大滝 秀治(おおたき ひでじ、大正14年6月6日 - 平成24年10月2日)は、日本の俳優、ナレーター、実業家。位階は正四位。勲等は旭日重光章。文化功労者。
株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任した。 新潟で出生、東京出身の俳優、ナレーターである。本名同じ。身長167cm、体重63kg、血液型O型。
母親が里帰りしたため出生地は新潟県上越市であるが、生まれてすぐ戻ったため出身地は東京。2011年(平成23年)に文化功労者として顕彰された。
名優の一人として舞台・テレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍。劇団民藝に所属し、宇野重吉没後には奈良岡朋子と共に
代表を担っていた(法人の代表権は大滝が持つ形となり、奈良岡は取締役であった)。趣味は将棋。1987年から1988年にかけて活動した女優の大滝久美は次女。
同期には奈良岡・内藤武敏がいる。
1943年(昭和18年)に旧制私立駒込中学校(駒込高等学校)を卒業して、三田の電話局に勤務した。1945年(昭和20年)に通信兵として召集される。
戦後は大手町の電話局で、進駐軍を担当した。帝国劇場で研究生募集のチラシを見たのがきっかけとなり、1948年(昭和23年)に東京民衆芸術劇場附属俳優養成所に
1期生で入所後、1949年(昭和24年)に『風の吹く一幕』で初舞台を踏む。しかし同劇団の創設者である宇野重吉に甲高く、かすれた独特の声を指して
「おまえの声は壊れたハーモニカのようだから、演劇には向かないと思う」と評され、演出部へ移った。1950年(昭和25年)の民藝創設に参加し、
旗揚げ公演のチェーホフの『かもめ』に出演する。1952年(昭和27年)には『冒した者』の代役に起用されたことがきっかけで俳優に転じ、正式に劇団員となった。
長年裏方ばかりの不遇時代が続くが、1970年(昭和45年)の舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。時に45歳での受賞であった。以来、民藝の看板俳優の
ひとりとして数多くの舞台に出演した。『巨匠』『浅草物語』『らくだ』などが舞台の代表作であり、演劇賞も多く受賞している。2011年(平成23年)には
多年に亘る演劇活動に対する功績を評価され、文化功労者に推挙された。