数学を初めとした理系の学問と哲学について 12
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
猿どもは俺の講義の感想を提出すること。
人間として扱って欲しいならな。 >>821
君が科学のことを何も知らない猿だというこがわかったよ。 次は、クワインの自己参照について考えてみよう。まず、以下のような
文や命題がある。
は、自身の引用を前置されると偽になる
↑この上記の文で言及されている自身とは、
は、自身の引用を前置されると偽になる
という文、もしくは命題のこと。この文が引用される時には""で囲むようにするので、
その時は、
"は、自身の引用を前置されると偽になる"
という風になる。 この文にある、前置される、という意味、もしくはその形式は、実際に前置きしてみると
以下のようなものになる。
"は、自身の引用を前置されると偽になる"は、自身の引用を前置されると偽になる
これで、この約2倍の長さとなった文は、
は、自身の引用を前置されると偽になる
という文の前方に引用符""の施された引用文、
"は、自身の引用を前置されると偽になる"
が元の文の前に置かれた状態となったので、文が複合的に接ぎ木されたような状態になり、
この命題の定義としてあったように、自身の引用を前置されると偽になるので、
この約2倍の長さとなったこの文全体や命題が偽となるように見える。 でも、よく考えてみると、
は、自身の引用を前置されると偽になる
という最初の文や命題、定義は、その内容通りにそれが" "で引用されて前置きされると、
"は、自身の引用を前置されると偽になる"は、自身の引用を前置されると偽になる
となって、文や命題の最初の定義に従って、この文全体は偽であるとなりそうだけど、
最初の言明である、
は、自身の引用を前置されると偽になる
は、実際に自身の引用が前に置かれてたことで、それが真なる命題や真なる
文であったことにもなったので、この文全体の内容や命題が真である、とも
言えなくない、ということ。つまり、このクワインのパラドクスは、
""という自身の文や命題を使った間接的な自己言及による真偽の決定不能性を
表現しているとも言えるだろうね。 このクワインのパラドクスをそのままプログラミンとして実装したような
ものを「クワイン」と呼ぶ。普通、プログラミングのコードを書くときには、
コードという記号の集合と、それをコンパイルやビルド、実行した出力結果が
違うものだけど、「クワイン」のコードはその両者が同一なものとなる。
たとえば、Haskellを使って、簡単な計算コードを書いてみる。
4 * (let a =9 in a **2) +2
このコードの意味は、9を2乗した値を4倍して、それに2を加えるという
演算なので、その実行結果は、326.0となって、
コードの
4 * (let a =9 in a **2) +2 と
その実行結果の
326.0
は記号の集まりとして見ると、この両者は全然、違うものに見える。 でも、Haskellで
x = putStrLn $ ai ++ show ai where ai = "x= putStrLn $ ai ++ show ai where ai = "
というコードを書いて、これを実行してみると、
x = putStrLn $ ai ++ show ai where ai = "x= putStrLn $ ai ++ show ai where ai = "
と、書いたコードと全く同じものが出力される。これが「クワイン」という概念。
つまり、それは自分自身を引用したり、自分自身をプログラミングする。前に書いた
レスに、図書館の書庫目録があったけれど、あれはクワインになっていない。
なぜなら、その書庫目録という冊子や書籍は、その書庫目録自身のことを記載して
いないから。もし、その書庫目録自身を記載した書庫目録があれば、それが
「クワイン」に該当する。あるいは、コード自身と同じものが出力されるコードと
同じようなパラドキシカルな捻じれた状態や状況となる。
このように論理というのを突き詰めて考えていくと、なかなか面白いよ。
それに、自然言語処理やAI化する社会には、こうした論理や構造に通じていることが
大事になるような気がするね。 いき(息/意気/活き)に表れた心、それが「こころいき」≒"spirit"では? 腐り切った枠組みを人々に強要しながら、表現の厳密な定義どうのと
「いきがっている」のはどこの誰か? 無職だったら勉強家だな
大学の教員ということは、それを生業にしてるということだから専門にしている分野に詳しいのは当然で
タクシー運転手が地元の地理に詳しいのと同じだ 本当に数学とプログラミングとAIに精通してる人なら活躍の場はいくらでもあるから、5ちゃんで毎日啓蒙活動するほど暇なわけないだろw AIさんはここにくるといつも論破されんだからおとなしく大学に籠ってろよ 研究室に泊まったり、2徹・3徹したりしてる奴、理系で結構いるんとちやうの 大学に文字通り引き籠る奴は多いんじゃないの。
俺は研究室のソファで寝るとかは無理だったけど。 大学の研究室に引きこもって5ちゃんで啓蒙活動ですかアホですか 推論や論証の妥当性というものを考えてみよう。あえて、
偽となる前提を2つ置いて、以下の論証を進めてみる。
1.「源氏物語」の作者は、夏目漱石である。(偽となる前提1)
2. 夏目漱石は、紫式部である。(偽となる前提2)
3. よって、「源氏物語」の作者は、紫式部である。(真となる結論)
つまり、偽となる命題を2個置いて、それをもとに論証してみると、
なんと、その結論は真となるようなものになった、ということだ。
間違った事実の前提を2個も置いているのに、そこから導き出された
結論は真となった。
この論証の流れを記号で表してみると、
P→Q,
Q→R,
∴P→R
となって、論証の進め方自体は妥当で、その結論も真となったので、
めでたし、めでたしと言いたいところだけど、変な感じがするでしょう。 今度は逆のパターンにして、推論や論証の妥当性というものを考えてみよう。
前のとは違って、今度は2個の前提には真となるものを置いてみる。
1.大ヒットした日本の映画「君の名は」は、アニメである。(真となる前提1)
2.日本の首都は、東京である。(真となる前提2)
3.よって、2020年には東京で東京オリンピックが開催される予定だ。(真となる結論)
このように前提の2つに真となる前提を置いて、間違った方法で妥当でない論証を
進めたのにもかかわらず、その結論は真となった。でも、この論証が狂った感じに見える
のは、前提1,2がいくら真であって正しくても、そこから、「2020年に、東京で
東京オリンピックが開催される予定だ」という結論を導き出すことは出来ないからだ。 なんか、一見すると下らない話をしているようだけど、実はそうでもない。
なぜなら、世の中では結論や解が正しく求まっても、それに至る論証の仕方や
推論のプロセス自体が間違っていることが十分にあり得るからだ。
先生が、ある園児に、「リンゴ1個と、リンゴ2個をあわせると、全部でその
リンゴは何個になるかな?」と問いかけた。その園児は少し考えたあと、
目の前に赤いサイコロがあることに気付いたので、これにその答えが
秘められている感じがした。そして園児が、そのサイコロをふると3と出たので、
園児は自信をもって、「リンゴは全部で三個です!」と元気よく答えた。
つまり、この例では園児の答えは正しかったけれども、推論や論証の仕方が
妥当でないということが分る。もしかして、この園児は特殊な超能力の持ち主で
何度もこの方法を使って、リンゴの足し算を正解させることが出来るかもしれない。
でも、いくらそれで正解や正しい結論が得られても、論証の仕方としては
この園児の方法が妥当ではないことが判る。
でも人間って、選択に迷った時にコイントスの裏表で決めたり、あみだくじ
をやってみたり、占いや宗教に頼ったりと、結構、推論や論証による
合理的な判断を蔑ろにすることもある感じがするので、一度、論理を
厳密に考えてみることも、意義あることなんじゃないかな、と思うね。
特に炎暑の中だと、疲労で不注意やミスも多くなりがちなので、適度に休憩して
脳や判断をクールに保つという論理を大切にしてみるといいかもね。 >>なんか、一見すると下らない話をしているようだけど、実はそうでもない。
自覚はあったんだ 392 名前:夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2018/07/17(火) 19:46:43.71 0
「2つの点を通って一本の直線が引ける」
「2つのコップを通って一本の椅子が引ける」
述語の定義によらず成り立つ構造こそが数学です
現実との接点は何もない
せいぜい他の学問に道具を提供するだけです
400 名前:夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2018/07/17(火) 19:57:57.06 0
一方哲学というのは馬鹿馬鹿しいほどの現実論なのかなと想像 理数系の用語の濫用に被害者面して憤って見せるパフォーマンスは、結局のところ、
あたかも、通常は、理数系の人間によって正しい枠組みと厳密な定義に基づいて
一般人向けに議論や説明が行われているかのような正常性バイアス(normalcy bias)
を強化するステルスマーケティングとして機能するわけですよ。 極大値、極小値は値であるが、
無限は限りがないという観念であても値ではない、
数学であつかう無限"∞"の記号は無限大を示す値であり
無視できるほどの大きな数値である、
これを極限値という無視できる方法論で合理化してしまえば、
割り切ってはいけないものを割り切ってしまう、
おまえらの思考なんて、こんなもの合理化し簡略化した意味を扱うだけで
扱えない、扱ってはいけない隠れた秘密のようなもの計れない類を常に
具現化して具体値にしてしまう、夜空に見える星を手で掴もうとする行為に等しい、
すこしは難解で説明がつかないものを具体的に説明し、簡略して比喩するのは
やめよう、おまえらの無能がさらに無能になるだけな。 数学的に定義された計れないものを計る、ではどうやって計るの?
たとえば上限なき全てだ、比喩し特定した時点でそれは全てではない、
最強の武器と最強の防具の話やら、全知全能の神の話を理解するなら
計れないものは計らないはずだ、全知全能の神の存在の矛盾すら理解できないようなら
知的障害というマヌケな知能を呪え、自覚できないなら永遠に見下されていろ、 >>おまえらの無能がさらに無能になるだけな。
啓蒙活動なんて名ばかりで、他人を見下したいだけなのが丸わかりだな プログラミング的にはハッシュテーブル(文字列と価とを関連付けた表)に
補集合フラグ(ブール価。全体集合は「全ての文字列」)を付加することで
仮にも無限集合が扱えるようになりました。以上でも以下でもないですね ×文字列と価とを関連付けた表
〇文字列と値とを関連付けた表 啓蒙活動なら誤字脱字くらい直してから書き込めよ
知ったかで間違えてるのがバレバレだぞ 誰かがブール値について述べていたので、今度はそれを使った問題を考えて
みよう。次の論理式の集合の与式、
{¬(P∧¬Q), (P∨Q)∧¬Q}
が充足可能か矛盾しているかを考えてみる。充足可能という意味は、
論理式の全体が1、すなわち真(true)となるような構成のことだから、
上の論理式の集合の与式だと、そこに含まれる2つの論理式が共に
同時に真(1)であった時に、それは充足可能である、と表現できる。
また、ブール値は0が偽でfalseとなる。つまり、上の問題は、
{¬(P∧¬Q)=1(真), (P∨Q)∧¬Q=1(真)}
となるような真理値の割り当てが存在する(充足可能)か否か(矛盾)かどうかを
訊ねている。自分で適当にP=1,Q=Oなどを上記の式に代入して、それを計算すれば
簡単に答えは出る。 たとえば、集合の最初の要素である¬(P∧¬Q)が1(真)となるためには、
(P∧¬Q)の式が0(偽)にならないといけない。なぜなら、まず、この式
(P∧¬Q)=0を成立させて、それを¬(否定)してこそ、¬(P∧¬Q)が1(真)と
して成立するのだからね。
今度は、(P∧¬Q)の式が0(偽)となるには、Pか¬Qのいずれかが0でないと
いけない。だから、それぞれ場合分けして考えてみる。Pを1(真)と仮定
したら、¬Qが0(偽)としないと矛盾する。なぜなら、なぜなら、ここで
充たすべき条件は、(P∧¬Q)=0という論理式だから。
それで、与式の左側の論理式、¬(P∧¬Q)=1(真) とするためには、
たとえば、P=1,¬Q=0を代入すると成立する。なぜなら、それは¬(1∧0) = 1
となるから。つまり、言葉で書くと((1∧0) = false = 0)を否定¬するので、
= 1(真)となったということ。
P=1,¬Q=0を代入すると、¬(P∧¬Q) = 1(真)が成立することが判ったので、
今度は、与式の右側の論理式(P∨Q)∧¬Q = 1(真)、に同じようにP=1,¬Q=0を
代入してみる。この式を成立させるためには、(P∨Q)が1となって、かつ(∧)、
¬Qも1にならないと成立しない。でも、¬Q=0という条件だったので、
それは、¬(P∧¬Q)∧¬Q = 1(真)という論理式とは矛盾する。だから、
¬(P∧¬Q)∧¬Q = 0(偽)と修正しなくてはならない
集合の与式、{¬(P∧¬Q) = 1, (P∨Q)∧¬Q = 0}と判ったので、、2つの論理式は
1=0となって矛盾する、という風になる。Pに0を代入してみたり、あるいは
Qに0を代入して計算しても、片方の論理式が真となっても、その時、もう一方
の論理式は偽となる、たとえば、{¬(P∧¬Q) = 0, (P∨Q)∧¬Q = 1}
などとなるので、やはり、2つの論理式が矛盾していることが判る。 今述べた内容を定理証明系言語のプログラミングを使って表現してみよう。
否定は~で表す。まず、P=1(true),Q=0(false)と仮定して、その値を
この2つの論理式に以下のコードで代入してみる。問題は、最初にあったのと同じ
{¬(P∧¬Q) = 1(true), (P∨Q)∧¬Q = 1(true)}
という与式が充足可能か矛盾するかという問題。
以下長々とコードが続く感じのものを投稿してみたところ、コードが5ちゃんの仕様でスパムとして
定義されたものに該当しているらしく、NG扱いになったので、残念ながらコードでの実行結果は
示せません。ああ、せっかく綺麗に書いたのに。なんで、まともな書き込みをブロックするような
阿呆な仕様にするんだろう。 コードの部分を省略すれば入るかもしれないので、一応、やってみよう。
実行結果の箇所だけを表示する。
(~ (true ∧ ~ false) -> true) = ((true ∨ false) ∧ ~ false -> true) となった。
この等式の左辺である~ (true ∧ ~ false) つまり、¬(P∧¬Q)という
式に、前提のP=1(true),Q=0(false)を代入して、それが1(真)のtrueとなること
はないので、左辺、(~ (true ∧ ~ false) -> false(この論理式の結論)
とならなければならない。ちなみに、前提のP=1(true),Q=0(false)を右辺
の論理式に代入すると、これは真として成立する。ただし、問題の充足可能性
は両方の論理式が共に同時に真(1)=trueとなる場合なので、これは矛盾した集合の
与式だということがこれで判った。 今度は、同じ与式{¬(P∧¬Q), (P∨Q)∧¬Q}に、 P = true(1),Q = true(1)を
前提して、それを代入するとどうなるかを定理証明系言語を使って見てみよう。
否定は~で表す。同様にコードの部分は省略して、実行結果だけを表示させてみる。
~ (true ∧ ~ true) -> true = ((true ∨ true) ∧ ~ true) -> true
という実行結果となった。この式は、左辺は真である1が true として成立するけど、
右辺の((true ∨ true) ∧ ~ true) の式が真だと矛盾しているので、
((true ∨ true) ∧ ~ true) -> falseとなる。つまり、前提条件である
P = true(1),Q = true(1)を{¬(P∧¬Q), (P∨Q)∧¬Q}の集合に代入すると
集合の左のの与式は真を満たすけど、右の与式が偽となるので、これら
2つの論理式が同時に真=1となることはないので、したがって、
{¬(P∧¬Q) = 1, (P∨Q)∧¬Q = 0} となるので、
{¬(P∧¬Q) = 1, (P∨Q)∧¬Q = 1}という最初の与式は充足可能でなく、
矛盾している、ということが今回もこれで判ったね。 ロジック設計をやっていると、そういう説明は随分無駄な説明に見える。殆ど無意味。 なにも読んでいる人はロジック設計やっている者だけでないから
そういう意見は独りよがりの中二病 プログラミングの学習で、よくフィボナッチ数列が取り上げられている
イメージがある。それはなぜかと考えてみると、再帰性の考え方を
理解する上で、フィボナッチ数列が有効だからだろう。
そのアルゴリズムの基底部となるのは、最初の数列であるF(0)=0とF(1)=1だけ。
あとはこの2つの基底部を使って、どんな自然数でも構成できる。
フィボナッチ数列は、直前の2つのフィボナッチ数の和が数列として、
どんどん数珠つなぎとなったもののこと。
フィボナッチ数列の定義は、F(n) = F(n-1) + F(n-2)
なので、たとえばn=3を代入してみると、それは
F(3) = F(2) + F(1) …(a)
となって、これはさらに、F(2)が以下のように分解できる。
F(2) = F(1) + F(0)
これを式 …(a)に戻すと、
F(3) = (F(1) + F(0)) + F(1) となるので、このことにより、
F(3) = (1 + 0) + 1 = 2となる。 Pythonで13番目までのフィボナッチ数列を出してみよう。
そのコードはこんな感じになる。
def fib(n):
if n == 0 :
return 0
elif n == 1:
return 1
else:
return fib(n-1) + fib(n-2)
def testFib(n):
print()
for i in range(n+1):
print(' フィボナッチ数列の' + str(i+1)+ '番目までの値 : fib(' + str(i) + ') ----->', fib(i))
実行結果:
フィボナッチ数列の1番目までの値 : fib(0) -----> 0
フィボナッチ数列の2番目までの値 : fib(1) -----> 1
フィボナッチ数列の3番目までの値 : fib(2) -----> 1
フィボナッチ数列の4番目までの値 : fib(3) -----> 2
フィボナッチ数列の5番目までの値 : fib(4) -----> 3
フィボナッチ数列の6番目までの値 : fib(5) -----> 5
フィボナッチ数列の7番目までの値 : fib(6) -----> 8
フィボナッチ数列の8番目までの値 : fib(7) -----> 13
フィボナッチ数列の9番目までの値 : fib(8) -----> 21
フィボナッチ数列の10番目までの値 : fib(9) -----> 34
フィボナッチ数列の11番目までの値 : fib(10) -----> 55
フィボナッチ数列の12番目までの値 : fib(11) -----> 89
フィボナッチ数列の13番目までの値 : fib(12) -----> 144 今度はHaskellでフィボナッチ数列の第13番目までの値をリストで返す
ようにしてみよう。そのコードはこんな感じ。
main_f = do print $ take 13 $ map fib [0 ..]
fib 0 = 0
fib 1 = 1
fib n = fib (n - 1) + fib (n - 2)
実行結果:ghci> main_f
[0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144]
このようにコードの書き方は違ってても、同じ13番目までの
フィボナッチ数列が得られた。 啓蒙とは思っていないが、ああ、そんなものもあったよねと、通りすがりに眺めてはいる。
昔の(といっても最近のものもあるが)人はつまらない結論をだしていたよねぇと。
なぜつまらないのかを哲学的に考察すれば、巷でホットな「生産性」ということだろう。
理系的な説明・言明が「生産的」にみえない。
「アクティブ」な読み方をできないとつまらないものになってしまう。
読ませ方の技法。これが足りない。「魅了化」という魔法の鍛錬が必要だ。
「再魔術化」(〜IT)の時代なのである。 呼称通りだろ。あるクエリや照会について推論する時に、論理型言語や
帰納論理プログラミングでは、述語論理式を使って命題の真偽を判定する。
だから、論理型言語は人工知能における推論や判断でよく使われる。
なので、論理に対する理解がある者には、取っつきやすい言語だろう
山田花子さんは女性ですか?のクエリに対して、論理型言語ではyesを
返し、山田太郎さんは宇宙人ですか?には、noを返す。
難しい問題や複雑な問題についてのクエリでも、それが論理型で判定できるような
問題であれば、正しい答えを返す。 論理の世界では、単純命題はP,Q,Rのような単独の文字で記号化されて、
こうした文字は原子式と言われる。これら原子式を接続詞を記号化した論理結合子を
使って複合命題にしたものが論理式となる。自然言語を使うと、命題の論理形式が
文法形式に覆われてしまい論証そのものがしづらくなるので、あえて論理式による
抽象化を通して、余計な要素を捨象した状態で妥当な推論や論証が可能となるようにしている。
だから、論理や論理形式は計算や数学そのものなので、人工知能が扱いやすい
ものになる。人間は恣意性や忖度、嗜好、その場の気分で判断が変わったりするからね。
論理では真偽の判定だけが重要なキー概念となる。だからとても重要なものだ。 論理はAIが出て来るまでもなく普通にエクセルでも扱えるということは横に置いておいて
論理的に正しいからといって結論が正しいとは限らないことは誰もが認めるところだとは思っている
例えば
ソクラテスは人間である
人間は不死身である
よってソクラテスは不死身である
人間であればこの結論の間違いに気づく(この程度の話なら経験的に)けれどもAIはどのようにして結論の間違いに気づくのか
人間は恣意的にものごとを考えるが故にAIに対して偽のサンプルデータ(この場合は人間は不死身だというもの)を与える(AIにとっての経験的)かもしれない
視点を変えればこれは人間は如何にして論理的に導きだされた結論の間違いに気付くことができるのかという問題でもある
余談だけれどよく考えれば人間にも魂は不滅だから人間は死なないよというようなことを言う人もいるね 不死身の方が欠ける部分は多いが、時間はとられないだろうな。行軍に。 日本では不知火といって、人間が主体のものが不死身でもないものの起源ではないのだよね。 不知 の火 というと ソクラテスの無知にも不思議とつながるね。 つまんないから学術とかいうやつは書き込まなくていいよ あなたの人生が、つまらないものに終わりませんように。自動詞ではないのかな?
あなた自身のつまらなさが解消しますように。僕は関わりませんが。 ゼブラパズルというのがあって
論理型言語でプログラムを書くと
簡単に解けたりするらしい だからそのゼブラパズルもその内部演算でやっていることは、>>892に書いてあること
と全く同じ。最後に残ったtrueとなる論理の経路が機械的に判定されているだけだから。
「真理の木」というもので、論理学者のスマリヤンによって広められた手法。ちなみに
スマリヤンはゲーデルについての本も書いているし、論理パズルみたいな本も
いっぱい書いているよ。
四色問題も巡回セールスマン問題、貪欲法、ナップサック問題もアルゴリズムであり、
かつ、それは論理でもあるのだから。 並行論理プログラミングのしくみってどうなってるの? >>919
お前、三角関数もできないし、馬鹿すぎるから、このスレ出入り禁止な
>>920
お前、質問ばかりで調査能力ゼロの学習障害者? なぜ、このスレ、恐ろしい馬鹿しか入ってこないんだろう
どうも馬鹿だけを引き寄せる磁力を発しているらしいなw
ごみ収集器なんだろうなw 調査しても理解できないからここで質問させてもらってる 質問してもらったほうが説明のし甲斐があっていいんじゃないのか? >>923
何のためにそんな質問しているの?その前にキミ、プログラミング言語、なんかやっているの?
ただ質問して答えてもらえて喜んでいるだけなら、ただの質問厨の構ってちゃんに認定するよ >>925
もともとコンパイラ作成や仮想マシンに興味があった
ある時、『プログラム言語の意味論』とかいう本を見たら
チンプンカンプンで理解できなかった
そもそも『意味論』とは何なのかと なんでコンパイラ作成に興味を持つような奴が、そんなの自力で調査、理解出来ないの?
あと質問に答えてないじゃん。何か言語、やっているの?何の言語でコンパイラ作成
しようとしているの? まあ頑張ればそれなりに理解はできますよ
ただ他のことも忙しくてなかなか手が回らない
今はもうコンパイラとか興味を失ってしまった
C言語とかC++とかJavaくらいしか経験がないし
関数型や論理型にも多少は関心があるという程度
関数型言語は圏論との関係が深いわけだけども
論理型言語も圏論の言葉で解釈できればいいと思う じゃあ、わざわざ他人の手を煩わせることなく、ご自分で頑張って下さい >>926
一つのトークン(数字の並びや識別子)が、整数値や実数値、if文かなにかであるということを認識して、
正しい並びになっているかどうかを確認することだ。 要するに『意味論』とは、字句解析や構文解析のことだと思えばいいのかな? たぶん恐らく、『意味論』というのはプログラムを
圏論の言葉で解釈しようとする考え方なのでしょう
将来、圏論を超えた枠組みが必要になる可能性もあり 並行論理プログラミングは低レベル言語、すなわち機械語に近いもので、かつ
論理変数を使うのだから、論理学そのものだろう。Cみたいに変数の上書きが
出来ず、値が一定しているのでバグも少なく保守も容易となってたよ。 論理学の場合だと、
x+y = y+x
のx,yは変数記号と呼ばれる。ここにどんな値を入れてもこの等式は
成立するので、この等式は、無限の等式を同時に表している。そして
論理式で使うP,Q,Rや>>892で書いたような{¬(P∧¬Q), (P∨Q)∧¬Q}
などの論理式の集合に対して、たとえば、¬(P∧¬Q)の論理式をAとし、
(P∨Q)∧¬Qの論理式をBとすれば、{A, B}で表せる。 このA,Bに対して、論理結合子A∧B, A∨B, A→B, ¬Aのように、
各論理式を適用できるので、
A∧Bであれば、(¬(P∧¬Q)) ∧ ((P∨Q)∧¬Q)と書ける。
また、この式(¬(P∧¬Q)) ∧ ((P∨Q)∧¬Q)自体をAとして使えば、
最初の{A, B}は、{(¬(P∧¬Q)) ∧ ((P∨Q)∧¬Q), (P∨Q)∧¬Q}
という風に、帰納的定義によって、論理式をA,Bを用いていくらでも
作ることができる。今度は、この2つの論理式に対して、A∨Bを
適用してあげれば、
((¬(P∧¬Q)) ∧ ((P∨Q)∧¬Q)) ∨ ((P∨Q)∧¬Q)
となるし、今度は、この新しい論理式をBとして扱って、また、
そこから論理式を作れる。論理式を作る定義さえ決めてあげれば、
あとはその定義に従っていくらでも新しい論理式を作れる。
このA,Bのような記号をメタ論理的変項と呼ぶ。 >>937 教科書の記述は違ってるかもしれないけど
結果論として最終的にそうなってくんじゃないかな
『意味』というのは何らかの『関手』と考えられる 生命の意味論もひどい本だが、言語の遺伝子の章は将来あるだろうな。
梱包考えて編集してほしいよ。旧帝大は。 >>929
じゃあ自分で頑張りますので、もう啓蒙活動も必要ありません 俺には検証する能力はないが、池田清彦って一部ではトンデモとか言われてるよね。
『現代思想』に投稿しているけれども、大丈夫なのかな。 俺はトンデモには感じないんだけど、
『現代思想』の2015年9月の「絶滅―人間不在の世界」特集で、
天変地異による大量絶滅において、生存競争に勝った種類は新しい種類で、
古い種類は新しい種類に負けて絶滅したと説明した後、
学者が新しい種類が古い種類より競争に強いのはなぜかという問いを発するのを
禁欲していると述べている。
そして、環境の大変動による外部からのバイアスにより、
遺伝子をコントロールする細胞内のシステムが変化するという仮説を立てている。 最終的には、以上の「メカニズムが明らかになり、大量絶滅の後、
生き残った一部の生物から、なぜ爆発的な多様化が生じるのか、
あるいは系統は多様化して反映したあと、徐々に衰退して多くの場合絶滅してしまうのは
なぜか、といった難問が解決されることを期待したい。」と締めくくっている。 環境の変化に適応できるか否か、あるいは、絶滅に巻き込まれるのが怖い人が
トンデモ呼ばわりしているのかな。 >>900以下で、フィボナッチ数列についてのコードを書いたけど、
実は、このフィボナッチ数列の配列が、ひまわりの種の配列に
利用されている。その理由は、
ひまわりに隠されたフィボナッチ数列と黄金比 – ひまわりは黄金の花?
https://analytics-notty.tech/fibonacci-and-goldenratio-in-sunflower/
の記事にもあるように、こうしたフィボナッチ数列にした方が、より多くの
種を収納でき、そのことがすなわち、子孫を残す確率の高さへとそのまま
つながることになるからだ。
つまり、植物などの自然界においてフィボナッチ数列が使われている時は、
それは種の保存のための最適化の原理において有効だから、それを自然が
採用しているとも考えられそうだ。そのことから、自然は偶然的ではなく、
アルゴリズムに則っており、ランダムな存在ではないということも一部、
推論できる。規則性がそこには観察される。
だから、ひまわりの種の配列の規則性がフィボナッチ数列になっている
ことに、現在のコンピューターの生みの親となったチューリングが関心を
持ち、計算シミュレーションによって生物形態学の基礎を築いたりもした。 私がこれから人間が不要、もしくは不在となるポスト・ヒューマン社会、
すなわち「AI化された社会」の実現を予想するのは、上記のことと同じ理由からだ。
なぜ、猿から人間、そしてAIやAIベース化された超人間へと種が進化していく
必要があるかと言えば、それが最適化の原理から言って好ましいからだ。
それはひまわりの種がフィボナッチ数列で配列されている合理性と同じことだ。
まず、人間という身体システムがリソースを大量に喰うし、合理的ではない。
人間は食べたり、飲んだり寝たり、より多くを消費し、運動、身体のケア、
下らない仕事、家事が必要になったりと、いわゆる、雑用レベルのことにかまけて、
その人生の大半の時間が空費されて終わる。 こうした非効率な人間のエコシステムをすべてAIに代替させてみたらどうだろうか。
AI自身がこうした雑用や単純作業を執り行うので、学生であれば、退屈なバイトに
従事することなく、学業や研究に専念できる。最近、過労による鬱で自殺した
30代の女性医師の記事を読んだけど、それも医師に無用な大量な仕事(雑用)が
なだれ込んでくるから休む時間さえとれず、非人間的な異常な残業時間が続く
こととなったのだろう。
そもそもそれもAIでフィルタリングできる要素が多々ありそうだ。つまり、
医師がしなくてもよい余計な仕事や業務が沢山あると考えられる。
暇つぶしのサロンとして病院にきている老人も大勢いいると聞くし、日本人は
馬鹿なので、すぐに病院に行きたがる。精神医療の現場では、薬漬けの被害も多くて、
それを弾劾する書籍も多く出ていることはみんな知っているだろう。
そんな本来、病気でもない人間の過剰医療ために有能な若い医師が酷使されて、
自殺することにまでなるのだ。
だから、こうした医師の仕事をAIに代替させるAI化された社会を構想したら
どうだろうか。東京医科大が今年行った医学部医学科の一般入試で、
女子受験者の得点を一律に減点したという不祥事も、医療が人間の手で
行われることが前提となっているから生じることなので、東京医科AI大を
創設し、そこでAIやAI医師をベースにした医療システムというのを作り上げても
いいはずだ。そこでは医師は、これまで以上にエンジニア的な要素が求められる
こととなることだろう。 https://analytics-notty.tech/compare-infinity-of-mathematics/
数学の無限を比較する?実数の集合と自然数の集合を対角線論法を使って比較する
>>948と同じサイトにあるカントールに「対角線論法」の話も分かりやすくて
面白かった。自然数の無限と実数の無限を比較すると、実数の無限集合の方が
大きい、すなわち濃度が大きい、ことの理由が対角線論法という実無限に拠った
概念から導出されることだね。上の例では、1〜4までの自然数と各それに対応する
2進数の表を作って、その対角線上の値を取り、その値の桁が0のところは1に変換して、
1のところは0にする操作をした新しい実数を作ることで、既存の表にはない新しい
実数が作れてしまうので、実数の集合の方が大きい、という理屈になっている。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。