俺は、大宮の江得琉(えうる)という、地図から消された場所に住んでいる。
面積はバチカンくらいだwwwwwwwwwwww
では、なぜ地図から消されたのか?
戦前戦中は存在していたが、ファシストイタリアが1943年に降伏して以降、地図から消され、そこの民は終戦まで刑務所に入れられた。
そして、その地は地図からも消されただけでなく、当時の町の文献や、住んでる町の人々の家は全て、建物疎開の名のもと、全て破壊され、周辺の市町村にはかん口令もしかれ、
江得琉(えうる)という町そのものが、最初からなかったかのようにされた。
その地には、当時、日本にいたイタリア人も住んでおり、その地の住民の3割がイタリア人だった。
イタリア人たちは、ファシストイタリアが、1943年に降伏して以降、日本軍の捕虜収容所に入れられ、虐殺はされなかったし、米軍などの捕虜よりは、優遇されたが、虐待され「負け犬」とか「裏切者の疫病神」などの暴言を毎日吐かれ、
終戦時まで、刑務所以上のひどい生活をさせられた。
さらに、終戦直前から戦後にかけて、江得琉に住む人々の氏名と名前を全員変更させられた。
もちろん、芋田も、改名させられた苗字。