アドラーの心理学
「人は変われる、いつからでも、誰もが幸せになれる」
「意味付けを変えれば未来は変えられる」
− アルフレッド・アドラー − 現実を見ろと言われてガチ切れするなら、どんな現実があるのかな? 自分の思い通りにならない現実など、あってはならない。
そんな現実観を指摘してくれているのだから、感謝しなければ。
それで恨むなら、現実を見ているとは言えないね。 「自分の思い通りにならない現実など、あってはならない。 」
これが現実観?すごいな。 「自分の思い通りにならない現実など、あってはならない。」
(これが、現実らしい…) こんなやつ、隔離しないとどんな悪さし出すかわからん。 自分の誤りを認められない人は、本当に幼稚な人です。 自分以外の皆への誠心誠意ではなく、皆への誠心誠意。 悪を以って悪を制するのは、血で血を洗うようなものだ。 賞罰が気になるのは、覚悟ができていない証拠。覚悟をしている者は、賞罰が気になりはしない。 迎合するなら、陰口を言う資格なし。陰口言うなら、迎合するな。 善意とは、承認欲求を満たし、満たさせること。
悪意とは、反転した承認欲求を満たし、満たさせること。 高二病が治っていないなら、中二病が完治しているとは言えない。 中二病を否定する。
中二病の否定もまた否定する。
(自己矛盾) ガンディーは、イギリスから来た人たちが、塩を作るなという意味不明な命令を勝手に法律と言って出して来たため、この頭のおかしい自己愛性人格障害者の人たちを完全に無視し、塩を作った。
逮捕投獄されたが、おかしいのガンディーではない、イギリスから来た自己愛性人格障害の頭のおかしい人たちの方である。 得する、得させる、
得しない、得させない。
損する、損させる。
損しない、損させない。
善行をする、善行をさせる。
善行をしない、善行をさせない。
悪行をする、悪行をさせる。
悪行をしない、悪行をさせない。 正しい判断を、
誤った判断を、
得を、
損を、
善行を、
悪行を、
楽行を、
苦行を、 する、
しない、
させる、
させない、
される、
されない、
させられる、
させられない。 あなたのなすべきことは、発狂することではなく、事実を直視することです。 自他ともに、何を求める資格があり、何を求める資格がないのか?これを、見極める。 『赤松周作』@「特林」出(「特用林産科」
旧姓=土居)知子。
向井照人
千沙 リアルであることが罪。こういう人間は、世界のガン細胞だ。正常細胞に戻すか、殺せ。 小人、閑居して不善をなす。
つまらない人間は、暇になるロクなことをしない。 善人には善の、悪人には悪の美学があるのだろう。もう疲れた。双方の信仰を認める。善の聖戦も、悪の聖戦も、思う存分やってくれ。ただし、周りは正直かなり迷惑している。もう少し周りの迷惑も考えて聖戦をやってくれ。 心正しき強者に、弱者は涙を流すものだ。この人こそ、ホンモノだとわかるからだ。弱いうちだけ善人で、強くなった途端悪人になる。こういう人は、恐れられたり軽蔑を買ったりこそしても、心から慕われたり尊敬されたりすることはない。 心にぽっかりと空いた穴、それは、偽心。偽心など、食品サンプルのようなものだ。食えないから、食品サンプルとして使うのでなければ捨ててしまえ!リサイクルショップ?早く行け! 高校を卒業したらすぐに女子が性的に飛びかかってくるらしく…
女子就業率が伸び悩んで、日本のグローバリズム経済参加がオワコン
なのだそうだ。 承認欲求に囚われて本質的倫理が欠けている人は、その本質的倫理が欠けた偽りの倫理を他人にも強要する傾向がある。危険人物なので、関わらない方がいい。 性中立説
人間の元来の性質は、善でも悪でもなく中庸であるという説。人間は元来善人でも悪人でもなく、中途半端な中ぐらいのやつであるとする。 自分のことだけ考えて自分以外のことは考えないのは、ちょうど自国のことだけ考えて自国以外のことは考えないようなものだ。
自分以外のことだけ考えて自分のことは考えないのは、ちょうど自国以外のことだけ考えて自国のことは考えないようなものだ。 麻原彰晃はサリンを製造もしていなければバラ撒いてもいない。あらゆる実行犯ではない。だから無罪?自己責任論者の脳みそがどれほど腐っているのかがよくわかる。
せいにしあう見苦しさというものは、この上もない。それぞれが口々にせいにしあって、皆仲良く裁かれ、罰せられるのである。類は友を呼ぶとは、よく言ったものだ。まあ、後の世代への反面教師であることは明らかだ。 「生きるため?そうか、悪いな。こちらも生きるためなんだ。」
〜クズについて、クズ セルフプレゼンティングはかなりキモい。
セルフマウンティングはキモすぎて目も当てられない。 他の人間たちがどれほど狂っていても、自分一人だけはまともな生き方をする。こういう人間を、真人間という。
他の人たちがまともな生き方をしないなら、自分もまともな生き方をしない。こういう人間を、異常人格者という。 人間の知能があれば、他人の功で自分が賞されて悪いと思わないなら、自分の功で他人が賞されても悪いと思わないはずだ。
人間の知能があれば、自分の罪で他人が罰せられて悪いと思わないなら、他人の罪で自分が罰せられても悪いと思わないはずだ。
人間の知能があれば、自分の功で他人が賞されて悪いと思うなら、他人の功で自分が賞されても悪いと思うはずだ。
人間の知能があれば、他人の罪で自分が罰せられて悪いと思うなら、自分の罪で他人が罰せられても悪いと思うはずだ。 優秀な者は向かい風でも余裕で進めるので、心配ご無用。
無能な者は追い風でもまるで進めないので、諦めが肝心。 分割統治を甘んじて受け入れる人間は、分割統治する人間と同じレベル。だって、分割統治に協力してんだよ?露骨な手先じゃん!そのどこが被害者なんだよ!
バカも休み休み言いな! 残業地獄の工場をやめると
残された奴らはさらに残業地獄に陥いる
これを悪いと思って辞めないのは
自らの主観で決めてれていない 自分に厳しすぎると自壊しますから、自分に優しくというのは自分のためだけでなく他者のためでもあります。 犯罪被害のトラウマで苦しむ人に「トラウマなんて無い!」という態度をとるのは間違っていますね。嫌われる勇気が売れたのは加害者に甘い国だからかな ガガンボの罪
ガガンボのオスは、虫を捕らえてメスに渡す。もしこのガガンボが、自分が虫を捕らえた加害者であることを認めず、自分はメスに騙された被害者だなどとほざくなら、これはもはや八つ裂きにしない限り自分が何をしたのかをわからせることは不可能である。 他の人は鏡に映して見れるが、自分だけは完璧に美化された肖像画を鏡だと思い込んで見ることしかできない。俺たち自己愛性人格障害者を例えるならばこんな感じさ。 メドゥーサは、自分が自分を受け入れられていないだけなんだよな。ただ、それだけのことなんだよ。 メドゥーサは、鏡を見る必要はない。だが、鏡を見たときに石にならないだけの精神的な強さは必要だ。 イスラムの正しさは確実。人生は運で決まり、善行には善行の、悪行には悪行の報いがあるという風に教えられている。まるで、人間社会だ。
幸運のために善行に生きるも天国、不運のために悪行に生きるも地獄。それなら、イスラムは確実に正しい。慈悲の仏教やアガペー(無償の愛)のキリスト教は迷信で、邪教。神道などは、宗教と呼んでいいのかわからないくらいだ。礼拝所以上のものではないな。 皆ではなく、自分以外の皆に味方させていただきたい。 徹底的に他人を土俵の外に追い出して正義ぶる。正義の味方など、天下取りが上手いだけだ。 どうせ、それが自慢なんだろう。無欲とは、実に幸せなものだな。 善を以って善に応え、悪を以って悪に応えるの善。善を以って悪に応えるのは、悪を以って善に応えるのと同じく悪。 >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
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こんな町はぶっ潰れればいい そいつ(そいつら)だけ例外なのと、そいつ(そいつら)以外だけ例外なのとでは、本質的に同じだ。 握り飯を手に取って、店員にこれくださいと言って、金も払わず出て行き、お金を払ってくださいと言われると、ハァ?!!何言ってんの?とキレる。そんな人、嫌だな。 天気の子見に行きたいなー
でもカップルだらけなんだろうな 慣れてはならないことには、慣れてはならない。
慣れなければならないことには、慣れなければならない。 アドラー心理学で言う自己受容って、後天的努力によって自分の先天的性質を受け入れるってことか? 病を病じゃないと言えば病でなくなりはしない。病は病だ。 善を行って悪を行わないことへのこだわりが異常に強いのは、裏を返せば善意が弱く悪意が極めて強いということになるのではないのかな?フロイトの精神分析的にはね。 「人生は、思い通りになるのか?」
米中貿易戦争と日韓貿易戦争が、目下続行中だ。ご存知の通り、アメリカのトランプ大統領と中国の習近平国家主席は、世界有数の指導者だろう。
日本の安倍総理と韓国の文在寅大統領もまた、少なくともそれぞれの国の最高指導者であることを知らない人は、それぞれの国民の中ではあまりいないはずだ。
ところで、人生は思い通りになるのかという問いなのだが、報道で知る限り、どうもトランプ大統領も習近平国家主席も、安倍総理も文在寅大統領も、そこまで貿易戦争で利益を上げられているとはとても思えない。
しかも、その迷惑を被っている人、それも、言語に絶するほどの迷惑を被っている人たちが、少なからずいるのだ。
人生を思い通りにしようとすることが、どれほど周りの迷惑になるのか、少しは考えてほしいものだ。 バンドが好きな傾向とかと一緒で大学院生の性格はガチコレとかそういうのはない
だから例えば大学院生なのに大学院生の性格になってないんだけど?
といったような疑問は、本人発言にしろ周囲が言わせたにしろコンテクストとしては
とてもナンセンス マウンティングは動物のオスがメスにすることで、プレゼンティングは動物のメスがオスにすること。それがどれほどキモいことか、私にはわからなかったのである。 差別に腹を立てるのは、自分自身に差別の心があるからだ。それは、自己差別とも言えよう。 相手に特別扱いを求めるのは、自分をバカにしている。
相手を特別扱いをするのは、相手をバカにしている。 留まるために走り続けなければならない。
走り続けるために留まらなければならない。
これではまるで、ランニング・マシーンだ。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年は地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 蓮の花は泥沼から咲く♪
〜世界と人間のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆現れた世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしても、それも人間同様にプログラムで動いていると思われる。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、倫理上しかたのないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強い力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースがあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業する。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブ現象においては
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たなネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越される。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)
のようなものは存在しないと思われる(創造の原理は存在する)。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。
◆全ての二極性は表裏一体であり、輪廻の中に現れるあらゆる状況は時間の中でバランスをとる。
◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のは稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれは仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないと確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控え、ハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありそれはこの仮想世界とそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死後に輪廻を卒業してニルヴァーナに常にある荘厳なる至高の実在に目覚めると思われる。
◆しかし本当はそれは誰にとっても今の瞬間に存在する。眉間の後ろのほう(脳の中心部)とハートの中心に
全てである真我(≒無)への入り口があるが、その入り口の感触はたいてい味気なく感じられよく無視される。
幼い純粋な子供はその入り口の感触をおぼろげながら感じており、自己と世界の関係性が親密である。
その入り口の最深部から、仮想意識とその中に時間と空間の仮想世界がいま現れる。
現時点で多くの人間は我欲を主体とし、宇宙の法に従った生き方をしないために至高の統一生命が無視され、
延々と輪廻(幻想)の海を漂ってる可能性が高い。なお、宇宙の法は人生の境遇が悪ければ悪いほど甘くなる。 ◆そのような世界観を直感的に確信して賢く生きれば、仮に死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性がある。
自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。
◆人生を例えるなら、それは既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもん。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる(衆生本来仏)。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さくなり(ほとんど私は人間だとは感じられない)、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。この状態には非常に現実的なパワーがある。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。 肉体的な痛みは、
肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じられるが、同時に真我の位置からの観照が起こる。