1960年代の演奏の主流はノイエ・ザハリヒカイトつまり新即物主義であり
楽譜通りに演奏することで、作曲家の意図をストレートに伝えることである。
一方で、演奏者の技量も機械的に一寸の狂いもなく訓練されることが重要で
楽器の不安定さをあまり感じさせないモダン楽器の演奏形態もほぼ固まった。

1960年代のアメリカでのクラシックの録音に共通するのは職人的な気質であり
ハイフェッツ、セル、ジュリアーニ四重奏団など、その正確無比な技量は
人間技を越えていると感じたものだった。そういう定規で演奏家は測られた。
では、演奏に人間味がないかと問われれば、むしろ努力の塊のような
一種の熱情と爽快感が伴うと言っていい。スポーツのそれと似ているのだ。
クラシック音楽に、ギリシア彫刻のような人間の肉体美を感じさせるのは
この時代にクライマックスに達したアメリカ的なヒューマニズムのように思える。