奈良時代ごろ、飛鳥地方の住民の80%〜90%が朝鮮人であったことは、「続日本紀」「姓氏録」に書かれており、「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、
そこに住んでいたのは朝鮮人であった。」と井上光貞・山本健吉は述べている。また、司馬遼太郎・上田正昭・金達寿の対談集によれば「飛鳥は朝鮮文化をぬきには
語れない」と語り、「飛鳥における政治の実権は蘇我氏<朝鮮人>の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。」と亀井勝一郎氏は述べている。
「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、百済語が公用語だったとしか考えられない。」と佐々克明は述べている。