そもそも離島留学は、1970年代に長野県から始まり全国に波及した山村留学制度にあやかり、長崎県が2003年度から全国に先駆けて「高校生の離島留学制度」を導入した。
同制度では県内外に広く生徒を募集し、壱岐高校や対馬高校など5校で受け入れが定着。
壱岐市では2018年度から小中学校の児童・生徒に対象を広げた「壱岐市いきっこ留学制度」を開始、「里親留学」「孫戻し留学」「親子留学」の3タイプを提唱し、補助金制度も整備した。
この制度を利用し、昨年の段階で壱岐島には小中学生41人、高校生36人が留学している。

このうち里親留学はホームステイ元となる里親に月学8万円(食事代込み)の委託料が支払われ、実の親の負担は半額の4万円で、残りは補助金で賄う方式だ。
椎名さんの里親のAさんは4人家族で、椎名さんを含めた7人の留学児童・生徒と一緒に生活していた。
椎名さんは中学2年時からAさんを里親に留学生活を送っていた、半ば「ベテラン」。失踪当日は高校の卒業式で、3年生の留学生たちは卒業式を終えてその日のフェリー最終便で本土に帰る慣習になっていた。
椎名さんも卒業する留学生を見送るため、Aさんらとともに船着場の郷ノ浦港に向かったが、「マスクと傘を忘れた」と言い残してその場を離れて以降、行方が分からなくなっていた。

里親のAさんは集英社オンラインニュース班の取材に対し、椎名さんを預かるようになった経緯から、これまでの報じられたことなどについて丁寧に語った。誤解を避けるために一問一答形式で忠実に再現する。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/78a45567d9fe3c8477e766c31fb674fdc5a853ed