もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまりは羊の肉を煮たスープの類であった[4]。
南北朝時代に北魏の捕虜になった毛脩之が「羊羹」を作ったところ太武帝が喜んだという記事が宋書に見えるが、
これは本来の意味の羊のスープであったと思われる[5]。冷めることで肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。
「羹」の通常の音(漢音)いった。

「煉羊羹」が日本の歴史に登場するのは1589年(天正17年)で、
山城国伏見九郷の鶴屋の5代目岡本善右衛門が、テングサ(寒天の原料)
・粗糖・小豆あんを用いて炊き上4年)には完成品として市販されている。[8]

江戸時代は煉羊羹全盛時代であり、江戸本郷の藤村羊羹をはじめ、多くの名舗が現われた。一方、初期の製法の羊