この宇宙は何のため生まれてきたのか [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ある日、1人の無神論者の友人が彼を訪ねた。
友人は模型を見るとすぐにそれを操作し,その動きの見事さに感嘆の声を上げた、「誰が作ったのかね?」。
彼は答えた。「誰が作ったのでもないさ!」
無神論者は言い返した。「君はきっと、私のことを愚か者だと考えているのだろう。勿論、誰かが作ったのに違いないが、その人は天才だな。」
彼はその友人に言った。「これは、君もその法則を知っている、遥かに壮大な体系のごく単純な模型に過ぎないものだ。
私はこの単なる玩具が設計者や製作者なしに存在することを君に納得させることができない。
それなのに、君は、この模型の原型である偉大な体系が設計者も製作者もなしに存在するようになったと信じている、と言うのだ!」
その友人は神の存在を認めるようになった。 c点論者
「いのち」ある限り、宇宙「この世」はある。
総てのものは、「いのち」が前提。
最後のテーマは「いのち」しか無い。
ヘソマガリ認識論者です。 「いのち」という概念を物質的なものとして捉えるのか、
或いは、精神的(意識の働き)なものとして捉えるかによって、
その人が抱く世界観が大きく変わってくる。別な言い方をすると、
「いのち」という概念は、物質的要素と精神的要素の“融合”した概念
であり、「いのち」自体は精神的なものとして、且つ、物質的なものとしての
両義性(二重性)として認識・体現される。 精神的(意識)として捉えると、一元論的な唯心論となり、
「いのち」を物質的なものと捉えると一元論的な唯物論となる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています