>>939
何故オーディオマニアは客観的な検証や考察からひたすら逃げ続け、
「自分には違って聴こえるから変わるんだ!」「変えたら判る!」の一点張りで
公衆トイレの落書きのほうがまだマシの下衆な反応に終始するしかないのか?

オーディオマニアにとっての主たる動機のひとつは
いかに「自分は音の違いの判る男」であり「その自分のシステムはスゴい」か
を誇示しマウントをとるという実に浅はかで愚かしいことなので
もし「創造の館」のような立場の異なる考察は絶対に認めることは出来ない
それを認めてしまえば
自分がいかに蒙昧でメーカーが商売の都合で垂れ流すオカルトに流され
ただの空耳に散財し続けきたのかに愕然とし、死にたくなるからだろう

「思い込みでいかようにでも錯覚してしまう人間の曖昧な聴覚につけこんで、
高い、デカイ、重いだけでエントリーモデルと有意差すら無い環境保全に逆行する
虚仮威しのオブジェを、アナログ全盛期から思考が停止している高齢者をターゲットに売りつける」
というのが今のハイエンドオーディオのビジネス

そういった頑迷な高齢者に
「デジタル技術や回路の集積技術などが急速に進化した今、べースとなる性能が飛躍的に向上し、
 アンプやCDP、ケーブルなどの音の違いは人間の聴覚の閾値レベルでは認識出来ない」
「変わって聞こえるのはただの心理的バイアスによる錯覚」と指摘されると
途端に狂ったように怒りだして根拠も示せない誹謗中傷に明け暮れるのは
薄々は気づいているものの、それを認めてしまうと自我崩壊してしまうことに怯える
「理解出来ないことに対して怒り出す」かつてはそれなりの立場にあったであろう
誇り高き高齢者に多く見られる現象なのである