上方落語 その十九
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笑福亭笑光の京大一直線のコーナー
鶴光がヤンタン木曜日やってた頃は
鶴光が松鶴襲名とか角淳一とネタでやってたのに 米朝落語の継承者もとうとう逝ったね
ああいう説教落語は誰が継ぐのかねえ
セコ米朝はどうも違うし ああ、鶴光がいたか
あれも説教臭くなって関西落語家らしくはなってきた さんまは仁鶴が亡くなった日に、
大崎吉本会長から連絡を受けていたらしい。 >>836
賞でしか判断できんのか。まともなファンなら、ここに扇平なんか挙げへんやろ >>840
奇しくも今日、楽太郎の円楽が7代目円生を出して次の世代に繋げたい
三遊亭のお宝の名前が今の世に出ないのは勿体無い。
オレが継いでもいいと動画が上がってるね。 七代目松喬は名前を継いだばかりだが、六代目の孫弟子世代ならこの人
以外に考えられない。 松喬襲名は、「今の笑福亭で八代目松鶴の名に釣り合うのは三喬だけど、継がないよ」という宣言。ウィキペディアなら「誰による宣言?」とか差し込まれそうだけれど。
「らくだ」に挑んだのは、「これは松鶴襲名への前兆か!」と勘繰られる心配が無くなったから。かもしれない。 鶴光は毎日更新してるVoicyでも仁鶴のこと触れないな
あんまり仲良くなかったのか? その昔、朝日放送の『仁鶴、頭のマッサージ』で貰ったボールペンや
ノートを級友に転売し、安倍晴明に関する書籍を買い集めたという、
知り合いの占い師がこう言ってる。
「世が内乱状態にある時は、女王を立てれば丸くおさまるであろう」
八代目松鶴は笑福亭縁で決まりですか、一応、孫弟子やし。 上方落語は入門時の名前のままベテランの域まで続ける落語家が
東京落語に比べて多いような気がする
真打制度があるのが大きな理由だと思うが、米朝師匠が一度も
襲名しなかったのが大きいのかも
あと、2回改名する人も少ない 真打っていうか二つ目になる時に一応マトモな名前にするよな東京は
茶がまのまま60過ぎちゃうなんてことは起こり得ない >>836
扇平って・・・そらあんた
「こんまつ・せんべい」で漫才やってた時に
受賞したんやんか。 >>859
七代目松喬の襲名披露興行でらくだをやった事については、ラジオで当人が「松竹からやった方が良いと言われたから」と言ってたな 来月に小文吾師が六代目桂文吾を襲名されますね。
大名跡の復活ですね。
年齢や芸歴を考えると驚きです。 >>855
あんたは賞以外で判断して
誰がええと思うねん? >>868
あんなもん名跡復活とちゃうわ!
素人のジジイが勝手な事してるだけ! >>863
上方にそんなにいい名前が残ってないんじゃない? 笑福亭一門は箝口令が敷かれていたのか、今でも敷かれているのか、直弟子以外にコメントを出さないな
まあ色々あったのは分かるけれども、米朝一門とかとは逆やな 小文吾が今の時点で、文吾をきちんと継いで、弟子の吾空に小文吾を渡し、正しい系譜を示しておかないと、名跡欲しさ目的の他門下の噺家が商売襲名するから、高齢や実力を度外視しても非常に意味のある形式上での襲名だと思う。私は小文吾の文吾襲名は大賛成。 まあ師匠の先代文吾がそういう商売襲名の常習犯だったわけだが 門外漢からすると、主だった弟子のなかで仁鶴系だけが吉本になっているのが意味深なんだよな、ちょっとしたミステリーというか
もちろん、経緯や理由はちゃんと個々にあるわけだろうけど、ぱっと見、やはり手を付けにくい感じがある そもそも襲名なんてのは芸人にしてみれば金ばかりかかって旨味がないからな
江戸は寄席の席亭が自分たち後も受けるために半ば強要してるが、例えば仁智あたりにNGKで仁鶴襲名披露させるくらいなら、いつも通りカッペ相手にテレビ芸人こき使って搾るほうが儲かる
三枝や偽團治みたいになっても嫌だろうし 「商売襲名」なんていうから空き名跡が増える
「商売襲名」大いに結構
どんどん襲名したらいいと思うけど だから、商売として成立しないから襲名がないって事だろ >>872
桂文治
桂文左衛門
桂文團治
桂米朝
桂枝雀
笑福亭福松
笑福亭松之助
露の五郎
林家染語樓
橘ノ円都 米澤彦八、曽呂利新左衛門。
これが復活したら面白いだろうな。 >>881
文の家かしく
笑福亭梅香
ちなみに、梅香は「ばいか」と読みます。
くれぐれも「うめこう」とは呼ばぬように。 >>881
文治は江戸のほうに持ってかれたからないと思う 松葉ってよく知らないんだけど、7代目襲名は妥当だったの?仁鶴の一存で決まったらしいけど。
知り合いの上方好きが、松葉と吉朝が後10年生きてたら、上方は全然違うものになってたと言っていたのを思い出した。枝雀に関しては、あんまり惜しいみたいなことは言ってなかったな。 >>889
あの性格の悪い南光と一緒に番組やってたぐらいやから
人柄は抜群やった
個性派集団の笑福亭をまとめるには最適人者だったと思いま
実力は鶴三とどっこい >>885
Wikipediaより
6代目笑福亭松鶴の遺言には、笑福亭鶴瓶が「梅香」の名を継ぐようにと書かれてあった。しかし長きに渡り名を継ぐ者の居ない名跡は正しい読みが判らない場合がある。にも関わらず遺言には読みが書かれていなかったために「ばいか」や「ばいこ」、そして「うめか」であれば良いが、もしも「うめこ」であったなら大阪人の発音では女性器を表す三文字と聞き分けがつかない為沙汰止みとなり、襲名する予定は未だにない。 >>885
「うめこう」は梅断痔 師匠の愛称。
【中座をいっぱいにしたのはわしと
おやっさんだけや!】とわめき続ける
のでしょw >>891
ありがとうございます。
仁鶴の選択は正しかったんですね。
くれぐれも早世が惜しまれます。 >>890
まあ奇声や変顔でウケを取ってたのは事実だからね
そういうのが嫌いな人が枝雀を認めたがらない気持ちは分かるわ 枝雀の芸は、ピカソの絵。
基本がずば抜けてできていて、その上での芸。 小米時代の音聞いても、真面目な芸風 福団治、追放された6代目実子の枝鶴、枝雀と
3人揃って角座で襲名興行したんだよな確か 桂小文吾って1951年入門てあるけど、すぐに廃業して、40年以上サラリーマンやってて定年してから勝手に名乗りだしたジジイやん。
こんな奴がプロを名乗って、文吾を襲名して良いのか?
上方落語協会は認めてるのか? >>896
いい比喩だ。ピカソがどうだっかは知らないが、枝雀師は
双極性障害(躁うつ病)だった。山高ければ、谷深し。
谷の深さがどれほどか、我々凡人には知るよしもない。 >>899
別に勝手にではないだろ
復帰して25年も経つし別に問題ない >>899
米朝、五郎兵衛諸々の許可とってるみたいだ >>900
メンタル正常だったら駄目なの?
谷と言うか、心に闇がないとあかんの? 大体落語家なんて法的には何ら裏付けのない地位なんだから、どんなに怪しい出自でも○○は落語家じゃないというのは個人の自由の侵害だ
聞くにたえない天狗連がプロを名乗ってるならともかく、一応の正当性がある小文吾なんてフリーパスだろ >>903
誰も「正常が駄目」とは言っていない。
そもそも、正常か異常かはどちらの数が多いかで決まる。
こういう難しい話は、哲学板とかで訊くのがいいだろう。 枝雀は、オーバーアクションや顔芸で認めない云々
と違って、
単純に 上方落語らしい
風情が無いから、俺はつまらなく感じる。
枝雀も米朝も兵庫生まれで、小文枝とか松鶴とは
言葉のイントネーションが明らかに異なる。
だから、枝雀や米朝にハマって上方落語ファンを
自称する輩は、ミーハーと呼んで見下しちゃうよ笑
米朝のほうが小文枝より、技術は上手いけど
小文枝のほうが、米朝よりも明らかに上方落語
らしくて、いいね。
米朝とか枝雀を上方落語だと思ってるうちは
まだまだ、薄っぺらだ 米朝の音源から、
上方風情を感じられるモノを
選ぶなら、二階借り(茶漬の間男)は、どうだろう? >>906
松鶴や五代目文枝も上方落語だが、米朝や枝雀も充分過ぎるほど超一流の上方落語だろうが。
上方を勝手に大阪市限定にすんなや間抜け。 >>908
そうか?
上方らしい風情を感じるモノは、米朝にも枝雀にも
あるが、松鶴、小文枝、春團治、露の五郎 続き。
、文我、仁鶴、、
こういう人達に、比べると多くの演目には
上方らしい味わいがとても少ない。何故なら
言葉の問題が、大きいのである。
上手いし、笑える。
↑こういうベクトルなら米朝や枝雀は良いかもしれないが、上方落語かと言われれば
技術が彼らほどで無くても、上方らしい噺家は
他にも多くいる。
枝雀より、雀三郎のほうが好みだね まあ、米朝は間違いなく一流の噺家だと思うよ。
枝雀にも名演は多い。
ハナシは、変わるのだが。
関西にも素人落語の団体がたくさんある。
それらには、子供の落語ファンも多いのだけど
殆どが、枝雀ファンでなあ。
(コレが、小文枝ファンとか
米朝ファンなら、落語の味わい分かってるな!てな
もんだが。)
所詮、ガキには落語なんて笑わせ芸としか
思えないんだろうね笑。語りの風情とか、季節感
なんて味わえて無いわけだ。あれにはガッカリだ。 >>910
強いて言うなら、枝雀や米朝には
兵庫の味わいだとでも言おうか >>906
おじいちゃん、大丈夫?wwwwwwwwwww >>906
いとこい師匠もミヤコ蝶々も関西生まれですらない。
お前は何も分かってない。
芸というのはつくりもの、という当たり前の事が。 >>914
雰囲気は、大きく言葉によって構成される。
言葉の調子が生み出す、味わいについて言及した。
言葉は大事である。三代目が代書屋を演じると
単に、文書作成しているだけの噺なのに
絶妙な上方風情が漂う。彼の古風な大阪弁の為だ。
いとこいも、蝶々はんにもそれほどの上方風流は
感じない。蝶々は東京から引っ越して
兵庫で育ってる。米朝と同じく兵庫風でしょう。
因みに、いとこいも蝶々も好みである。
芸というのは、つくりもの。 はいそうですよ。
それでも喋る商売では、言葉のリズムや色はとても
重要である。落語は尚更そうだろう。
語弊があったかも知らないが、
上方落語イコール枝雀と米朝
←こういう認識のやつは、
明らかに大阪弁を用いた上方落語の味わいを、
分かっていない。 枝雀と米朝。
上方落語として、どうなのか?ということだ。
どちらかと言えば、キワモノである。 キワモノでもニワカでも何でもえーんで、米朝・吉朝が好き。
こないだ鈴本で久しぶりに聴いた露の新治も良かった。 番外編でも何でもえーですわ、江戸の人間からすれば。
あんたの言う本物の上方落語も、所詮あんたの好みの延長でしかないでっしゃろ?
それとも米朝一門がええ言うたら、何か困ることでもあるんでっか? 兵庫と一括りにしてる奴、摂津言葉と播磨言葉の区別が出来んのやろな >>920
困ることはないが、小文枝や松鶴、春團治から
大阪弁で語る上方落語の良さを、知った者には
米朝や枝雀は、上方風情があまり感じられず微妙。
特に枝雀はそうである。
上方落語=米朝や枝雀
が、浮かぶようなら真の上方落語の味わいを
知らないというだけである。
米朝、枝雀ファンであるならそれはそれで結構。
ただ、上方落語ファンと言えるかといえば? さよか。ほな本でも論文でも書きなはれや、真の上方落語とはこーゆーもんやっちゅーことを。
ここであれこれ言うても、説得力おまへんでえ。 >>923
"上方落語ファンかといえば?"答え↓
ミーハー。 あんたみたいなもんを、江戸じゃ半可通ゆーて、大層馬鹿にしてまんねん。 >>915
関東のほうは、まだ語りの上手さとかを重視する
傾きがあるからいいけど、関西は遅れてるよ。
落語ってのは、笑いとかストーリーの価値
を前提としてるけど、やっぱり
噺家の個性的な語り、雰囲気を、楽しむもんだ。
落語を聴き込んでくると、"笑いなんて要らない"と
だんだん思えてくる。笑は、落語の本質では
無いって気づいてくる。
枝雀は、笑わせ屋に徹しすぎた演目が多い。
枝雀ファンだった老害どもが
子供とか初心者に枝雀の代書屋
なんてすすめる神経が分からないよ。
時代によって客のニーズが、変貌するけども
枝雀ファンってのは、落語に笑わせ屋としての要素をいまだに、求めすぎるのがとても鼻につく。
オーバーアクションとかを、
しない他の噺家のファンとは根本的に違う気が。
落語を聴くなら、
その噺家の語りに引き込まれるか
っていう観点で聴くべきである。笑わせ目当てで、聴くのはほどほどに。それなら紳助みとけ。 >>917
>枝雀と米朝。
>上方落語として、どうなのか?ということだ。
>
>どちらかと言えば、キワモノである。
大真面目にこんなことを言ってるとしたら、もはやバカモノである。 初代露の五郎的な上方落語は、江戸落語と
特性が違うといえるが、
やはり江戸落語的に笑いよりも
趣を重んじるのが、あらまほしき落語の姿だろう。 >>927
数などの影響力では米朝や枝雀は
大きかったが、古くからの
本来の上方落語らしい味わいは、ざこば等が
待っている。 半可通といえば。米朝の訃報が、出た当時
落語動画コメント欄に、
"これこそ、上品な関西弁です''
なんという。
兵庫で生まれて、東京の大学通って、戻ってきた
噺家の落語にこういうことをコメントする
半可通が多かったのを覚えている。 桂小文吾
1951年入門
1956年廃業
1995年活動再開
こんなのが文吾襲名て、ええのん?
破門やないからOKなん?
ほな、今までで廃業した人等も突然復活可能なん? >>930
テレビ向けに改変した関西弁であることは確かだ
テレビラジオの影響はどうしようもない 孤独な独居老人の長文連投が続くな 話し相手がいないからって
無視するしかないな こんな馬鹿輩は まるでイスラム原理主義者みたいなお方が暴れ込んできましたが、
これもタリバンの影響ですか。 カジュアルに上方落語楽しみたい層に対して、異常な自論で対抗するってタリバンっぽいな。
米朝・枝雀に親でも殺されたのかと疑いたくなるレベル。 江戸落語通がエラソーに言う「噺の中で江戸の風が吹いていたか否か」論みたいな事だろ? >>931
それを言うと二代目枝三郎もニ代目米之助も一旦噺家離れて復帰して四代目文枝と四代目米団治襲名してんだから、筋さえ通しときゃいいんじゃないの そもそも数値化できない芸事の世界で、特定の誰かの芸を正解として基準にする事自体に無理がある
モナリザとサモトラケのニケのどっちにより価値があるか決めることができるか?
もし何らかの基準で決めたとして、それで世間の大多数を納得させることができるか?
この問題もそれと同じ話 >江戸落語通がエラソーに言う「噺の中で江戸の風が吹いていたか否か」論みたいな事だろ?
今時、江戸の風とか言ってる奴いねーだろ(笑 米朝師匠も四代目米團治師に入門後内弟子生活を始めるも、
一旦辞めて姫路で郵便局に勤めてから復帰した。 五代目文吾はウィキによれば寄席経営に失敗したので東京を離れた、
との記述がありますが空襲で妻子も寄席も失ったのが原因らしいです。
協会に所属しなかったのも元来が東京落語だったためでしょうか。
六代目を五代目の弟子が襲名するのは当然でしょう。
先代米紫やきん枝に文吾を渡さなくてよかったと思います。 五代目文吾は没年もはっきりしないが小文吾は知らないのかな 今年の二月に五代目の五十回忌追善落語会が、
喜楽館で予定されていましたが、
コロナで中止になっていますね。 >>939
別に、正解とは?
ってんじゃなくて米朝枝雀、
古くは圓都のような兵庫生まれの噺家は
大阪生まれの
親子春團治、親子松鶴、小文枝、
三代目文我、二代目五郎、仁鶴春鶴ざこば世代
とは、言葉が生み出す
雰囲気が異なるので番外編としている。
どちらが、上方落語の味わいかと言われたら
量としても後者が、主流たるべき。
米朝や枝雀は、その中でも門弟の多さや
影響力を考慮して、
偉大であるという考えもできる。
そこで、後者の味わいを好む人にすれば
多くの音源で、
米朝や枝雀は上方落語を聴いた感が薄い。
また、上方落語といえば米朝!枝雀!のように
懐古している人が、やや幼く思えるのは仕方ない。 米朝は一流噺家だが、彼のファンは米朝ファン
であった上方落語ファンではない
これも、当たり前の解釈 >>946
後者の味わいを好む割合って上方落語聴いてる層の5%未満じゃね?
好むとか、たるべきとか、考えもできるって、そもそも一個人の主観に過ぎない、ということも指摘しておく。 >>947
そもそも上方落語ファンってどこにいるんだよwww
松鶴のファンは、上方落語ファンであって松鶴ファンとは言わない、ってことかよ。
ワケの分からん呪文唱えるのもたいがいにしとけよ白痴。 >>946
それもあんたの主観でしかなく、その理屈で大多数は納得させることができない
好き嫌いを理屈で飾るな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。