菜畑でみられるように土着の民(突帯文式土器)が稲作を始めたのだが、
大規模な渡来の痕跡はないのに、弥生中期の人骨は、渡来人と思われるものが多い。
これから、考えられることは、初めから菜畑の民は、渡来人であったと考えることが
自然だろう。そして、その故地は、朝鮮でもなく、中国でもない、
どこかであろう。その時、我々が蒙古斑などの寒冷地にみられる特質から
大陸東北部のツングースと同じ先祖が来られたとおもうのです。
上記の論文の論旨のように、北東アジアにそのような故地があったと思うのです。