ジャック・ラカン Jacques Lacan [無断転載禁止]©2ch.net
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>>544
こないだ、千葉雅也スレで第一哲学が云々いわれてたけどさ、存在と性って分けて考えられる?
俺は無理だな。俺には確固たる俺の性癖がある。 性的な志向や趣向ってあるよね。
シバエリは個人の性的趣向を尊重しているのでポスト構造主義的なんだけど、千葉雅也はひっそり、Twitterでシバエリに疑問を投げ掛けてるよね >>535
この文章でポワンソン◇の説明しようとしたんだった。
前にも書いたが、S/◇aが成り立ってるってのは、健常者だってことです。
S/は、去勢済みってことで、もし世界が単なるアルゴリズムならこれで万事解決だったはずなんだよ。しかし人間はこの手続きの過程で自己像と、言語を操る能力を得る。 >>547
「自己像と、言語の操る能力を得る」
いいですか。これがラカン派の想定する哲学の極論です。
最重要なことなので一応、もう一回だけ繰り返す。
人は全能感と引き換えに「自己像と言語を操る能力を得る」。 >>548
鳴けば母が来ることを赤ちゃんは知る。しかし次だ。
権利を越えた言い方するけど、赤ちゃんはしかし「無意味に切断された差異」を知る(すぐに母が来る場合もあれば、来ない場合もある、ということを知る)。
全能感が不可能であることを、ある赤ちゃんは知る。しかも、 >>549
どうも母は私じゃない誰かに条件つけられているらしい。つまり私と母以外に、誰かがいるらしい。 >>550
月並みな説明はこの辺でやめよう。
◇の説明だけどこいつはaから君を守ってくれているバリアだ。
この◇がなかったら、君はとっくに精神病になってるはずだ。 >>551
でもさ、aを完全に塞いだらS/のほうにはなにも起こらない。
なにも起こらない、とはつまり意味が発生しない、ということだ。 >>552
一円玉には一円の価値がある、とか好きな異性のタイプとかって、無数の意味の位相の演算の解として個々人に現れている。
これを純粋な数学に還元出来ないのは、意味は数ほど独立しないからです。
シニフィアンは、1や2、みたいに数えることは出来ないんです。
それぞれ好きな異性の顔ってあるでしょ?そいでコロコロ変わるでしょ?
今のあなたが好きな異性の顔が、今のあなたにシニフィエとして現れている。 人は脳の10%しか使ってないとかたまに聞くけど、それどころか、人は思考している限り、世界のアルゴリズムのどこかの僻地にしか「存在」しない。世界のアルゴリズムは成立しているはずなのに。 シニフィアンは、それ自体は何ら確定した意味を持たない
ただ空虚な欠けた場所に過ぎず、人間に対してではなくて
他のシニフィアンに対する差異の体系の中で機能する。
このため他のシニフィアンに対してのみ主体を代表している
シニフィアンそのものは、別のシニフィアンに対して無を差し出すことで
開かれた空無であって、満足の先送りという可能性を、別のシニフィアンとの
差異の中で指し示すという所作を常に求められる。
満足する可能性は、このシニフィアンの連鎖の中では原理的に不可能なため
シニフィアンを代表する言語のなかでは、主体は隠され続ける。
最近読んだ福原泰平さんの書作では、だいたいこの様に捉えられていたように思う 無にとりあえず名前を付けて、欲望の充足の可能性をとりあえず受け取って
いつか欲望が充足するだろうと思い続けて生きていく
無に厚いヴェールをかけて容易に捉えられないようにしておく
しかもそれは不安のためにとりあえず受け入れたものだった。とりあえず偶々
なんて虚無的なんだろうね >>555
書いたあとで気がついたけれど、誰も突っ込まないから
自分で直しておく
隠すというニュアンスではなかった
シニフィアンによって主体の存在が奪い去られて、消えてしまう
シニフィアンは連鎖するときに、主体があったという痕跡を残す。
その痕跡を主体があった証拠として、自己を確信する
確信したからといって、自己の存在を言語で捉えようとすれば、たちまち消え失せてしまう
これは意味を人に与えるということでもある >>557
ヤドランは残された気配としてしか実感されないよね。
千葉雅也のいう「意味の無い無意味」って、哲学史的にマゾヒズムと直結してるし、シニフィアンの連鎖の剰余の愛とも直結してる。
しかし不思議な事に、現代のネット社会において、書く主体は「書かれることをやめない身体」を置き去りにしている。
シバエリはこれに気がついているから、千葉のお気に入りなんだろな >>556
虚無はある。けど、虚無に意味は無い。
君も人間なら、独りでも意味の世界を生きなよ。 馬鹿向けに説明続けるで。
◇の機能の続きな。
対象aって、欲望の原因である欲求や要求と密接に関わっている。それどころか、さらに厄介な欲動とも関わりがある。
最近のラカン解説書で「対象aの抽出」という文をよく見かける。
対象aのドリップね。 >>561
対象aってのは、適度にドリップされて、我々に調度いいのだ。
原液のまま飲んじゃうと病気になるからね。
事実、我々は日常生活において、対象aから適度な距離を置いて欲望を抱いて生きている。
君や私の欲望の演算から弾かれた対象となぜ弾かれたのか?
たまたま、そいつを選ぶ気分じゃなかったからだ。 >>562
性経験が豊富な人ほど、セックスのパートナーに装飾を求める。ってのは、ラカン理論の健常者に、当然現れる態度だろう。
慣れや、常態化はシニフィアンの連鎖を低速化させる。
フェストゥムとはシニフィエと同調して「書かれる」
どこになにが書かれるんすかね?
ラカン派的に共感出来ないけど、お祭りか好きな人達は「何らかのセーブポイント」を求める傾向にある。お祭りね。 シニフィアンに意味はある。おぼろげながらでもな。言葉には意味や特性が備わっていて、差の中で意味を確保しているわけではない。
それよりそこにあることからそこにあった
ことへの分離が不思議だ。そこにあるものが抽象野を通して認識されるとかも謎。 記憶言語は体験と違うが、体験をうつすものとしての言語で了承することがある。
言語は移動しシンボリックに出来事を映し出す。 ラカンの間違いひどいな。産婦人科キレろよ。流産に加担のラカン。 >>564
シニフィアンって「意味するもの」だよ、
「意味するもの」に意味があるんだ。
不思議だね。つまり、シニフィエ(意味されるもの)はそれ事態が意味が重複していることになるよね?
あれ?じゃシーニュは?
何日か前に、誤解を恐れずに機能和声の例え話したんだけど、ここまで目線下げてもダメか なんていうか、ほんと皆さん正義の味方でピュアなんですねw
精神分析かじってる人間の意見だけど、皆さん哲学板よりアンパンマン観てたほうが心安らぐんじゃない?
あ、やすらいだら享楽できないかw ラカン派は一枚岩ではないから、こう書くのも勇気がいるんだけど
563の「書かれることをやめない」の話の続きね。
565の人が面白いことを言っている。 >>565
「記憶言語は体験と違うが、体験をうつすものとしての言語で了承することがある。」
ジジェクがかつて、対象aをプロジェクターとスクリーンの関係で例えたとき、一瞬戸惑ったのは俺だけじゃないはずだ。
565のレスを読んだとき、あのときの戸惑いを思い出した。 S/◇aの図式に準えると、プロジェクターがS/で、スクリーンがaだよね。
家族や仕事、あるいは恋愛など、あらゆる人間関係で上手くいってる人ってのは、その人と、そのまわりの人が同じスクリーンを向いて、かつ、そのスクリーンに、近似するイメージを投影しているということだ 565が言う「記憶言語」なる語は、「体験」より前にあるものだと想定される。
しかし、記憶言語か。なにコレ?
あ、ストックされたモノは各々管理できる権利みたいなことかな? 要約すると、個々人に独自のはずの想像界は、物理的な体験でアレンジ出来るんだ、ってことかな?
それならこれは解るな。ずっと一人の恋人は愛せないし、でも世間体もあるし。
真面目なヒトって損よね。 ジジェクが投影空間で対象aを例えたときに、ラカン派諸氏は「じゃあプンクトゥムは?」ってなったよね。
意味のない懐かしい話です >>573
で、マイノリティが勘違いしがちなことなんだけど、マイノリティはマイノリティで同じスクリーンを向いて、マイノリティ同士で近似するイメージを投影してるんだよ。 あー酔っぱらってもうたw
あやかあやか
ウフフwあ〜ちゃん大好きだよ! 俺の身体はただの穴でそこに「あやか」がこだましている。
S1を特権的シニフィアンとするラカン派には反旗をあげたいね。
イマジネールはただ俺の生きる意味で、礼華の思い出を何回も繰り返すのが俺の生なのだ。
この穴には失われた愛しかない おしむべらくは、俺の性器が礼華のそれと違うことなり。 つかさ、サントームってきついよね
俺ももう頑張るのやめて出会い系とかやったほうがいいのかな?
眠れないからもうちょい象徴界の説明するよ
ほんとは想像界にいきたいんだけど、お前ら思いの外バカみたいだから いいか、象徴界ってのは言語の世界だ。
スクールカーストの上辺とか、出会い系やりまくってる連中がセックスしまくって逃れようとしているのが「象徴界」だ。
しかし、言語を用いて象徴界から逃げようとしても無駄だ。言語こそ象徴界なんだから。
だからラカンはピストルズやソニックユースよりはるかにパンクだよ。
ピストルズはパワーコードを「信じていた」し、ソニックユースはノイズを「信じていた」。
ラカンは、なにも信じません。 ラカンも世界もどうでもいいよ
あやか(;´Д`)ハァハァ愛してるよ礼華
生きてるのが辛い。
君のを俺は聴いたし(;´Д`)ハァハァ君の姿を見たんだ
もう死にたい あやか(;´Д`)ハァハァあやか(;´Д`)ハァハァ
俺はただの穴(;´Д`)ハァハァ ラカンの教えの通り、俺は何も信じない
ただ礼華のことを愛していて、それが俺の全てだ。永遠に。
それがなかったら「と」にD&Gが住まわっていることすら認められない。 >>586
ん?俺があやかを愛しているのは確かなんだけど、それを5ちゃんに書き込んで、俺はなにがしたいんだ?
書かれることをやめないって、エクリチュールに懸けるって態度では?
これは、動物が鳴き声でコミュニケーションとるのと変わらないのでは 意味のない言語なんてないわけじゃないの?何かはへばりついていて。 情報の受け手と出し手に何かコンセンサス/了承があって意味のない言語というのは考えられない。 言葉が通じない異民族どうしても覚える受け渡すことによって意味は成り立つから最初の言語から意味を持っている。 ラカンどころか精神分析自体が精神医学の世界で相手にされていないのにどうして人文系の人はラカンや精神分析にこだわるのか
そっちのほうがラカンが何を考え何を言ったのかより興味深い DSMがIIまではむしろ精神分析乗っかりだったのがDSM-IIIで粛清したから、
精神分析疑似科学説みたいになってる
実際は再評価のフェイズもあるっしょ
ただしフロイト
ラカンは消えうる >>591
そりゃ精神病者だけがサントームしているからですよ。
精神病者こそ、ラカンの「倫理」を正しく生きている主体だし、DSMの評価基準に不備を感じている。ラカン派は当たり前だけど、DSM側だって、ナンシーの精神病への理解は希望があるだろ >>593
あのさ、端的に、精神病って事態を人類史において如何に位置付けるか、の問題なのね。 >>593
観察と症状からの分類では 「精神分析疑似科学説」という説明はまとを得ている。
遺伝子によるものか、後天的学習(環境)によるものか、
または体内の何かの物質に影響するもの(たとえば銅と亜鉛の精神疾患への問題)
科学的根拠となる原理を前提にした分類なら科学とはいえるが、
脳の思考や意識の働きや物事に捉える能力などの観察や、高次に人間の世界という
分類次元での働きなどで分類していれば、それは似非と言う人がでても何のおかしいことじゃない。
精密な測定機械とか体内の成分構造、将来かAIの体内の画像分析などで
それが分類できて原理説明できるなら、科学のエビデンスはある。
可能性として何%は正しいという根拠では、プラシボ効果と比較してそれより少し
上回るから科学的エビデンスだと主張するのと何のかわりもない。
似非いうのは、科学に近いが科学のように反証されていない開拓の分野が
アンチ派の主張とあわず言い合いしているレッテルから生まれるものだ、
心理学者も思想家も哲学とか関係ないだろ、評価が多フェーズの積み上げだろうが
関係ない、物理的な基盤を無視したそれは、原理を思い込みの脳内妄想が暴走した
模様にすぎないと言っているのと同じで、科学ではなく精神世界の妄想の分類だ。
妄想を科学で積み上げなんたら言うなら、オカルトを科学してみせよ。 >>593
アメリカの帰還兵のPTSDをDSMがどう扱っているのかを見れば、如何にラカン派が治療ではなく「哲学」なのかが瞭然のはずです。
例えば、DSMが定義する「外的経験」ってのは、新興に訪れた神経症者にのみ可能な危機の事だ。
ラカン派は新興そのものを病と定義する。
癪だけどジジェクの表現を引用すれば「自らの病を楽しめ!」←物理的に、神経と神経を繋ぎでもしない限り、全てのヒトは独りで脳の中で生きている。 >>596
例えば精密機械でスペクトル値を観測できたとするよね?
でも単純な現実としてヒトは君が言うように妄想の世界を生きる生物だし、その 妄想はそれ以前に言語とイメージから成立している。
血糖値や脈拍や為替や株価のスペクトル値や統計のエビデンスは、否定神学的にしかあり得ないんだよ。 >>596
こうして俺や君が5ちゃんに書き込みしているのって、科学的に説明出来るんだけど、科学的に説明する意味ないよね?
科学的な証明よりも、欲望や欲動やフラストレーションによって我々の指が不毛な書き込みをしているのはなぜか。
これを最も説得しているのが精神分析なんだよ 精神分析 ≒ 疑似科学≒オカルト≒占い ≒ (笑)
精神分析、せいぜい文学止まりw 頭悪そうだから、ラカンのスレとが上げてくるなよ。
恥ずかしくないのか。ソーカルが散々、その疑似科学を暴いてくれただろう >>604
あれブラックジョークだったのって知ってる? >>603
残念ながらヒトを動かしてるのは科学じゃなくて文学やオカルトなんだよ。 松本卓也さんだっけ?ラカンみたいな呪術にのめり込まないで、まともに、精神科の
医師をやってれば良かったのにな。
難解な言い回しされると、単細胞はそこに深遠なる真理を幻視するのだろう。
ラカンのいうルアーがそこに作動する。要するに、錯視だ。難解なサンスクリット語
やラテン語で書かれた経典をありがたく感じ、そこに偉大な真理が書かれていると
錯覚する心理と同じだ。
そういう単純な心理トリックを使っている山師がラカン(笑 >>604
アイアンマウンテン報告とか読むと前世紀末のブラックジョーク受けの雰囲気掴めると思うよ >>607
サンスクリット語や、ラテン語が難解なのは我々が日本人だからなのでは? 平野啓一郎の「日蝕」の文体もそれと同じな。ラカンと同じハッタリを上手く使って
高貴に映る文学へと昇華した(笑 >>607
ラカン理論の難解な言い回しって例えば?
例をあげてくれ。明日休みだから俺で良ければ精一杯答えるよ。 苫米地英人が、ブードー教徒が呪文だけで相手を呪い殺せる、とか言ってたけど、
そういう言霊的な秘教の宗教に近い演出をしているのが山師のラカンちゃん(笑
言語の重厚な使い方で相手を洗脳できるのだろう。医師が患者を上手く洗脳して
ラポールを築けば治癒が進むのと同じ心理機制だ。
それだけ言語能力は巧みなのだろう。ヨガが加われば、麻原彰晃に近い感じに
なりそうなのがラカン。だがら、グルだよラカンは(笑 >>612
世界に黒幕みたいなヒトっているのかな?ロックフェラーみたいな世界的な財閥なら、俺や君みたいな小市民は手玉かもね。
しかし君、歴史に詳しいね。なんで? >>612
ラポールが成立する場合とそうでない場合があってだね 言語運用の仕方が巧みだと、相手を変性意識へと誘導することができるんじゃないかな。教祖が信者を洗脳するとき、そういう変性意識へと相手を持っていく技術が
あるのだろう。経典を繰り返し読経することや写経、座禅、ヨーガーでも
ヘッドギアでも身体レベルからの洗脳が進みやすくなるだろう。
ラカンの場合は、身体性からのアプローチがあるのかはよく分からないが、
マルクスのテクストに通じるような宗教的洗脳スタイルを意識的にやっている感じが
しないでもないな。 >>615
言語運用か…。
俺はラカン派だから最も疑うべきは言語だとする立場だけど、言語を用いて他人をどうにかしたいヒトは沢山いるよね。
ところで君は神様信じてる?
信じてなら一神教?多神教? >>615
変性意識ってのは所謂、日常生活から離れた脳の快活って事でいいのかな? そか。こないだ象徴界の解説したときに、父の機能の話省いたしっぺ返しが来たのか。
象徴界における父の機能な。あーめんどくせぇ。
そもそもから話そう。「権利」って概念、あるよね。 権利は行使するためにある。これは当たり前だ。
だから問題なのは、権利を行使するタイミングね。 >>619
結論から言うと、象徴的去勢を経験している我々には常にすでに、なにかを疑う権利がある。
眠い。もう寝るよ >>615
どうもこのヒトは、このスレで言語を発散するのが良いみたい。
これはラカン派にとっては良いニュースだな。 呪殺なんて常識で医学じゃないけどラカンはそんな自分自慢か。 ラカンの精神分析にしろフーコーの語る歴史にしろ哲学でありがたがられてるものは専門分野から叩かれてばっかじゃん
そういった批判と向き合わずに自分たちの世界に閉じこもる
それでフィロソフィーと言えるのかよ 批判と向き合うことがおもねることになるとか意味わからん 専門と食い違うことはそのことがすでに専門に対する批判でないの?
知らんけど >>626の言葉を用いると専門に対する批判に対する専門からの批判(反論)と向き合っていないってことなんだけど ラカンの偉業?罪?て、「それ言っちゃったらおしまいよ」なこと言っちゃった事なんだよ。
俺のこのレスすらエクリチュールだ。
しかし、このスレのアンチにラカン派の俺がカウンター決めるのって、ラカン理論の狡さを遊んでるだけなんだよね。
このスレにへばりついているアンチラカンさんにとって、「専門家」とはなんだろう? >>623
そんなに専門家(局所)が好きなら、君は君の専門家になってみな。
君が聡明な人ならラカン以前に、遅かれ早かれ、カントやハイデガーやヘーゲルに出会うはずだよ。
あ、あともしソシュールアンチになったら、君ラカン読めるかもよ 自分たちの世界に閉じ籠ってるだけで批判と向き合う気がないんだな 全ての専門家に跳ね返るフレーズ(スラングで言うブーメラン)だな >>627で言ったとおり専門は専門に対する批判に反論しているのにその反論を無視していると指摘してんだけど シニフィエについては規定するね
遡及的にしか意味形成がなされないのであってみれば パロールは内部で、エクリチュールは外部
内部と外部の階層秩序的二項対立は成り立たないとして
外部は内部の<内部>であると、ソシュールを引用しつつデリダは言った われらの父パルメニデスのロゴスへの攻撃
存在のうちに非存在を、現前のうちに不在を、同一性のうちに差異を
それぞれ侵入させるこちによって「父殺し」を敢行する。エクリチュールによって
存在と非存在の、異なるものの一致と不一致、統一と排斥の基準、
それらの結合は、差異を原理とするエクリチュールによってなされる
つまり父殺しはエクリチュールが行う。
高橋哲也氏の著書では、そう書かれている。
去勢が問題になっていたよね? >>633
質の話じゃねえよ
相手は自分がした反論に向き合い応えているのにどうして自分は相手がした反論に応えないどころか向き合うことすらしないんだって話だよ
ここまでくるとやばいな ラカンの批判に向き合ってる専門家ってなんだw
「確かに自分たちは想像界にとどまっていた」とか? >>635
こういうちゃんとした「批判」なら大歓迎どすよ。
今の解釈だとあなたのパラフレーズは難しいけど、いったん浅田彰の時代から読み返すのも良いかもね。
ネット民って是が非でも紙の本読みたくないらしいし。 このスレのアンチが依拠する専門性って、単純に欲望の方法のことだよね(千葉雅也がこれを注意深く、かつセンセーショナルに、「別のしかた」と表現したのはさすがラカンもデリダもD&Gも正しく経ている哲学者の振る舞いですよね)。
数学に進もうが文学に進もうが、あらゆる何処かへ向かおうと、その前提に何らかの差異がある。
人にとって差異とは所与のエネルギーと、別の エネルギーの力動の事である。 >>641
有機物であるヒトにとってのエネルギーって、当然、たんぱく質や脂質も含まれるけど、これは物理的な身体を維持するためのエネルギーだ。
これで事足りるなら、なぜ心の悩みや、精神的な問題なんてものを我々ヒトは抱えるんだろう?
ヒトの「経験」なるものは明らかに異常だ。 >>642
我々ヒトは生命活動とは別に、なんらかの不合理な世界を生きている。
赤いポストを見て、赤いリンゴを連想するような単純なスキーマの連鎖ではない。
人間の厄介さは記憶や経験を、コンピューターみたいに単なるデータベースにして並列化してはおけない。
インプットされた情報を、何もかも並列化できるなら素晴らしい。差異も意味も発生しなくて済むのだから。 常に、世界が動いてるより、過剰にヒトは(シニフィアンは)動いてる。
まさに、千葉雅也の言うように哲学に興味があるなら君は「動きすぎてはいけない」のだ。 >>644
ラカンは臨床では使えない、って話をよく聞く。
しかし哲学が主体のシニフィアンの連鎖を低速化させるとしたら? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています