納得いかない台詞のオンパレードだった
脚本家とは仲良くなれそうにない
それはいいが、最も納得いかないのはタカナシの以下の言葉

人間にはやり残したことなんてない。
人生って、小説や映画じゃない。幸せな結末も、悲しい結末も、やり残したこともない。
あるのは、その人がどういう人だったかということだけです。
だから、人生にはふたつルールがある。
亡くなった人を、不幸だと思ってはならない。生きている人は、幸せを目指さなければならない。

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やり残したことなんてありまくるのが人生でしょう。死の病の床に臥せっている人も「来年の桜は見たいけど見られないかな」と
思う。事故死などの予期しない死や何の罪もないのに殺人事件の被害者になってしまうような苦しく痛く怖く悲しい死に方もある
それらは不幸ではないか。非業の死という言葉もある。なぜなら本来の寿命はそのタイミングではなかったであろうことが
想像でき、それが真実だと思うからだ。かごめの死は殺人や事故死ではないから、ある意味そこが寿命と思えるけど、そう思えない死もある
やり残したことがないなんていえる人はいるにはいるけど少ないでしょう
かごめのキャラ設定は死なせる設定だから予め家族が亡くなっていて身内と呼べるのは親戚ととわ子くらいで
親戚とも折り合いが悪い孤独なキャラにしたのとすら思えてしまう
かごめに子供がいる設定ならタカナシの「やり残したことなんてない」に反発した人も多かったのではないか

あととわ子が1stに言った「三人で生きていく」の言葉もありふれていてつまらなかった
高校のクラスメートを亡くした卒業生が「一緒に卒業しようね」というのと何ら変わらない普通の言葉

あとこれも言っておきたいが、とわ子が三回も離婚してるクソビッチなのはなんでかなと思いながら
ドラマ見ていたのだが、母親も離婚してたという話が出てきたとき遺伝性なのを即理解したし、
母親のLGBT設定は取ってつけたようなエピソードで流行りだから入れました的にしか見られず残念
LGBT設定がなくても別に話に影響はなかった