数学を初めとした理系の学問と哲学について 12
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>>だから、全部言葉は概念なので、現実のものと対応したものなんてない。 あらゆるものがゼロと1で記述できる情報化社会。 リンゴというこの文字もデジタル情報だし、色も、重さも、遺伝子配列もデジタル情報で記述できるんだから、 リンゴ=糖度、質量、・・・・など数値情報 つまり、一般言語=数となるので、一般言語は数と同様に概念。 はい、論破。 対応していようがしていまいが数の概念には何の問題もない ということは 数の概念は自然物や人工物から独立しているということ だから この一言が数は自然物や人工物に対応していないことの証拠になるよ と言える 自然物や人工物が数の概念に対応していようがいまいが自然物や人工物にはなんの影響もない ということは 自然物や人工物が数に対応していない事の証拠になる >>6 よかったな 数は自然物や人工物に対応していないらしいぞ 論法が、自家撞着な上に、個人の実感の話でしかない。 実感を普遍のロジックに落とし込むのが哲学なんだけどな。 ぼくら理系が一番嫌悪するタイプ。神は全知全能、なぜならそう思うから。というパワープレイはどうしようもない。 >>9 どこが自家撞着なのか どこが個人の実感なのか きちんと指摘すればいいのに そういう印象操作や人格攻撃は理系が好むタイプなんですか? >>6 だからなんでまた自然物と人工物わけたのさ? 必要なかったって自分で言ったくせに >>6 「自然物や人工物が数の概念に対応していようがいまいが」で前提条件で対応していない場合について言及しておいて、 「自然物や人工物が数に対応していない事の証拠になる」と結論で前提条件をなぞってしまう、まさに自家撞着。 しかも結論において、影響とか、対応とか、いくらでも逃げられる漠然とした表現を使ってるからお前がなにを主張したいのか意味が分からない。 数字を語っておきながら数字やロジックに弱い、文系馬鹿のたわごとですね >>6 は私ではないけれど 分ける必要がない≠分けてはいけない だから別にいいだろ >>13 それ前スレの>>979 が 対応なんてそもそもしていようがしていまいが5にはなんの問題もない って書いたのが始まりだからね なんかごめんな 4を逆に書いてみたかっただけなんだ つまりただの言葉遊び 弁証法を理解してないから馬鹿が露呈してるって話よ。 言葉遊びってロジックを理解してないと遊べないんだよな。 >>15 その他学問と哲学について。 …大雑把過ぎてピンと来ない。 理系の学問、ていう表現も焦点が合ってない。 科学と哲学の関係について、でどうだろう。 私が書いたこの↓のレス 859考える名無しさん2018/06/17(日) 05:35:27.210 なぜ、数というのがなぜ具体的な存在物や対象に縛られない、抽象的な存在 である のかと言えば、そこに普遍的な共通認識を付与する意味があるからだろう。 たとえば、「哲学とは何か?」という命題なら、それに対する解釈なり意見は 千差万別となって、そこに共通認識が発生しづらいのに対して、 1 + 1 = 2 や、a + b + c = a + c → b= 0 などは、時空を超えて共通認識が得られやすい。解釈が一意に収束できる、 もしくは収束しやすいのが抽象的な構造を持つ数学や数で、 そうでないのが、具象的な世界。 から、バズっていて笑える。新スレまでできてて笑える。議論するなら、 私のように冷静にしなよw。上の>>859 レスの意味は、数学実在論を指している とも言えるので、数が現実の対象物(自然物、人工物問わず)と対応してなくても OKという立場だよ。純粋な概念としてだけでも成立しうるということ。 もしくは、具象との対応関係は切断された純粋な概念として考えた方がいい だろうね。そういう意見の人がいたけど、それは私と同じ意見ね。 メイヤスーも同じ立場だと思っているけど、極端な話、人類が滅びても、 数学はそれ自体として実在している。だから、数学を用いる主体は人間で なくてもAIでもいいし、数学を解する宇宙人がいるのであれば、彼らが 使うことだろう。しばらくこの宇宙に数学を扱える主体がいなくなっても、 数学は実在として存在している。だから、現実の対応関係なんて問題では ない。 数との対応関係に、ケーキやリンゴ、車などの具体物を持ってくるのは、 数的概念を理解しやすくするための方便や初めの教授法みたいなもので、 それは数や数学の本質とは関係ないものだと思うよ。 いきなり抽象的な説明から入ったら、小学生とか数を理解できない恐れが 出て来るので、彼らにも理解できるような簡単な対応関係で例示してあげて いるだけでしょう。具体的な対応物だと、その概念を巡って解釈が紛糾したり、 数的概念が狂ってしまうので、数や数学的な概念は、それらの具象性や具体物 とは違う次元なり位相にあると、捉えておけばとりあえずは良いだろうね。 前にも書いたけど、数学実在論の発祥の源泉は、プラトンのイデア論だよ。 数はイデアなのだから、抽象的になるのは決まっているし、数学を用いる主体 が仮に、この宇宙からいなくなっても、数や数学は存続-実在しうるのは当り前。 実在論は、ある対象が実在していることを観測する者、理解する者、あるいは、 ある対象なり概念、抽象的構築物を用いる主体がいなくても、それ自体で存在 しうる、ということだからね。 >>28 思うとか、だろうとか…何に対して何を言明してるのか判らん。 >>31 自分の中で補完して読めばいいんじゃないの。 たとえば、ユークリッド原論だと、点の定義は、 「位置を持ち、部分を持たないものである」となっている。 と、やはり数学の定義なり公理は、抽象的な説明になっている。 ゴマやホクロに似ているものが点ですよ、なんて書いていないよね。 なぜ、ユークリッドが点の定義で、「点とはゴマに似ているもの、あるいは、 ホクロやピリオドに似ているものである」という風に具象的に分かりやすく 記述しないかと言えば、それは、具象性や具体性を巡る理解が地域なり、 時代、個々人で異なるので、あえて普遍性を担保できそうな抽象的記述にした のだろう。同じ野菜でも、日本や外国だと大きさが全然異なるので、全く 違った種類の野菜にさえ映ることもあるから。 つまり、どういうものがゴマやホクロなのかというイメージや概念、そこに 感覚する物理量、印象は、地域や個々人、時代で異なるかもしれないので、 それらを使って点の共通理解を付与することが困難になるだろう。 だからユークリッドは、「点とは位置を持ち、部分を持たないものである」 とあえて、抽象度を上げることで、時空を超えた、どんな主体(人間でなくても 数学を解する知能のある主体であれば誰でも)でも共通理解が得られるように 配慮、工夫した表現を選択したのだろうと思われるね。 日本人が抽象的な思考が苦手な理由は、島国の単一民族なので、具体性を通しても 一般的に話がスムーズに通るからだ。具体性使っての共通理解が得やすい。 ユダヤ人は科学者や数学者も多く、知能も高い民族という印象があるけど、 彼ら追われる身の流浪の民には、抽象的な思考が必然的に要請される。 日本人のように、自国で安心して暮らせるような土着性がユダヤ人にはない ので、抽象次元で存在し得るような次元の高い思考モデルを案出できる。 また他国で論理が通じるように、抽象度を上げた説明モデルなり、 交渉、理念なども必要とされたことであろう。日本人は崇高な理念などあえて 掲げなくても平和に共存出来る。 ヒットラーは絵描きになりたくて、かつて絵の学校を受験したのだけど、 落ちて画家になるのを諦めたんだよね。彼は具象的な絵画を描くことを好んだ。 だから、ヒットラーが前衛アート的な抽象絵画を得意とするユダヤ人を憎悪した ことも頷ける。土着性のヒトラーやハイデッカーの思想と正反対の極にあるのが 抽象的なユダヤモデル。彼らがネットやIT、フィンテックのような先進的な 金融工学を駆使するのが得意なのは、ユダヤ人にそうした抽象思考モデルが存在 するからだね。フェイスブックとかグーグルの創業者もそうしたユダヤ系。 マルクスもユダヤ人でしょう。 >>32 違う。 本人が解ってないだろう、という意味。 いや、断言調の多用の方にこそ、カルトや宗教、イデオロギー的偏見や独断論的 主観、すなわち、そこには非論理的DQNな言説の有する特徴が見られるだろう 確率一つとってみても、それが抽象的な概念として存在していて、 その現実との対応関係は、抽象的な確率モデルとは正確には対応・ 照応していないことが分る。 たとえば、サイコロの各出目の出現確率は、抽象的な概念上にある 確率モデルなら各出目共に1/6だけど、実際のサイコロには物理的な ミクロな偏差なり、素材による差異なり、そのサイコロ投擲を試行する場所 なり、土台の偏差なり特徴、環境によって、各出目が1/6でなく、 特定の出目に確率的な重みが1/6より大きくなったり、小さくなることも 十分考えられるだろう。 それは、プログラミング上で行うランダムな乱数を用いて実装した サイコロを使っても同じで、たとえ、そこではホワイトノイズなどから 不規則、すなわちランダムな値を拾っているように見えても、それで 偏差がゼロになる訳でもなく、あくまで、ランダムに見えるような アルゴリズムがあるだけで、実際には仕様によっては、ある出目に偏った 乱数が生じることもあるだろう。つまり、ここでもサイコロの出目 の出現確率1/6は、あくまで、抽象的な概念上の世界での話であることが 分る。 そうした数学的な抽象の世界を実際の具象の世界に落とし込むと、物理的な 誤差なり、プログラムやアルゴリズムとして偏差が生じる可能性は常に あるということ。つまり、抽象モデルと具体的現実との間には、ミクロレベル でのギャップがあるだろう、ということだね。だから、数学はあくまで 抽象モデルで、それがそのまま現実とストレートな写像的対応関係がある と考えてはならないだろう。 >>26 > なぜ、数というのがなぜ具体的な存在物や対象に縛られない、抽象的な存在 > である のかと言えば、そこに普遍的な共通認識を付与する意味があるからだろう。 普遍的な共通認識を付与する理由が数にあるってことにすれば、数を抽象的な存在 であるかのように思わせることが可能だ っていう思考回路で作文したのか 理由というより、そういう機能や作用が抽象的な存在物である数や数学にはある、 ということだよ。とにかく君の数を具体物と結び付けないと気が済まない感覚は、 小学生レベルの抽象度の低さであることだけは、明示的に指摘できるよ。 数や数学を抽象的な存在物であると言いたいのは感覚が小学生レベルだからなのか >>46 数や数学は抽象的な存在物だから普遍的な共通認識を付与する機能や作用があると言い張らないと気が済まないだけなんだな。 それなら、数の関係を抽象的=数学的に表現する例を一つあげてみるよ。 >>45 >>47>>48 のような小学生レベルの思考力だと抽象度が低いので、 こうした抽象表現そのものが、考察不能な対象となるだろうけどね。 S= {(x1,x2,x3)| xi=0,1 (i=1,2,3)} に対して、この集合Sの元xに、次の全順序集合の関係を与える。 (x1,x2,x3)≦(x1',x2',x3') ⇔def x1<x1' or (x1=x1', and x2 < x2') or(x1=x1', x2=x2',and x3≦x3') すなわち、これは辞書式順序となっている。 上記の表現だけで、集合Sの各元xの配列は、 {(0,0,0),(0,0,1),(0,1,1),(0,1,0),(1,0,0),(1,1,0)(1,1,1),(1,0,1)} と2^3=8パターンで表せるし、これを式で定義した辞書式順序で大きい順に 上から並べると、 (1,1,1) (1,1,0) (1,0,1) (1,0,0) (0,1,1) (0,1,0) (0,0,1) (0,0,0) という風になる。モデルとしては抽象的な数学上のモデルだけれど、これを 現実に具体物に対応・照応させたいのであれば、辞書にこのアルゴリズムを 使えば、数学的概念である全順序集合が辞書という具体物のインデックスと して使うことが出来る。ここで大事なのは、別に辞書のインデックスを作成 するために全順序集合や半順序集合の概念が出来た訳ではないということ。 あくまでそれは純粋に数学的な要請であって、ただ、たまたまそれと辞書を 対応させることが出来たというだけのこと。 抽象的な存在物である数学には普遍的な共通認識を付与する機能や作用がある 例えを証明する例えを一つあげればいいだけのこと。 無駄に記号表現を羅列しただけの自己満足の記号創作例を 抽象的な数学上のモデルって・・・ものは言い様だなw >>26 で展開した自説、わざわざ前スレから引っ張ってきて自分で貼り付けて宣伝するあたり・・・ ・・・ 「age」たり「sage」たり[]たりしながら、数学をはじめとした主張を数式で創作した抽象系で表現するのが哲学 だと勘違いして書き連ねているけど、本人はいたって本気なんだろうなぁ >>50 それは本当に「たまたま」なのかな? この世界は「たまたま」存在してるんだろうか? >>60 何言ってんの? 50かどうかとか関係ない 宗教勧誘の人が言ってたよ この世界があるのは「たまたま」じゃないって 宗教勧誘の人、俺にはたまたまご縁があってお伺いしましたって言ってたな 自分を含むいろんな人が あるときはわざとあるときは気が付かないうちに >>43 >>50 そんな長々とした例を持ち出さなくても、2分の1のりんごは実際にぴったり2分の1なんてことはありえずない、なら一行ですむんじゃないの? >>69 上で乱数プログラミングうんぬん言ってる人がそうじゃないの? javaがお約束のコードが多すぎで冗長で辟易してきたから、今kotlin勉強してる これからコードはkotlinを希望しまーす→ラムダ式の人 計算すると期待値が無限大になっちゃう事があるんだってね サンクトなんちゃらのパラドックス 現実じゃそんなことにはならないはずだよねきっと どっかの段階で厳密さを切り捨てて考えれば >>72 パラドックス集めた本を一冊読むといいよ たくさんあって楽しいぞ 世の中にはとんでもない馬鹿がいるし 自分が馬鹿だと気付いていない馬鹿もいる 馬鹿に自分が馬鹿だと気付かせることほど難しいことはない 兵糧計算、治水灌漑 のほうが有益州 北伐出師の表もなつかしいねえ。 プラトン主義って現実世界に存在する物体や概念はすべて影であり、真の実在(イデア)は天上界にあるとするイデア論だとか・・・ 数学実在論も人間の知識にかかわりなく数学の抽象的構造は人間が創造したものではなくイデアから発見した客観的な存在だと・・・なんじゃこりゃ πが超越数でないとすると、πは代数的数で、πの有理係数の最小多項式が存在する。 超越数の証明における背理法の議論では、基本的にこのことを念頭において上手に矛盾を導く。 証明法には、オイラ−の等式を用いる方法や、他の方法もある。 πより前に超越性が示されたeでも有理係数の最小多項式の存在性を仮定する点では同じ。 こちらでは、多項式関数や積分を設定して上手に矛盾を導く。 代数的無理数やeの無理数度は2だから、eの超越性の証明にはディオファンタス近似は使えないだろう。 プラトンは宗教じみた観念を書き綴り、生命とはうんたらかんたらと述べるだけで知的情報が皆無、形式主義のがまとも そうだよ。だから、数学は純粋な概念的存在物、イデアみたいなものなので、 現実的な具体物と数や数学が対応関係がなくても構わない。概念の上、もしくは 公理のもとでの形式なり定理の整合性があれば良いだけだから。 だから、ユークリッドが線を定義する時に、「線とは幅のない長さであるlと しても問題はない。実際の現実には幅のない線など皆無だけど、 数学の概念上の話なり、説明としてこうした定義を用いているので、 そこには矛盾がないという理路になる。 数学自体は哲学ではまったくないからな 哲学・思想に数学も利用できる程度の関係 無学のするマイ哲学よりも、数学の方が何十倍も立派な哲学になっていることだろう >>87 マイ数学の悲惨さを棚に上げて何を言っているのかね? だいたいそういう卑怯に範疇を恣意的に変えた詭弁しか頭に浮かばないという時点で、 卑劣な人間だとひしひし感じてしまうね(笑)。 大体なんだい、何十倍もとかどう比較するつもりなのかね。 小学生じゃないんだから(笑) 「何十倍」数学、キリッ。 >>90 ( ´,_ゝ`)プッ マイ哲学はあり得ても、マイ数学なんてあり得ないのだよ >>92 あり得るとかチキンなワード使ってんじゃねーよ。逃げる準備か? 前向き推論 (forward reasoning) 既知の事実や現在置いた仮定を組み合わせて,新しい判断を得る推論 後向き推論 (backward reasoning) 示したい判断(ゴール)から、それを与える十分条件に遡る推論 Lemma natural : forall (a b c: nat)(a0: 1 + a = 1)(b0: 3 + b = 5) (c0: 2 * c = 7)(b1: b = 2), (3 + b) + (3 + b) + b + b + (1 + a ) + (1 + a ) + (2 * c )= 23. Proof. move=> a b c. move=> a0. move=> b0. move=> c0. move=> b1. rewrite !a0. rewrite !b0. rewrite !c0. rewrite !b1. 1 subgoal a, b, c : nat a0 : 1 + a = 1 b0 : 3 + b = 5 c0 : 2 * c = 7 b1 : b = 2 ______________________________________(1/1) forall a b c : nat, 1 + a = 1 -> 3 + b = 5 -> 2 * c = 7 -> b = 2 -> (*以下、計算プロセスの推移*) (3 + b) + (3 + b) + b + b + (1 + a) + (1 + a) + (2 * c) = 23 ______________________________________(1/4) (3 + b) + (3 + b) + b + b + 1 + 1 + (2 * c) = 23 ______________________________________(2/4) 5 + 5 + b + b + 1 + 1 + (2 * c) = 23 ______________________________________(3/4) 5 + 5 + b + b + 1 + 1 + 7 = 23 ______________________________________(4/4) 5 + 5 + 2 + 2 + 1 + 1 + 7 = 23 *以上、マイ数学でした。 A.後ろ向き推論とは、原因と結果が仮定されている事象について、その結果が 原因から導き出されるか否かを、結果からさかのぼって成立の条件や推論規則を 見出すことによって判定する手法のことである。 後ろ向き推論では、まず結果(結論)のみを検討し、その条件を成立させるための 条件が書き出される。次にその条件に対して、それを成立させるための条件と なるものが書き出される。この作業を繰り返して、最終的に導かれた条件が仮定された 原因と一致するならば、仮定された原因は正しいものであるとみなされる。 逆に、条件や推論規則が途中で見出されなくなった場合には、仮定された原因は 誤りであったとみなされる。 B.ある結論が正しいかどうかを、それが成立する条件とルールを繰り返し探索する ことにより求める人工知能の手法。後方推論。 >>95-97 それでどうしてマイ数学がありえないんだろう?どこが自分で考えた数学ではありえないっていうのかな? もし、マイ数学が、まったく不可能で、発見していくものが数学であることの、本質であって、人間が 数学には全く不要であるゆえにマイというのがおかしいということならわかる。 マイ哲学との比較に正当性はある。だが依然として、数学が哲学でありうることの、根拠はない。 私には、全く数学が哲学的だと思えないからだ。物理との組み合わせなら、宇宙と言うものを解き明かしたり、 できるから哲学的ではあるが。 まあいいや。>>87 あたりの流れを見れば不自然でもない。 マイ哲学で馬鹿にされた気がして腹が立ったんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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