>>739
東映動画の予算は東映から
最終的には、そのシステムも行き詰まる

>東映動画というのは東映の100%子会社で。
>それで、何を作るかに関しては本社が決めて、
>それを東映動画に発注する。
>東映動画はそれを作って本社に納入する
>というシステムだったわけ。
>ですから、興行成績の具合とかは全く関係なしに、
>必要な――あるいは必要最小限の――予算を東映が渡して、
>それで作る。それを東映が興行するというシステムだった。

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>五九年、東急電鉄から東映に社長として、
>会社再建のために迎えられた大川博は、
>ディズニースタジオを見学した際、
>手塚治虫以外で、日本のアニメはアメリカを抜くと確信した一人であった。
>ディズニーでは、精度の高い作品を制作するためにユニオンショップ制をとり、
>少人数精鋭となり、その資金面からも人員増員ができずに
>製作年月が長期化する。
>大川は、人件費、労力だけではなく、
>日本のアニメーターの能力、アイディアをはやくから評価していた。
>そして、一年に一作のペースで、一本、五千万円の投資でつくれば、
>なんとかやっていけるとにらんだ。
>そして五七年に東映動画を設立した。
>だが、実写(特撮)と較べてもアニメは資本がかかりすぎる。
>大川博は、東映の「赤字部門」といわれた動画部門を再興し、
>システム化したままこの世を去った。

>七二年、東映社長が岡田茂に交代。
>東映動画社長は、東映勤労部長、登石社長に交代した。
>いよいよ赤字集積部門の動画部門は、激しい合理化にさらされた。
>従業員三二〇人のうち、一五〇人が希望退職に応じた。
>ここからアニメは、手塚治虫が開いたTVリミテッドアニメのもとで、
>低賃金、重労働、海外下請けが定着し、
>劇場用アニメは、漫画原作付作品「宇宙戦艦ヤマト」など、
>集客がよめる人気作品に移った。
>宮崎駿はTVに移り、「面白さ」を追求した。
>それから『風の谷のナウシカ』が、劇場に登場するまで、
>一〇年の歳月を待たねばならなかった。