ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
いまさら聞くのが恥ずかしいことや、くだらねえ質問は何でも聞け!!
知ってたら答えるし、知らんかったら知らんと書く!!
質問する奴も答える奴も、シングルだろうがプロだろうが
初心者だろうがなんでもヨシ!!
くだらねえスレたてるくらいならここに書け!!
【掟】
★出された質問は残さず答える
★回答者は本人が基本でよし。間違いは他の者が指摘する
★哲板だからやや鈍い勢いってことを理解する←ここ重要
★質問者は回答が無い場合は催促する。ageて質問する
★次スレは建てたい奴が適当にやれ。 後は1000取り合戦を勝手にな!
前スレ
ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ@哲学
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1576819773/ >>785
アベノマスクは一部で熱狂的人気がありますよ。 >>785
>>786のような底辺層にだけアベノ虫入り不衛生マスクは支持されている アベノマスクは使うものと言うよりも、市場の価格を下げるためのものですね。 結局、安倍政権は徳川家康以来の日本の政治の王道を世襲しているので、
国民にすんなりと受け入れられて、支持率も上がります。
収入より雇用安定の政策とか
憲法改正とか
働き方改革とか
アベノマスクとか
東照宮御遺訓 徳川家康
まず慈悲が万事の根本であると知れ。
慈悲より出た正直がまことの正直ぞ、また慈悲なき正直は薄情といって不正直ぞ。
また慈悲より出た智慧がまことの智慧ぞ、慈悲なき智慧は邪な智慧である。
中国ではこの大宝を智仁勇の三徳という。忘れても道理や人の道に反したことを行なってはならぬ。
およそ悪逆(道に背いた悪事)は私欲より生ずるぞ。
天下の乱はまた思い上がりより生ずるぞ。人民の安堵(あんど)は各人が家の職業を勤めることにある。
天下の平和と政治の永続は上に立つ人の慈悲にかかっている。
慈悲とは仁の道である。思い上がりを断って慈悲を万事の根本と定めて天下を治めるようにと申さねばならぬ。 >>786
私の周辺で付けている人は一人もおりませんが
貴方はアベノマスクを付けていますか 不織布マスクがたたき売り状態になったことに
アベノマスクが関係あると考えている人は
安倍総理以外にはおりません そもそも因果関係を結ぶことができないではありませんか
「アベノマスク配布→その後、市場マスクの価格低下」
であれば、まあ百歩譲って「アベノマスク効果」と言えたかもしれない
しかし、いまだ、大半が配られていない状況でそれを言われると
おつむ大丈夫かと心配になりますね >>795
もったいなくて付けていない?
貴方、安倍総理が、そんなことを望んでいると思ってますか?
安倍さんの気持ちに応えるならば付けるべきですよね 経済学的な因果関係は心理的、再帰的なものですね。
ある会社が業績を上げたから株価が上がるのではない。
ある会社が業績を上げるだろう予想から株価が上がるわけではない。
ある会社が業績が上がるだろう予想から株価は上がるだろうから株は買われて株価は上がるのです。
アベノマスクが出回ればマスクの価格はさがるだろう予想から価格はさがるだろうからマスクは売られて価格は下がるのです。 >>796
「アベノマスク、いいね」などというコメントは
見たことがありません
ソースとして十分かと >>801
貴方は、安倍総理を裏切ってますね
裏切り者 >>802
Twitterで届いた喜びのコメントをよく見ますよ >>803
安倍総理はそんな器の小さい人ではありません
慈悲深き仏のような人です >>805
けっきょく、恥ずかしくて付けれないんだ
口では安倍総理を応援しているようなことを言ってるが
嘘なんだ、卑怯者なんだ >>804
ためしに「アベノマスク、いいね」で検索してごらんになると良い
笑っちゃいますよ >>807
左翼のアンチコントを読んでる暇はありません。 >>808
今から、貴方はアベノマスクを装着すること
繰り返し洗って、洗って、縮むけど
小さくなっても使うこと
それが安倍総理の気持ちに応えることです
いままでの裏切りに対するせめてもの償いです
それができなきゃ、本当にただの二枚舌、裏切り者 見たくないものから徹底的に目を反らしてるだけじゃんこの狂信者w なぜ左翼ってこんなことしか言えなくなったんでしょうね >>811
安倍総理の仏のような慈悲に甘えて
表向きは「安倍総理素晴らしい」と宣いながら
実際のところは、安倍さん渾身のアベノマスクを付けることもできない
けっきょく、安倍政治を支持してなどいなかったんだよ君は
ネタで支持してるようなポーズをしてただけ おそらくポスモダ当たりまではまだ理想を語る左翼もいたんでしょうね 10万円支給遅いとか言うけど
ほんとめちゃくちゃだよな
ネットにしろ、郵送にしろ、
記入がめちゃくちゃみたいだな
氏名住所銀行口座とかまともにかけてないとか 理想とは何ですか?ある人の理想は誰にとっても理想なのですか?いや、そんなはずないのは分かっています。でも古今東西人が「理想」を語るとき、あたかも「客観的な理想」
が存在するかのように振るまい、そのために暴力まで奮ってきた。人間はもっと「理想」
という言葉に対して謙虚になるべきでは? 安倍さんが会見で布マスク配布を宣言したのは4月7日
それ以前から配布するという話は出ていた
4月11日から配布開始するらしい、との情報も出た
とうぜん、準備万端できたから宣言したのだと、そう思っていた
だがそれでも、市場マスクの値段は下がらない
下がらないだけでなく、高額でも購入できなくなった(←ここ大事)
完全に供給不足が原因
アベノマスクは、その後もいつまで待っても配られないが
4月の末にシャープがマスク販売を開始
この辺りから流れが変わる
中国、ベトナムあたりから大量のマスクが流入
世間にマスクが出始める
リヤカーで大量のマスクを売り歩くアルバイトが出没
5月末
アベノマスクま未だ来ない 違う、、アベノマスクは来年の流行を見通してるんだよ
先見の明だ
まだ来なくて当然 >>823
何も無かった場合
こうして言葉のやり取り出来ないよね
何もない世界というのもあり得る、あり得たかもしれないけど私たちはそれを知ることはできない
ただものがある世界にしか人間は存在出来ないから >>823
なにも無いこともあります。
しかしその場合にはないことは確かめられない
人はあるときしかわからない >>827
あるとは人の認識方式です。
境界を想定し関係性を想定する。 どこ行っても嫌われまくりでここしか相手してくれるとこがないんでしょ 人生に悩んだ時は仏教書を読むのが良いのでしょうか? >>836
それはどういうことですか?
詳しく聞きたいです。 死んだらどうなるのでしょうか?
生前の行いや死に方などで変わってくるのでしょうか? 言語学的に、論理ロジック、修辞レトリックに分けられます。
論理は発話と意味が一対一の関係にあります。それに対して修辞は詩などのように、論理的な意味以上の意味を持ちます。
たとえばバラのような人。星屑のような女性。
ここで重要なことは意味は固定せず宙づりにされることです。
そして人はそれを埋めようと試みますが、埋まることはありません。
ようするに修辞は一つの行為、運動です。 言語学的に言うと、論理ロジックと修辞レトリックに分けられます。
論理は発話と意味が一対一の関係です。
それに対して修辞は発話に対して論理的な意味に収まりません。
たとえばサラダポテトのような女性。
修辞は意味を宙づりにします。そして人はそれを埋めようと試みます。
すなわに修辞は行為であり、運動です。
文章が論理的になったのは近代からです。
それ以前は文章は修辞的であることがほとんどでした。
文章は人を宙づりにして、気持ちを揺らし、誘導する力がありました。 仏典経典もまた修辞的です。
そもそも仏教とは悟りを開くための修行技術です。
お経はブッタのことを書いているわけですが、それは理解するものでなく、修行の一つです。
その言葉により宙づりにされてそれを埋めるように行為する。
そして悟りを開くの修行では仏典を読むだけではダメでしょう。 >>847
学ばせて学力を試験して
正しい答でレールを敷いて
社会人を教育するのと違い
宗教は気付かせることで
自力で道を切り開くための
教育方法、真っ当な宗教に
限られるけど・・・ 確かに日本人にとって不思議なことは、世界の多くの人が宗教を信仰することですね。 でもまた日本人の生活には信仰が溢れています。
街には神社やお寺にあふれています。
信仰的な行為を行う行事もたくさんありす。
死ねば仏教的に葬られます。 宗教は暗黙に世界宗教的なものを意味していますね。
絶対的な神がいて、布教する教職者、経典、戒律。
世界宗教は土着の地域から切り離されても信者を維持できる。
このような方法論はユダヤ教に始まったともに言われます。
ユダヤ人は離散した流浪の民だったためにこのような方法論が必要だった。
それを世界宗教として展開したのがキリスト教です。
キリスト教以前は、宗教は土着性の高いものでした。
絶対的な神より多神教、専門の教職者と言うより祭事者、彼らは政治的な指導者、、経典はなく、戒律もあいまい。
その土地の慣習に近い。
信者というよりも、その土地に生まれると、生活の一部として信仰がある。
日本人もまさにそうですね。
仏教が伝来する前の日本人は卑弥呼など指導者が祈祷を行い、豊作を願い祭事が行われて、人々は生活の中でときどきに多様な自然の神々に祈りを捧げます。 タイトル: ネ ト ウ ヨ ゴ ミ 無 職
名前: 考える名無しさん
E-mail:
内容:
この人みたいに優雅な日々よ
365日終日 過疎5ちゃんw
【ドキュメント】生活保護?親の年金?とある中年ヒキコモリネトウヨ男性の一週間。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/asia/1555577964/l50 日本に仏教が伝来して大きな影響を受けましたが、日本人は敬虔な仏教徒にならず、いまも土着性の高い信仰を続けて、土地土地に様々な神が祭られています。
仏教の神だろうが、キリスト教だろうが、そのような様々な神の一つとして取り込まれます。
日本人が無宗教と言われますが世界宗教を信仰してないからで、
信仰心がないわけでありません。
日本人は食事のたびに、いただきます、ごちそうさまと言いますが、これも元は信仰から来ていると言われます。
食べ物の元の命に感謝する。
このような民族は他にいません。
生活に全面的に信仰が溢れるとても信仰心の高い民族とも言えます。 実際は偶々キリスト教が広まっただけでしょうね。
結果から因果関係を適当に結んでしまうのは人間の弱点であり、実際的な適応力でもありますが。
ローマ帝国もキリスト教が広まる前が一番繁栄していますし。
また現代のキリスト教は聖人が幾人も設定され手いる上にキリスト自身も聖人の代表格で神は別に存在しています。
教義を教える人物で言えばヒンドゥーも仏教も政治と切り離されています。
時代とともにキリスト教も性質を大きく変えています。
古代においてユダヤ教の指導者は政治家兼軍人兼宗教家でしたし。
イスラムの預言者もその流れを組んでいます。
ムハンマドがそれを表しています。
キリスト教も中世においては教皇は政治家としての側面が強く軍隊も持っていました。
後知恵バイアスとしてキリスト教の繁栄理由を探っても誤った歴史観を抱いてしまうだけです。
50年後中国が覇権を取ったら今度は毛沢東や孔子・儒教をベースに、同じような説明してるでしょうね。 >>852
一切の物事はそれを認識する心の現れ
だとする考え方でしかないのよね。
この考え方で不正な事をしでかす認識
も現れるわけでw単純に
いらいらしたから殺したかったとか
認識して殺しちゃって正しいのかとw 僕は殺していない。
目を閉じ意識を1分ほど失っていたら人が死んでいた。
この間僕は車を操作していなかったんだ。
殺したのは車。
車を作った人達のせいだ。 信仰の起源を考えれば、
人が土地に根ざしそこで狩猟にしろ、農耕にしろ土地に根ざして生きるときに必ず自然信仰は生まれます。
人智を超えた力を感じるときに信仰は生まれます。
そしてそれは土着の生活のそのものと切り離せなくあります。
そこから今で言う宗教、世界宗教が生まれた理由は、都市化です。
人類が発展して都市が生まれた人々が土着の土地から離れて都市で生活すると、
それまでの土着の信仰から切り離される。
土着の信仰は信仰であるとともに地域の共同体を結びつけるものです。
都市化で人々が孤立したとき、人々が向かうものが世界宗教です。 >>848
その言説は「信仰することは思考停止」という宗教批判に対する「信仰することこそ自ら考えることである」という反論の典型では?どちらが正しいかは私にも分からないのですが...
「人による」かな。 世界宗教は土地に根ざさず、人種も越えて、離散的な共同体として働きます。
都市で孤立した人々が世界宗教に改宗することで、様々な助けを受け、情報を共有し、助け合うことができます。
キリスト教にしろ、仏教にしろ、最初に多くの信者を獲得したのは都市部です。
キリスト教はヘレニズムのコスモポリタンで広まりましたが、都市部の新興の権力者には土着の権力者と対抗する仲間を増やすため、また都市部で孤立す貧者には救いを与えることで、
勢力を拡大していきました。 いやいや
キリスト教は寧ろ辺境で勢力を広げていき、都市部では寧ろ迫害された。
辺境出身の母親がゲルマン人でありキリスト教だったコンスタンティヌスが首都ローマの元老院に対抗する為、キリスト教を後ろ盾にした。
その後、元老院を切り崩す為にキリスト教徒になれば免税すると言う政策を打ち出した事でキリスト教がローマに異域に広がった。
歴史と真逆の事を言わないで。 世界宗教の登場は今で言うネットのような役割をしました。
広範囲に張り巡らされる世界宗教のネットワークは情報を交換し合い、
さらにそのネットワークを通して様々な物資、サービスが依頼でき、知的情報を入手できます。
逆に世界宗教に参加しないと、時代から取り残される、生活そのものができない。
日本でも仏教が庶民レベルに広まったのは戦国時代以降ですが、村に一つお寺を作ることと、全国的なネットワークに参加できます。
住職を呼んできてお寺を作る。住職は読み書きができる教師のような存在であるとともに、村の外の情報を伝えてくれて、さらに土木工事の請負、村で手に入らないもの仲買など、情報端末でした。 古代の宗教は土着的で民族・血族と密接に結びついた思想が根底にある。
異民族・異教徒は警戒すべき隣人、或いは敵だと言う思想が組み込まれている。
キリスト教が広まった理由は一重に民族性を薄めた点。
ユダヤ教はユダヤ人の為だけの宗教であり異民族の受け入れは奴隷以外は認めていなかった。 またヨーロッパにおけるネットワークはキリスト教化される以前のローマが道路整備と侵略・植民地化による領土拡大によってなされた。
逆にコンスタンティノスによる宗教改革と大規模な免税政策によって道路網のインフラ、国境防衛の軍事力も維持できなくなり、遂には崩壊して1000年の暗黒時代が訪れてた。
ローマ時代の文化・知識は寧ろイスラム世界へと流出していき、ヨーロッパはルネサンスに至るまで衰退していった。 >>862
実際にキリスト教をキリスト教として広めたのは、キリストの死後パウロによってです。
キリスト教としてはもともとはユダヤ教の1宗派でしたが、
パウロが行った改革は、
ユダヤ人じゃなくてもよい
割礼の廃止
都市部での布教
これによりキリスト教は世界宗教となり、都市部を中心に信者を増やしていきます。
そして勢力が広がることでローマ帝国からの迫害が始まります。 確かに中世においてキリスト教がローマ時代の知識の一部を継承したが、全般としては散逸した知識の方が多く、国も分裂した結果文化的な発展は後退し、ローマ時代の上水道や道路整備すら維持できずに道端に糞尿が垂れ流される始末だった。
キリスト教を美化し過ぎで歴史的な経緯から見ても明確に間違っている。 >>866
パウロの普及によってユダヤ人以外に広まったがそれは都市部ではなかった。
事実としてコンスタンティヌスがキリスト教を免税とするまでは、ローマ内でキリスト教は未だにユダヤ人を中心にした宗教だった。
またローマに住まないゲルマン人にキリスト教徒が増えていた。 こんなの調べれば直ぐ出てくる話。
どうせ最近読んだキリスト教関係の本のストーリーに沿って話してんだろ。
大体名無しで書いても文体から波平だってわかる。
塩野七生やサピエンス史でも概ねキリスト教の布教はコンスタンティヌス以降だって言ってるだろ。 ローマ帝国の衰退はゲルマン民族、さらには中央アジアからの大移動です。
そのときにはキリスト教はゲルマン民族へも広まっていました。
しかしゲンマンの土着性との融合して、もともとのキリスト教とは離れた部分が大きい。
たとえば聖職者になるのはその土地の権力者で、キリスト教を通して、その地方を支配するなど。
近代化の中で、プロテスタントによる宗教改革が起こったのは、このような土着性が強く、権力に利用されるキリスト教を、原点に返す運動です。
プロテスタントに新興資本家などが多かったのは、自由な取引を行うことを、旧来のカトリックが妨げたり、賄賂を要求するなど、土着権力化していたためです。 キリストと同年代のパウロが広めたキリスト教はヘレニズムの都市部を中心に広まっていきましたが、
広まるほどにローマ帝国と衝突することが増えていきました。
有名なネロによる迫害など
しかしその勢いは収まらず、コンスタンティヌスにより実質的な国教化しました。迫害から約300年後のことです。
国教化によって、ローマ帝国中にキリスト教が広がることになります。
しかしどこまでみなが敬虔であったかは疑問があります。
コンスタンティヌス後、逆にキリスト教徒でなければならないという逆の圧力が働くようになるからです。 実際コンスタンティヌス自身がキリスト教をどう思っていたのかは正確には分からない。
しかしキリスト教をどう利用したかはわかっている。
それは単純にローマ元老院に対する政治的な対抗手段。
都市部で強い元老院に対して、軍部を押さえゲルマン人との混血であるコンスタンティヌスはキリスト教を擁護する事で基盤を作り、更にキリスト教への改修を条件に免税をちらつかせて元老院の切り崩しを行った。
そしてこの時に同時に行った宗教改革が1週間程度の講習によってローマ貴族はキリスト教司祭の資格を得ると言う驚きの内容だった。 これ以後ローマ国内におけるキリスト教司祭とは貴族の事を指すようになる。
つまりキリスト教司祭とは貴族であり、土地の支配者であり徴税人であり軍人だった。
ローマ帝国崩壊後はゲルマン人がローマの各都市を占領したが、政治や統治技術に疎いゲルマン人はキリスト教司祭を役人代わりにして実務を任せて、自分達こそが貴族・王族だと名乗り、現代に続くヨーロッパ諸国となった。 コンスタンティヌスの頃はキリスト教は禁止されていたが実際はかなり普及していた。
コンスタンティヌスがキリスト教徒を解禁したのは政治的にキリスト教徒の指示をえた方が有利になるからと言われている。
しかしまたコンスタンティヌスの母がキリスト教徒でコンスタンティヌスも隠れキリスト教徒だったと言われている。
信仰心から解禁した面もあるだろう。 キリスト教徒の国教化によってキリスト教はローマ帝国中の権力と密接に結びつく。
そして起こったのが正当化の闘争である。
その一つが、神とキリストの関係である。
ローマ派の、神とキリストと精霊は同等であると言う三位一体論
ギリシア派の、神を1番とする論
どうでもいいように見えるが、正統派論争に敗れると異端として排除されて殺される生死をかけた闘争である。 キリスト教と社会進化論を結びつけたトンデモ論に対する批判。
いい加減負けを認めろ。
埼玉の小猿がw キリストをどの位置に置くか。
もともと神への信仰心が強いギリシア派と、キリストへの信仰心が強気ローマ派。
これは政治的な闘争である。
結局、正当論争はローマ派の三位一体論が勝つ。
そして神とキリストを同等においたときにキリストは神か、ということが問題になる。
なぜならキリスト教の重要な教義に贖罪がある。
キリストは人類の身代わりになり死んだ。よって人類はキリストへ恩がある。
もしキリストが神なら死なない。
キリストは人でありまた、神である、この矛盾をいかに乗り越えるかという神学的問題が残る。 カトリックにしろプロテスタントにしろキリスト教が純粋な一神教かと言えば甚だ怪しい。
多くの説法において聖人の言葉や行動、逸話が用いられる。
実質的には多神教と変わらない価値観で宗教が受容されているのだから。 キリスト教は厳格な一神教、三位一体説
これを否定すれば異端で処刑 でも聖人やら預言者に天使とかは実質的に多神教の神を取り込み表している訳で。
単に主神としてヤハウェを置いている。
この構図はギリシャ神話や日本の神話と変わらない。
一神教と呼ばれる宗教の違いは他の宗教を拒絶している点に尽きる。
だから異端となると他の宗教・価値観だと認定されて激しく攻撃される。
そして宗教を通して中央集権的に権力が集約される。
対して多神教と呼ばれるものは他の宗教にも寛容で二重に三重に信仰しても許されるし、町ごとで宗教が違っても許容する。
つまり語感に反して教義・性質的に組織運営として中央集権か否かの区別でしかない。
ユヴァル・ノア・ハラリは一神教をそう分析しているね。 重要なことは、現代宗教と言えば一神教が当たり前のようだが、
一神教がとても特殊な形態と言うことだ。
人類史において信仰の基本は多神教だ。
人々は土地に根ざし農耕狩猟を行い、その中で自然の未知で大いなる力を感じることに信仰は生まれた。
それらは自然信仰であり、また様々な自然に対する多神教だ。
これらの神々は土地土地の生活の中にあり、信仰といっても生活行事の中に溶け込む。
その土地に生まれ育つことで信仰している。
このような中から一神教という発想は生まれない。
一神教が生まれたのはユダヤ人によってだ。
彼らは流浪の砂漠の民だった。
商業を生業に土地を渡り歩く。
そして土地土地で排他的は扱いを受ける。
そのような中から一神教は生まれた。
土地土地で信仰される様々な神々を超越する全能の一神。
そしてその神に唯一選ばれ契約を結ぶのがユダヤ人だ。
どんなに土地土地で迫害されようがこの世界で唯一選ばれた民はユダヤ人である。
このような卑屈な状況の中から一神教は生まれた。
このような特殊な形態が現代宗教のスタンダードのように勘違いされているのは、このユダヤ教の方法論がキリスト教に取り入れられて、ローマ帝国の国教となり西洋に広まり、
そして西洋が近代に世界を征服したと言うある種の偶然による。 ただユダヤ教的方法論が世界を征服しえた理由があるとすれば、
近代において人類がユダヤ人化したと言うことだ。
すなわち人々が土地から離れて流浪して孤独であると言うことだ。
そうなると牧歌的な土地に根ざし生活に根ざした自然信仰の多神教を継続することは難しい。
日本人以外には。
逆に日本人は近代化したにも関わらず、いまだに古代から牧歌的な土地に根ざし生活に根ざした自然信仰の多神教を継承している珍しい民族だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています