しかも死亡事故の際の遺族への対応も紹介されていて

「どうして、利次は死んだのですか」
桐山の一族はコーチに尋ねた。
コーチは、目下、警察で取り調べが行われており、自分では事情がよくわからない、と答えた。
父親たちはコーチの口ぶりから水死でないらしいことは想像できたが、
詳しい説明がヨットスクール側の関係者から行われないまま、悲しみと、いらだちのなかで時間を過ごしていた。
校長の戸塚宏の姿がない。
所在を尋ねると、目下、九州を旅行中であり、急ぎ、こちらに向かつているところだとの説明だった。

父親たち3人は利次の遺体と対面した。
利次の遺体の顔は、目と口のまわりが殴られた跡のように黒くはれ上がり、
目の下に傷跡、口のまわりには血がついているように、遺族には思われた。
父親たち3人は、ヨットスクールの用意した半田市内の宿で一夜を明かした。
九州に出張していたという校長の戸塚が、女性コーチを伴って現れたのは翌日の夕方7時ごろであった。
九州に行っていたうえ、新聞記者に追いかけられたこともあり、時間がかかって遅くなった。
「利次の死は、訓練中の事故死ではなく、病死である。責任問題についてはよくわからないが、
出来るだけのことはさせてもらう」――といった意味のことを戸塚は遺族に話した。
父親たちが戸塚に怒りをおぼえたのは、彼がそれを立ったままで話したことである。
たとえ天災地変で死亡したとしても、預かっている間の出来事に対しては責任者として、
両手をついて、心から申しわけなかった、と詫びてもらいたかった――と遺族は語る。
遅れてきたうえに、冷静な態度だったということが、悲しみに沈んでいる遺族の神経をさかなでした。

戸塚をよく理解し、彼の仕事の困難さと意義を認識、評価している数少ない人々は、
泣きごとも、弁解がましいことも言わず、毅然として男らしい態度であると感嘆し、
そういう態度でいられるのは、彼が最大限の努力を尽くしてもなお起こってしまった
不可抗力の事故に違いないと、戸塚に同情した。
しかし、圧倒的多数の第三者は戸塚の態度を、傲慢不遜(ごうまんふそん)であると非難し、
暴力教室、人殺しと口をきわめてののしる者も少なくなかった。
「態度が無礼だ」と怒った、死亡者の遺族たちはその典型である。

ヨットスクールのサイトである以上、美化したり、正当化できる部分を切り取る「偏り」が無いはずが無いのに、
元訓練生の言い分を裏付ける内容。
当然実態はこれよりもさらに醜い物だった事だろう。
もし自分の子供がこんな事をされたら、たとえ死刑になってもいいから戸塚を殺してる。
こんな偽善・独善の塊のような最低の男が存在しているのかと思うと、涙が出てくる。