昭和のアクアリウムにありがちだったこと [無断転載禁止]©2ch.net
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ベタやグッピー欲しいけど飼い方わかんねえ・・・
飼育所も売ってねえし。
VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:----: EXT was configured 駄菓子屋でよっちゃんイカを買ってザリ釣りしてたw
クサガメとアカミミもよく釣られてたな。 よく食べる〜♪スイ〜ミ〜♪
ってエサのCMあったなあ 素晴らしいニシキゴイ
宝石のようなニシキゴイ
よく食べるスイミー
大好きなスイミー
スイミー♪ スイミ〜♪スイミー♪
きみのくちびる かばや スイミ〜♪ ♪コイもお腹が減るのかな?
ずっと泳いでいるんだもん♪
って曲のコイ用配合飼料のCMを思い出したけど肝心の製品名が出てこない ステンレス枠水槽が普及する前に亜鉛枠水槽ってのが有った
枠に細かな飾り模様が入ってて見た目はオシャレだが、錆びて白い粉を吹く >>416
それアンティークショップで結構いい値段ついてるの見たことあるわ 大雨が降って止んだ後に川から飛び出した鯉や鮒を取りに行く 熱帯魚屋のオヤジが水槽サイズに合わせてガラス蓋を切ってくれた
今はそういう店少ないだろうな >>424
いまは護岸がばっちり過ぎて激甚災害クラスじゃないと水が溢れない バイメタル式のサーモスタットが壊れて
家に帰ったら魚達が程良く茹で上がっていたのは良い思い出 この頃アクアやってなかったからよくわかんないけど昔の人は大変だったんだなあと思う 暖かくなったら「魚でも飼うかー」って適当に買ってきて
雑な飼育でだいたい死んで「命って儚いわねー」でちょっとしんみり。
運よく夏の終わりまで生きてたら「自由におなり」で近所の池にドボン。 俺とコリドラスの出会いがまさにそれだったな
学校帰りにたまたま見知らぬ兄ちゃんに「魚いらんか?」と呼び止められて
コリドラスをもらったのがアクアリウムを始めたきっかけだった
兄ちゃんは池にコリドラスを放流しようとしていたらしい
当時はコイを買っていたからそのコイ水槽に入れたら、半日で死んでしまったが >>409
ギャバンやシャイダーの夕方再放送でよく流れてたな。
当時コメットの浮上性のエサを金魚に愛用していたけど、
それだけでエンゼルが基本の学校水槽や友人の家に比べ優越感に浸れた
のどかな時代。
乾燥イトミミズキューブが万能エサ扱いでやたら重用されていて
飼育書を読むと栄養が偏るから金魚には専用のエサをやれと
大抵しつこく書いてあった。 金魚すくいの金魚がすぐに死ぬのは本当は過密な場所に入れられた挙げ句、追いかけ回されて弱ってるからなのに、水道水のカルキのせいだと勝手な思い込み。 >>432
1 過密輸送
2 追いかけ回され
3 水道水カルキ
の連続技でないの?勝手な思い込みでもない 赤手カニや弁慶カニをサワガニのように飼って溺死させる たぶん魚売り場で刺身と活きザリガニが一緒に売ってたって意味じゃない? ディスカスのエラ病治療にホルマリン投与が推奨されていた
うちではプラナリア駆除にも用いてたけど 今の時期はサワガニが鮮魚売り場で売られてるな。
モクズガニは11月頃からか? エアポンプとか器具のデザインがいちいちすごくおっさんくさい
金魚飼育熱帯魚飼育なんて中年以降の男性の趣味だと思われていたのかな スドーの仕切り板で箱に安全第一と表記してあるのが昭和くさいw 新しい元号になったら「平成のアクアリウムにありがちだったこと」のスレが建ってガーパイクが普通に飼えたと書かれる。 平成のアクアリウム?
飼育器具の進化で小さなキューブ水槽が大流行
支那製粗悪品ヒーターの事故が多発
濾過機論争未だ決着つかず 今ではあまり見ないが
アフシク飼いは上部フィルターのろ材に牡蠣殻を使ってた
一部の金魚飼いも 通販で生体が買える時代が来るなんて当時は思い付きもしなかった。 通販自体は昭和からやってるぞ
切手を送って価格表をもらって電話注文してた
平成に入ってからはFAXでも受け付けてた 昭和じゃなくて平成の初め
ADAを立ち上げる前の天野尊師がネイチャーアクアという言葉を使いだした頃
尊師は水草水槽の底床に酸処理してない大磯砂使ってた
「底床が硬度を上げる資材でも、流木を多数入れる事で弱酸性低硬度の環境を作れる」
などと書いてた >>456
そっちの世界は疎いんだが、それは間違ってるということでいいのかい? >>457
別に間違っちゃいないけど
「CO2添加とソイル使用しなければ水草はまともに育たない」的な説を世に広めた天野が
会社立ち上げる前はこんな文章書いてたのは、隔世の感が有るなと 天野の思想は昔から、自然と同じ風景をできる限り人工物を排斥した空間で身近なところに置きたい。
ADAのデザインとかが洗練されていったのは、視覚的にできるだけ水と魚と水草だけって状態を作りたかったから。
でも後年のジャーナルでは、自然のシステムで自然の状態を作りたかったのに、最終的にADAが人工的肥料、Co2添加等余分なものを増やして根付かせてしまったのは失敗だったと言ってるから理念は変わらんと思う 昭和一桁の祖父によれば
金魚のエサが販売されていない昭和20年代の頃は
麩を砕いて粉にするか、削り節を粉にして金魚やメダカの餌にしてたらしい
そんな頃でも「ヒメダカ」「ブチメダカ」は既に売ってたという >>460
メダカの品種改良は江戸時代に最盛期を迎えていったん衰退したんだと
菊とか朝顔とかの園芸といっしょらしい 昭和時代はブラインシュリンプを餌としてではなく育てる目的で孵化させていた 少年ジャンプの広告に載ってたw
あれ、ボロ儲けやなw 商品名はシーモンキーだったな
どこがサルに似てるのか意味不明だったけど 学研の付録に付いてたけど食卓塩で孵化させたら3日で絶滅したの覚えてる >>466
うちもそう、泥とか浮草も入ってるからそのままハイイロゲンゴロウ採ってきて入れておいた >>466
添加物なしの塩でもエアー無しで過密だと3日で全滅するんじゃないか >>469
過密になるほどたくさんの卵は添付されてなかった
学研の付録版だと「一袋二回分」と書いてあったが、耳かき一杯分ぐらいしか入って無くて
規定量入れても30匹ぐらいしか孵化しなくて
成体になるのは2〜3匹だった 熱帯魚って飼うのが難しいイメージがあったけど、実は水温調節さえできれば日淡よりも丈夫な種類が多いことを知った。 日淡は回遊魚が多い上、サイズの割に遊泳量が強力で
水量やフィルター能力を食う種類が多いから。
最大の難点は終生飼育や累代人工繁殖が容易な小型種が少ないこと。
池持ち当たり前の上級者の書いた入門書に騙されて小ブナとかを
気軽に飼った挙げ句、でかくなりすぎるわ半端になついて捨てられないわで
フナ数匹がヒャッハーするだけの渋すぎる60水槽を多額の出費と共に
構築した苦い思い出が。
せめてもの彩りと投入したオサレな水草も大抵翌朝にはunkoと化す世紀末水槽。 >>472
>終生飼育や累代人工繁殖が容易な小型種が少ないこと
ていうか元祖熱帯魚のパラダイスフィッシュ含め
初期の熱帯魚は世界中から集められた鑑賞性の高い小型魚ばかりだからな
日本からも金魚・メダカ・タナゴが戦前から世界中に輸出されてるぞ ねー昭和ってカワコザラガイ居たか?
見なかった気がするんだけど >>460
貴方の祖父と同年代の親類は、毎朝多摩川でミジンコをプラケ一杯採って帰って飼育魚に与えてから仕事に行っていたと言っていた
多分40年以上前の話だけど、赤潮みたいなレベルでわんさかミジンコがいたのだそうな
信じがたし >>474
居たけど、スマトラやマーブルグラミーなど
カワコザラガイを好む魚が飼われてたので問題にならなかった
多分、水草とテトラだけの水草水槽が流行ってから
カワコザラガイが敵視されたと思う >>475
ミジンコとイトメは護岸工事と下水道普及で激減したな。
>>476
中型魚混泳水槽減ったよね。 フツーのキッシンググラミー入ってる水槽をよく見たな
いまはバルーンとか出てるけどそんなに人気なさそう ヤツはプレコと違って追いかけ回しながら舐め回すから厄介 昔の特撮「怪奇大作戦」で
喫茶店(レストランかも)で飼育しているアロワナに
餌(金魚)を与えるのでご覧くださいってシーンがあるが
客へのサービスなのかな うれしくない気もする
何気にピンクテールカラシンも確認できる >>480
BSの再放送で見たよ。うっすら覚えてる。なんか水草が植えてあった記憶もある。 80年代の大阪アフリカの広告に「カニsp」とゆー物があった。
当時は南米泥蟹「ガランゲージョ」が数種類輸入されていた。その内の一種だったろう。
最近はガランゲージョが全く輸入されて来ないね。 でっかい水槽のあるレストランがあったが親に連れてってもらえなかった(´・ω・`)
もうなくなってた
ttp://www.aro.to/tukushi/tukushi.htm 昭和のエアコン(クーラー?)のデザインのように、木目調のカラーリングを施した角ばったエアポンプがあったな
ブーンと鳴り響いてうるさかった
今の技術で清音化した奴を作れば、それなりの需要はあるはず、きっと・・・たぶん 店の人と客の区別がつかないショップが多かった
いまもあるかな? ウールが50センチ×1メートルぐらいの布みたいな状態で畳まれて袋に入ってて
フィルターに合わせて切って使ってた
底面フィルターの上にもウールをかぶせてから大磯砂敷いてた >>486
俺が上の方で書いた
おっさんくさいデザインの器具とはそれの事 昭和50年代はじめ
初めて行った熱帯魚店で見た魚の値段
シルバーアロワナ(幼魚) 2,000円
グラスキャットフィッシュ 350円
コリドラス・メタエ 1,000円
この3種の価格はいまでも覚えてるが、
あまり平成の相場と変わってない気がする 生物のことや飼育に関しての情報は書籍や人から話を聞くことしかなかったこと 嘘というより、60年代の第一次熱帯魚ブームの情報が更新されてない感じ
グッピーやアフシクは飼育水に0,5パーセントの塩を入れて
底砂はサンゴ砂で飼うとか 昭和当時、情報誌とか読んでたときに
アクアショップは地方格差(生体の種類とか)が大きいなって思ってたけど
最近の地元の状況考えると、まだ昭和期の方がマシだった気がする・・・
ほんとに熱帯魚や器具は通販で買うのが普通になってしまうのかな へたすると1.5倍とかあるからね。テナント料や流動あるからしかたないんだが >>499
昭和の昔は通販事情が不安定で、地方の個人ショップの経営が成り立ってたからな
今世紀初めのアクア低迷期に相当数のショップが消え
ホムセンぐらいでしかアクア用品・生体買えない地域がかなり増えたな カミツキやらワニガメのベビーがうじゃうじゃ売られてた スッポンの子供が700円で売ってたんで2匹買ったがどこいったks... >>453
牡蠣殻の金魚飼育は今でも普通に
結構メジャーなところでも使われてる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています