昭和のアクアリウムにありがちだったこと [無断転載禁止]©2ch.net
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ベタやグッピー欲しいけど飼い方わかんねえ・・・
飼育所も売ってねえし。
VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:----: EXT was configured >>366
青くてウールろ材入れるやつを思い出した >>367
小学校の頃、姉(現在バツイチ子あり)と投げ込みの瀘材が黒っぽくなっているのを見て、新しいのに変えなきゃ!って言っていたのを思い出すよ…
今考えると変える必要は全く無く当然の色の変化なのだけどね、、当時はネットも教えてくれる人も無く物理濾過しか知らないから… >>366
青い投げ込みと水作の側面フィルターまだ現役 >>368
汚れたら底を外して、中のウールを洗って本体は古ハブラシでこすってキレイにしてたなあ……
今は疎遠になった親戚から水槽一式もらっていろいろ飼ってたわ 子供の頃 ショップで稼動してるエーハイム初めて見たとき
「これがパワーフィルター!」と感動しながら本体やホース撫で回した
正直店員から見たら 不審者でしかなかったと思う >>356
大成功?
初代ウイルドグラスが不評で売れない間に
テトラなど他社製の枠なし水槽が次々発売されて普及して
改良版の新キューブガーデンが出た時には
「これ、他社のとどこが違うん?」状態になったじゃないか
>>365
昭和の終わりごろは
「密閉式だと還元が行われ、窒素がガスになって放出されるから水替え不要」
という怪しい都市伝説が蔓延して
密閉式外掛けのトットパーフェクトフィルターとか
密閉式上部のアトロフィルターなどが、かなり割高なのにどんどん売れてた
実際には微量要素補給の意味合いも有るから
安価なフィルター+水替えの方が長期維持出来てたんだけどね >>376
塩水浴は今でもかなり有効な治療法だけどな
昭和にもココア浴とかあったんだろうか? >>372
そうそう、濾過ウールを水道水で洗っていた
今考えると間違いだらけw
>>375
トットの嫌気性濾過を兼ねた外部は最近の物かと思っていたら古かったのね…
>>370
親が藤沢市の比較的広い実家を勝手に売って、姉はそれを頭金にして大田区にマンション買って親と子と住んでいる(勤務地が品川)
仕事はちゃんとやっているみたいだけど、元夫からの言葉のDVがトラウマになって、私生活ではアル中みたいらしい
会ってないから詳しくは知らないけど >>376
メチレンブルーも塩浴も、今でも白点の時に隔離してやっているよー >>380
アル中かよw
シアノマイドっていう事前に飲んだら丸一日は酒飲むと気分悪くなる禁酒薬飲んで酒やめたなぁ
まぁアル中ってほどではなかったけど
アッネにお勧めするわ すでに35年以上前にあったと記憶しているが
水作プロホースのご先祖さまは
500mlのペットボトルを輪切りにしたようなプラスチックのカップで
それに自分で準備したゴムホースを指して
サイフォンの原理で砂の中をかき回してゴミを排水と同時に排出
これも水作から発売されていた トットパーフェクトフィルターは発売されてからまだ2年も経ってないでしょ
アトロフィルターはコトブキの半円型のオールインワンインテリア水槽にセットされてたっけな 2年じゃねぇ20年だスマヌ
エーハイムが安くなりだした頃のアクアライフや楽熱に毎号見開きの広告が載ってたのを覚えてる >>387
そう?
不透明なパイプ並べたタイプは90年代から無かったっけ
今と違う会社が販売してた記憶がある エーハイム代理店といったら
ワーナーランバート
↓
エーハイムジャパン
↓
カミハタ ←いまココ 大きさに関わらずザリガニを1匹10円で買い取ってくれる観賞魚屋があった。
ザリガニ釣りに行って自分で飼うザリガニ以外は持って行って売って
小学生の時のいいお小遣いになったわw 当時は単純に店頭売りかスーパー等の卸売りだと思うよ 昭和40年代の昔は
ゼニガメやアカテガニの買取してる金魚屋も有ったんだよな
平成初期のクワガタ買取よりは牧歌的だな >>385
あったな
緑色のプラで出来た樽みたいなヤツだった >>385
水作フレンドかな?
今でも現役で使ってるよ
というか、フレンドが廃版だと今知ったw ブラックバスの稚魚買ったら
次の日自分と同じ大きさのメダカを咥えながらメダカ色の糞しながら死んでた ガラスに貼り付ける液晶シールタイプの水温計があった チョウセンスズガエル
いまどきの爬虫類・両生類マニアより、昭和のアクアリストのほうが馴染み深いカエルだと思う
昔は200円ぐらいで売ってたが、たまに入荷する今では1500円ぐらいする
昔を知ってる人は高いので買わないし、若い人は名前に「チョウセン」が入ってるから意味もなく嫌う 今、ブラックバスが飼えるのならオスカーと混泳させたかった。 >>395
廃番じゃなく名前が変わった
今はプロクリーナーという名前になってる >>401
ショップで水換えの際、使ってるのをよく見るね 駄菓子屋でよっちゃんイカを買ってザリ釣りしてたw
クサガメとアカミミもよく釣られてたな。 よく食べる〜♪スイ〜ミ〜♪
ってエサのCMあったなあ 素晴らしいニシキゴイ
宝石のようなニシキゴイ
よく食べるスイミー
大好きなスイミー
スイミー♪ スイミ〜♪スイミー♪
きみのくちびる かばや スイミ〜♪ ♪コイもお腹が減るのかな?
ずっと泳いでいるんだもん♪
って曲のコイ用配合飼料のCMを思い出したけど肝心の製品名が出てこない ステンレス枠水槽が普及する前に亜鉛枠水槽ってのが有った
枠に細かな飾り模様が入ってて見た目はオシャレだが、錆びて白い粉を吹く >>416
それアンティークショップで結構いい値段ついてるの見たことあるわ 大雨が降って止んだ後に川から飛び出した鯉や鮒を取りに行く 熱帯魚屋のオヤジが水槽サイズに合わせてガラス蓋を切ってくれた
今はそういう店少ないだろうな >>424
いまは護岸がばっちり過ぎて激甚災害クラスじゃないと水が溢れない バイメタル式のサーモスタットが壊れて
家に帰ったら魚達が程良く茹で上がっていたのは良い思い出 この頃アクアやってなかったからよくわかんないけど昔の人は大変だったんだなあと思う 暖かくなったら「魚でも飼うかー」って適当に買ってきて
雑な飼育でだいたい死んで「命って儚いわねー」でちょっとしんみり。
運よく夏の終わりまで生きてたら「自由におなり」で近所の池にドボン。 俺とコリドラスの出会いがまさにそれだったな
学校帰りにたまたま見知らぬ兄ちゃんに「魚いらんか?」と呼び止められて
コリドラスをもらったのがアクアリウムを始めたきっかけだった
兄ちゃんは池にコリドラスを放流しようとしていたらしい
当時はコイを買っていたからそのコイ水槽に入れたら、半日で死んでしまったが >>409
ギャバンやシャイダーの夕方再放送でよく流れてたな。
当時コメットの浮上性のエサを金魚に愛用していたけど、
それだけでエンゼルが基本の学校水槽や友人の家に比べ優越感に浸れた
のどかな時代。
乾燥イトミミズキューブが万能エサ扱いでやたら重用されていて
飼育書を読むと栄養が偏るから金魚には専用のエサをやれと
大抵しつこく書いてあった。 金魚すくいの金魚がすぐに死ぬのは本当は過密な場所に入れられた挙げ句、追いかけ回されて弱ってるからなのに、水道水のカルキのせいだと勝手な思い込み。 >>432
1 過密輸送
2 追いかけ回され
3 水道水カルキ
の連続技でないの?勝手な思い込みでもない 赤手カニや弁慶カニをサワガニのように飼って溺死させる たぶん魚売り場で刺身と活きザリガニが一緒に売ってたって意味じゃない? ディスカスのエラ病治療にホルマリン投与が推奨されていた
うちではプラナリア駆除にも用いてたけど 今の時期はサワガニが鮮魚売り場で売られてるな。
モクズガニは11月頃からか? エアポンプとか器具のデザインがいちいちすごくおっさんくさい
金魚飼育熱帯魚飼育なんて中年以降の男性の趣味だと思われていたのかな スドーの仕切り板で箱に安全第一と表記してあるのが昭和くさいw 新しい元号になったら「平成のアクアリウムにありがちだったこと」のスレが建ってガーパイクが普通に飼えたと書かれる。 平成のアクアリウム?
飼育器具の進化で小さなキューブ水槽が大流行
支那製粗悪品ヒーターの事故が多発
濾過機論争未だ決着つかず 今ではあまり見ないが
アフシク飼いは上部フィルターのろ材に牡蠣殻を使ってた
一部の金魚飼いも 通販で生体が買える時代が来るなんて当時は思い付きもしなかった。 通販自体は昭和からやってるぞ
切手を送って価格表をもらって電話注文してた
平成に入ってからはFAXでも受け付けてた 昭和じゃなくて平成の初め
ADAを立ち上げる前の天野尊師がネイチャーアクアという言葉を使いだした頃
尊師は水草水槽の底床に酸処理してない大磯砂使ってた
「底床が硬度を上げる資材でも、流木を多数入れる事で弱酸性低硬度の環境を作れる」
などと書いてた >>456
そっちの世界は疎いんだが、それは間違ってるということでいいのかい? >>457
別に間違っちゃいないけど
「CO2添加とソイル使用しなければ水草はまともに育たない」的な説を世に広めた天野が
会社立ち上げる前はこんな文章書いてたのは、隔世の感が有るなと 天野の思想は昔から、自然と同じ風景をできる限り人工物を排斥した空間で身近なところに置きたい。
ADAのデザインとかが洗練されていったのは、視覚的にできるだけ水と魚と水草だけって状態を作りたかったから。
でも後年のジャーナルでは、自然のシステムで自然の状態を作りたかったのに、最終的にADAが人工的肥料、Co2添加等余分なものを増やして根付かせてしまったのは失敗だったと言ってるから理念は変わらんと思う 昭和一桁の祖父によれば
金魚のエサが販売されていない昭和20年代の頃は
麩を砕いて粉にするか、削り節を粉にして金魚やメダカの餌にしてたらしい
そんな頃でも「ヒメダカ」「ブチメダカ」は既に売ってたという >>460
メダカの品種改良は江戸時代に最盛期を迎えていったん衰退したんだと
菊とか朝顔とかの園芸といっしょらしい 昭和時代はブラインシュリンプを餌としてではなく育てる目的で孵化させていた 少年ジャンプの広告に載ってたw
あれ、ボロ儲けやなw 商品名はシーモンキーだったな
どこがサルに似てるのか意味不明だったけど 学研の付録に付いてたけど食卓塩で孵化させたら3日で絶滅したの覚えてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています