さらに言えば、当時は民活の名のもとに国の金を出し渋っていた時代なうえ、
今ほど地方分権や地方活性化は叫ばれていなかったので、
仮に神戸沖案が通っていたとしても、結局同じことになっていた可能性は低くない

結局のところは、民活による活性化なんて方針を打ち立てた中曽根元首相が全ての元凶だ