんどの録音を聴いてもエネルギーは微小だ。
ツイーターだけで鳴らすと、本当に蚊の鳴くような声しか出ない。
人間の聴覚も、外耳の共鳴によって3kHzをピークに急激に低下する。
ttp://cent20audio.html.xdomain.jp/4128C_HATS.jpg (これの実線)
古いAM規格はこの曲線を都合よく解釈したもので
Hi-Fi規格は、9〜16kHzを累加することで成り立っている。
超高域は外耳のピークより10dB低くても、聞こえるものは聞こえる。
むしろ楽音の動きをエモーショナルに捉える耳のほうが必要だ。 楽音をエモーショナルに捉える耳を鍛えるのと
オーディオ装置で補助して聞こえやすくするのとは
いわばバーダー取引のようなもので
オーディオマニアの陥りやすい罠のようなものだ。
ただし古いラジカセでも極端な高域の不足を感じないのは
古いスピーカーにはひどい分割振動が内在していて
1kHzを鳴らすと12kHzまで倍音が共鳴するという特徴がある。
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1980年代に瀬川冬樹がデパートで売られるステレオの多くが
バイオリンの音がひどいので落第点をつけるのに対し
メーカーのほうはリンギングがあるほうが売れるという回答だったという。
理由はテレビの歌謡番組で聞きなれた音と整合性があるからだ。
今でもリンギングは好まれる傾向があり
Shureの高級イヤホンは上位機種のほうがリンギングが激しい。
(0.3.インパルス・レスポンスを参照)
ttp://en.goldenears.net/6114
ttp://en.goldenears.net/3381
高域が良く聞こえる=パルス音を重複して隈取をよくする という現象には
電気的に測る特性よりも、生理的な課題が大きく寄与している。 電気的なフラットネスが楽音を正確に伝達できるという理屈は
人間の聴覚がフラットではないので、ほとんどウソだ。
それも2〜3dBというレベルではなく、10dB以上もの違いがある。
フラットな周波数特性で鳴っている音はホワイトノイズぐらいなもので
楽音の特徴を掴んでいるとは到底言えない。 1960年代までの歌謡曲を聴くときに気になるのは
伴奏と歌とがあまりに緊密に接するため
洋楽のように楽器の役割分担が希薄なことだ。
アレンジとしては、歌謡曲も洋楽の端くれなので
同じ楽器構成ではあるのだが
ドラムやベース、ギター、ピアノ、ストリングなど
同じメロディーをなぞっているんじゃないかと思うほど
歌と一体化して流れていく。
ときおりアジアの音楽理論でヘテロフォニーに言及されるが
虫の声を言語的に理解する日本人のこと
楽器の音も同じように聞いてるような気がする。 この楽器の役割分担をしっかりこなすオーディオ機器でも
1950年代の美空ひばりなどを聴くとまるでダメなことがある。
別に新しい機材でなくとも、同じ年代に製造されたシステムでもよくある。
多くは胸声がドーンと残ってしまったり、子音がキツく声がザラつくなど
その帯域を占める特定の楽器(ウッドベース、シンバル、トランペットなど)は
魅力的に鳴るのに、どうも日本人の歌声に一貫性がないのである。
その一方で、欧米のジャズシンガーの声はちゃんと鳴るのだから
一般の評価では「日本の流行歌は音が悪い」となってしまう。 例えば、1956年のエラ・フィッツジェラルドと美空ひばりを聞き比べると
どちらも胸声の豊かさは変わらないが、エラがハーモニー、リズムとかみ合ってるのに
美空ひばりの胸声はブロークンに発せられていることが判る。
ひとつの理由は、日本語の歌詞を楽曲にのせるときに
脚韻が整っていないために、楽曲のアクセントと歌詞が必ずしも一致していないこと。
それとエラはアクセントが合わないと、メロディーを断ち切ってでも、歌い崩して巧くかわす。
1956年の美空ひばりはうら若き19歳。まだ歌唱指導を受けて成長する段階で
裏声をレガートにこなすのに躍起で、楽曲を歌い崩すなんて芸当はまだできないし
ひたむきで純情という言葉で飾るには、芸能生活8年の重みものしかかってる。
ただ、ちゃんと再生できると、歌声が分離せずに、天女の舞いのように羽ばたく。 裏声でシナを作るのは、芸者の歌い方をモディファイしたものだが
日本的情緒と新しい流行歌のスタイルの融合がはじまっていた。
洋楽が実声の200〜800Hz、子音の3〜6kHzで分離しているのに対し
日本語は800〜2000Hzの喉音のニュアンスが加わるので
この帯域の沈み込みは歌のニュアンスには致命的になる。
現在の2wayの設計で気になるのは、ウーハーの高次歪みを抑えるため
センターキャップを大きく覆って800〜2000Hzの音色が曇ってる。
一見するとクロスオーバー付近の歪みが抑制されて綺麗なのだが
発音の勢いが削がれてしまい、何を聴いても能面のような感じになる。
おそらく昭和の歌謡曲にいだく表情の薄さは、けして日本人の奥ゆかしさではなく
音場感でスコープを広げ過ぎて、表情が読み取れないのだと思う。 音場感が声の勢いをそぐのは、ステレオ理論の弊害もあって
スピーカーの定位感を出すために2kHz以上で指向性を狭めて
チャンネルセパレーションを高めることをしている。
逆にいえば、2kHzまでは指向性が90度以上あるわけで
このため喉音を太く出す歌手の定位は、おしなべてビッグマウスになる。
ステレオ初期のBBC LS5/1では、ウーハーを縦方向に仕切って
中低域までチャンネルセパレーションを高める方法をとっていたが
実際にはあまり効果的ではなく
最近になって後面にキャンセリング機能をもった
Musikelectronic RL901Kが出るまでほぼ皆無だった。
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ttp://esfactory.co.jp/products/musikelectronic-geithain/395-rl901k.html
低域から高域まで指向性を均一にすることも、歌謡曲の再生には有効だ。 高域まで指向性の広いスピーカーの弱点としては
ステレオ効果の点で定位感や奥行き感が出ず
壁面のように音場が展開することだ。
こうした平面的なサウンドステージは
クラシックの録音でさえも1960年代までは普通であり
ちゃんとした定位感の整理は1970年代のBBCモニターで
ミニチュアのサウンドステージのシミュレーションを行ってからだ。
ttp://downloads.bbc.co.uk/rd/pubs/reports/1970-13.pdf
それまでの録音が、ウォール・オブ・サウンドの世界であり
ステレオのチャンネルセパレーションも10dBもあれば
音の広がりが得られるという程度であった。
極端なピンポン・ステレオも、ポップスのあだ花のように残されている。 ポップスのステレオ録音を語るうえで欠かせないウォール・オブ・サウンドだが
実際のオリジナルはモノラル録音であることを、1990年代になって告白された。
フィル・スペクター本人が過去の録音を「Back to MONO」と銘打ってリリースしたのだ。
その後は1960年代のポップスにおけるモノラル録音へのリスペクトは急展開したが
個人的には1970年代までの歌謡曲については、モノラル試聴で問題ないと思ってる。 日本の場合、1950年代のベテラン歌手が1960年代末から
率先して過去のヒット曲をステレオで再録音してアルバムを残したので
モノラル時代の音盤はしばらく影に忘れられていたが
最近の10年の間で随分と環境が変わってきたように思う。
このため戦後歌謡のうちテレビ放送以前のアーカイブがかなり充実してきて
ステレオ録音への発展史のようなことも描けるようになったと思う。
ただし忘れてはならないのは、45/45方式のステレオ盤は
モノラルとの下位互換を意識して策定されたもので
歌謡曲においては1985年くらいまで
AMラジオや有線放送での試聴をすっと意識してミックスされていた。
このモノラル試聴の下位互換性をちゃんと評価すると
1950年代から1980年代までの歌謡曲をニュートラルに再生できる
夢の共演が可能になる。 とはいえ、映画館のトーキーシステムはスクリーン上の音抜けを防ぐため
2〜3本のスピーカーを並べることがあるので、ステレオもモノラル互換である。
某王国誌は、こうした背景もあって必ず劇場型の2ch試聴を続けている。
ところが一般の日本家屋では、モノラル録音をステレオ装置で聴くと
指向性の広いPA機器では部屋に音が氾濫してバランスを失い
指向性を狭めた高域がギスギスにやせ細った貧しい音で聴くことになる。
このため全帯域で指向性の広いスピーカー1本で聴くのがいい。
一方で、ステレオ録音をモノラル・ミックスする際の問題は
音場感を出すためのエコー成分が左右逆相であることが多く
モノラルにミックスした途端に高域がこもってしまうことである。
私なりに考えたのは、ミキサーで高域の差分を作ってあげることで
昔に疑似ステレオで行った方法の逆のことを行っている。
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逆にモノラル音源を同じようにして、少しリバーブを掛けると
ステレオで聴いても広がりが出て心地よくなる。
モノラルでないとキレが悪いなんていうのはジャズファンくらいだ。
ところが初期ステレオの2chモノ録音では
パンミックスを中央に寄せなければ不自然になる。
最近のコンピ物では、この時代感が混在してるのもあって
いちいち面倒なのでモノラル試聴に統一している。 ちなみに2chモノラルの分離を解消するのに
2ch信号のパンミックスを±3〜6dB程度に中央に寄せると
ちゃんと普通のステレオに聞こえる。
おそらく当時のセラミック・カートリッジの性能からみて
ちゃんとステレオに分離することは稀だったと思われる部分もある。
例えばソノトーン社のカートリッジは左右分離するのが6kHzまでで
スピーカーのほうが2kHz以上でしか分離しないことを考えると
かなりの狭帯域でステレオ感を演出しなければならない。
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過剰とも思えるエコー、左右楽器配置の分離は
当時のあまり性能の良くないステレオ再生環境に起因している。 ピンポン・ステレオの異名は、どうもAM立体放送でのテスト信号で
ピンポン球の音が左右でラリーしたことから来ているらしい。
しかし、左右に完全分離したステレオは、洋の東西を問わず共通のもので
オーケストラでも効果を出すため、ストコフスキーが右に低音、左に高音へと
グラディエーションが出るように配置代えをしたというのは有名な話である。
ディズニー映画でのトッカータとフーガでその効果が覿面に出てくる。
ただピンポン・ステレオからみえる家庭用ステレオの発展史は
けしてモノラルから急にステレオに移行したわけではなく
普通にふたつの信号を合わせるとバランスが整うという
モノラル試聴での下位互換性と理解するほうが道理が立つ。
つまりステレオ理論からみれば異端でも、モノラルで正統性が立つのだ。
この境界線を引き直すと、1960年代末までモノラル派に染まり
テレビがモノラル放送だった1970年代末までがグレーゾーンになる。
多くの人がステレオとカラーテレビを同世代に数えたがるが
歌謡曲の視聴者の実態はモノラルに支えられていた。
オーディオマニアとレコードコレクターの間にある溝くらいに深刻でないにしろ
その違和感が放置された結果、デジタル時代の試聴方法に齟齬が残っている。 1970年代のステレオ装置のステレオらしくないのは
オールコーンのスピーカーが多かったことで
この場合10kHz以上は全て分割振動である。
ヤマハNS-1000Mがかなり先進的だったこともあり
ハードドームがその時代のスタンダードだと思いがちだが
実際には1980年のCD発売以降に時代は下ることになる。
ここで問題なのは、コーンツイーターで聴いたことのある世代と
ドームツイーターでスタートした世代とで「良い音」の価値観が
思ってるより開きのあることだ。
あるいはウォークマン世代とも言えるが
超高域がいつも耳を刺激していないと落ち着かない。
若者だからモスキートノイズが聞こえるとか
そういう問題でもないように思えるのだ。
ところが1970年代までの歌謡曲は
10kHz以上はヒスノイズ、三角ノイズなど曖昧な領域で
むしろ高次歪み(リンギング)があってようやく艶やかに聞こえるくらいで
一部の最優秀録音だけがその辺まで楽音に留意していた。
1990年代のJ-POPに至る10年間がひとつのキーワードだと思う。 コーン紙から出る高次歪みは「紙臭い」と言われる音だが
歪みにもセンスがあるのだと感心させられるのが
JBL D130、Jensen P12Rのような古いギターアンプ用ユニットだ。
この場合は3kHzあたりから、リバーブのように高次倍音がのってくるが
むしろ活きの良さを保つために、D130が2.5kHz、P12Rが4kHzのクロスが標準。
共に30cm以上のコーンスピーカーとしては破格の周波数だが
それより下でクロスさせると、普通のウーハーと同じくらい大人しくなり
そのうえ低域が伸びないので、何とも食えないシロモノになる。
ところが、この大口径ユニットから出るボーカルが絶品で
歪みはむしろ声に艶をあたえるように作用する。
それと胸声の軽く弾む感覚も捨てがたい。
狭い帯域、低いアンプ能力でも魅力的に拡声する能力は
生バンドのなかでもピンと引き立つものだ。 日本語の喉音の繊細なカラーレーションを味わうのに
大型ホーンは最後の砦のような気もするが
個人的には大口径エクステンデッドレンジのほうをまず聴いてほしい。
比較的ローコストで、歌の真髄を満喫できるからだ。
腹の底から出てくる声の実体感を逃さず聴けるのと
何よりも軽いステップを刻むポップスの真髄がそこにある。
あえていえば口先だけではない、身体ごと投げ出すような勢いがある。
胸の奥底からでる溜息のようなものも、ふっと飛び出てくる。
このニュアンスを神妙な顔ひとつせず、自然体で出すのが本当のポテンシャルだ。 個人的にJensen P12R(C12R)を勧めるのは
現在も製造されていて安価に手に入るからで
それも本格的なジュークボックスで使われたからだ。
(C12Rが6,000円、P12Rが13,800円程度)
最初のエージングに時間が掛かるが
少しずつトーンを整えていくと、あらゆるポップスのアレンジは
このスピーカーから生まれたという意味が判る。
これはけして大げさなことではなく、アメリカ経由の電子楽器は
Jensenのスピーカーを標準として広まっていった。
そしてR&B、ロックンロールもジュークボックスを通じて
Jensenのスピーカーから流れていた。
下手にバスレフ箱などに入れずに、後面解放箱、平面バッフルに付けると
より自然なアタックでテンションの高い声が聴ける。
昭和の古い流行歌からアイドル歌謡までが活き活きと鳴り渡る。 Jensenの大口径エクステンデッドレンジがポップス向きなのは
ラジカセやテレビで聴いていた音調を拡大解釈するのに
最も的確なシミュレーションを兼ね備えているからだ。
10〜16cmだと当たり前に思えるボーカル域の機敏な反応は
機械的なバネを利用したフィックスドエッジにより
大口径になっても衰えないばかりか、迫力を伴ってくる。
少しキャッチーな分割振動は、大入力でも破綻せずに
楽音と連動してキッチリ艶のある隈取を与えてくれる。
小型フルレンジより6dBくらい能率が高いのも
小音量でも音痩せしない特徴につながり
声量の少ない日本人の歌唱を表情豊かに支えてくれる。 小音量でも音痩せせず、表情が豊かというのは
声の切れ際でのニュアンスが繊細というのに結びつく。
日本語の喉音には、他のアジア言語ほど明確なルールはないのだが
喜怒哀楽の表情は、おそらく日本人にしか分かりにくい内容だと思う。 ただし日本語の歌唱が外人だとダメというのは全く間違いで
テレサ・テン、グラシェラ・スサーナなど、それぞれの得意とする歌唱方法で
言葉のニュアンスを極限まで出し尽くす。
テレサ・テンの場合は、歌謡番組をみてビックリしたのが
他の日本人歌手が「気持ちを込めて」歌うように努力するのに対し
喉声のコントロールを完璧にこなした歌唱を披露する努力をしたことだ。
同じ印象をもつのはビング・クロスビーのような完璧なクルーン歌唱で
観衆を前にしたラジオ番組でも、全くブレずにバラードを歌いきった。
グラシェラ・スサーナは、ファドの歌唱法を取り込んで
日本人以上に静謐な間を演出するのが巧い。
誰もいない海、竹田の子守唄など、歌うことで静けさが増す
不思議な感覚に囚われる。自分の孤独に向き合うのに
絶唱で告白するよりも、ずっと暖かみのある感覚に包まれる。 ただオーディオ的に解釈すると
テレサ・テンは胸声をほとんど出さないピュアなトーンであり
グラシェラ・スサーナは深い胸声とファルセットを交互させる
全く逆のアプローチである。
テレサ・テンの難しいのは、800〜1200Hzくらいのニュアンスが命で
そこがマルっと抜け出さないと、歌の勢いがでない。
ぶっちゃけ、電話音声でもニュアンスは十分に伝わる。
グラシェラ・スサーナは200Hzと800Hzのレスポンスが揃わないと
語り掛けやつぶやきに深みが出ない。
実声に対し胸声とファルセットを瞬時に入れ替えてリズムを生むが
胸声がボワっと残ると繊細さが失われるし
中域のファルセットが繊細に出ないと歌が切れ切れになる。
音量とタイミングが揃うと、すぐそばに寄り添って歌ってる感じになる。 2人の外国人歌手の歌い方は、すごく理路整然としたもので
日本語の特徴を楽音として明瞭に形にしたものだ。
実は歌謡曲の再生には、もう一歩先の闇があって
言葉のニュアンスが楽音と完全に分離しないで混沌としていることが多い。
むしろ混沌とわだかまっているほうが、素直な心を示すとも理解されてる。
このカオスとなって中域に凝り固まるニュアンスの渦を
丁寧に解きほぐすことが、歌謡曲再生の第一歩となる。
低音や高域が伸びていても、ラジカセやテレビ以下の音しか出ないなら
昔の歌謡曲の音が悪いと言う前に、自分のシステムを疑ったほうがいい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています