>>659
開戦を伝える大本営発表を前に、ラジオの前の橘家始め商店街の庶民たちはどう受け止めたか?
万歳もしなければ嘆きもしなかった。ただ不安そうに聞き入るだけ。
そういう人々も官憲が見張る公的な場所、いや私道においても鬼畜米英を叫んだだろう。
現にきぬは女子挺身隊に参加し、おかみさんたちは国防婦人会の勤めを忠実に果たしていた。
算太の出征に際してはお決まりのバンザイで送り出した。
つまり、体制論理に丸め込まれたケチベエ以外の人々は、ほとんど皆、抗えない運命を粛々と受け止め、
好戦でも反戦でも嫌戦でもない戦時下の生を営んでいた。
本気で戦争に快哉を叫んだ人々が多数いたことは確かだけれども、一方でこうした「ふつうの人々」
も、生命と生活を破壊する戦争に直面した以上、ふつうにいたに違いない。
カムカムに登場した商店街の人々はこうした「ふつうの人」であった。

雉真父は経営者としての冷徹な判断が熱狂に優ったのはこれまた当然の事。
後に勇がバントのサイン無視で強打ダブルプレーと称したように、軍部に食い込み商機を拡大することに
集中していた(軍服、国民服生産)。