矢野 優斗
みなさんはじめまして!WITH-Ü3代目、九州大学教育学部1年の矢野優斗と申します。ブログを書くのは初めてです。大トリということで、同級生や先輩方やうさぎさんから期待を受けているようですが、言い換えればラストバッターなので、どこかで申し上げた通り、セ・リーグでいえばほぼピッチャーの打順ということで、皆さんのような全米を感動の渦で包むような文章は書けませんが、あしからず。

僕のブログが本気で面白くなかった時の言い逃れを無事に作れたところで、これまで僕の歩んできた軌跡を。3月23日、神奈川県横浜市というところで生まれました。かなりの早生まれです。たまひよに参加した際、「1週間前まで17歳でした」と言ったら、とある先輩に悲鳴を上げられました。ちなみに、自己紹介でこれを言うと、「横浜出身とかかっこいい」だとか、「シティボーイなんだ」とか言われますが、テレビで映る横浜はきれいな部分しか映してないので、まったくそんなことはありません。
小学校くらいまでの僕は、今より人見知りの激しい子でした。人前に出るのは(今もですが)苦手で、しかしクラスでの係や委員会はまじめにこなす、たいそうフォロワーシップにあふれる子だった、と自覚しています。
転機は6年生の時、梅雨も明けようかという時でした。父の転勤で、福岡へと引っ越すことになったのです。突然知り合いゼロの環境に、しかもそんな中途半端な時期に放り込まれることに、とてつもない不安に襲われた記憶がありますが、転校先のみんなが一瞬で不安を打ち消してくれました。
その後全校1000人以上いる中学校を経て、偉大なWITH-Ü代表と同じ高校に進学しました。高校時代、僕はとても意識の低い生徒で、習熟クラス(成績と意識の高さを両立するクラス)に入ることを、「習熟クラスは課外が必修だから嫌だ」などという理由で拒絶するような怠惰な子でした。3年次、同じ九大志望の友達と、2人で一般クラスにいながら習熟クラスに挑む、という趣味の悪いことをやりつつ勉強したのはいい思い出です。そして無事に合格することができ、今に至ります。部活はやっていませんでしたが、趣味でアコースティックギターをやっていたので、いまはそのサークルにも入っています。