この「余韻までが曲」と「その場の雰囲気や場に応じた音すべてが曲」という二つの音楽への考え方。
見知らぬ私がネット掲示板に書いただけでは、それぞれの信者にとっては説得力がないだろうね。
だけど、もし反対側の意見が有名音楽家の著書に記されたり講演で述べられてたらどうだろうね。
「余韻までが曲だ!」と言われてそう思っている人は、尊敬する顧問にそう言われたからだろう。そんなこと考えもしなかったという衝撃も加わり正当化される。
実際、吹奏楽部の顧問をやっている人たちは、「余韻までが曲だ!」と習い、生徒にそう指導してきた人が多いから、今の「直後のブラボー悪」が浸透しているだけのこと。
しかし、それが正しいというわけでもなく、またブラボーがあっても正しいというわけでもない。