考古学で天皇はタブーか。邪馬台国とは? [無断転載禁止]©2ch.net
人類は日本列島で発生したものでないことは「分子人類学」で証明済
つまり古代でも今でも、祖先辿れば、「日本列島人」だけでなく世界の全ての人間は、
「祖先はアフリカ出身」の渡来人なのだ
今更、考古学の次元で、天皇家も含めて古代日本列島住民が「ヤマト人かどうか」
なんていう論争を始める奴はオツムのレベルが低すぎる自己証明だ。。 「ヤマト人」の定義は極めて曖昧
皇国史観で神武天皇時代は紀元前7世紀頃(既に9種の人種が住んでいた。)
一、当時の中国は春秋戦国時代:
『論語』(子罕第九)
「子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰。君子居之。何陋之有。 」
「孔子は(血みどろの戦国状態に嫌気が差して)九夷(九州)に移住したいと言った。
ところが、ある人が九夷は陋だから、それでいいですか?と問うた。子は応えて言った。
『君子が治め、それに従順な民が住むところだから、陋だなんだと問題視することなんか
全く必要ない。』と。」
ニ、中近東では預言者イザヤの時代(アッシリアに捕囚された北イスラエルの10支族が
離散して「失われた10支族」になっていく時代)
旧約聖書、イザヤ書24章15-16
「それゆえ、あなたたち東の地でも主を尊び
海の島々でも、神、主の御名を尊べ。
地の果てから歌声が聞こえる。
『主に従う人に誉れあれ』と。」
三、分子人類学でのY染色体ハプログループ解析結果(Nonaka et al. 2007)
C1a1(2.3),C2(3.0),D1D2a(38.8),N(0.8),O1a1(3.4),O−M95(0.8),O-47z(25.1),O1b2(8.4),O2(16.7)
の九種存在(現在で分布割合が0.5%以上) お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ 邪馬台国《九州》説は、大和朝廷の存在事実を“抹殺”し天皇制廃止を狙う極左キャンペーン
──邪馬台国論争そのものを即時絶滅させることが、天皇制度護持に不可欠な緊急要諦
https://nakagawayatsuhiro.com/?p=2013#more-2013
中川八洋、筑波大学名誉教授
“偉大な史書”記紀を尊敬し修理保守してこそ日本の学者──内藤湖南と中川八洋 >>335
邪馬台国は無かったんだよ。
中国の歴史書物が正しいと何を担保にしてるんだ。
信用出来ないのは今を見ればわかるだろ。
福岡までは来たけど後は作り話。
日本は中国の属国だと言う既成事実化するために嘘。
日本中がブームで探したけど何も出て来ないのが現実。
現実を信じろよ。 >>332
そのアフリカの出身者の猿は誰が産んだんだ? 日本は神仙思想の影響でしょ。天渟中原瀛真人天皇が日本を建国したんだから。 誇大妄想は不要です。畿内説は時間の無駄です。
邪馬臺国の場所は魏志倭人伝に書いてありますから。
<魏志倭人伝には陳寿の誤解が多く含まれています。>
中国史書は先代の史書と当時の記録をもとに後世の文書屋が編纂したものです。
「里数」表記の行程は中国側に残っていた記録であり、
「日数」表記の行程は朝貢に来た倭人からの伝聞記録です。
それぞれ表現方法が違うだけであり帯方郡から北部九州までの道のりです。
卑弥呼の使者が魏に来たので改めて女王国までの行程を確認したところ倭人は次のよう答えた
・帯方郡から南に船で20日行けば半島南部の投馬国
・更に南に10日進み北部九州=邪馬台国に上陸します
・上陸後、女王の都までは徒歩です
・合計三十日の道のりです。
この朝貢記録を陳寿は誤解し、南に水行三十日,陸行一月と記した。
卑弥呼時代の倭国たち:https://i.imgur.com/41Q7Kwe.png
・女王国の東には海が有り、それを渡るとまた倭種の国々があった。
・南に敵対する狗奴国があり、卑弥呼時代に戦争が勃発した。
・後漢時代の倭は100国あったが女王国は30国である。(馬韓が50国なので割と小規模)
倭人伝において女王国の西側の国については一切触れられていないことから、
おのずと女王国は倭の西部に位置することがわかる。
<その他の文献記録>
・韓国は東西が海に面し、南は倭と接する4千里四方の国である(魏志韓伝)
・倭人が鉄をとりに半島まで来ていた(魏志韓伝)
・倭人は「里」を知らず「日」を使って距離を表現していた(隋書)
・伊都国の又南、至る邪馬薹国(翰苑 広志逸文)
・日本書紀 崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
魏志倭人伝と同様に短い里が使用されている なぜ私は、精魂込めて『神武天皇実在論』を上梓したか
https://nakagawayatsuhiro.com/?p=2913
中川八洋、筑波大学名誉教授
那珂は、1888年に「日本上古年代考」、1897年に「上世年紀考」を世に発表した。
日本書紀の神武天皇“即位”が660年遡り過ぎなのを明らかにした著名な論文。
神武天皇のご即位の時期は、ほぼ西暦紀元頃と、那珂は推定した(注5)。これは学術的に最も歴史事実に迫っている
学界はこれを黙殺し、文部省も徹底無視。
学界も文部省も、天皇制廃止に直結する嘘歴史「神武天皇が存在しない」を推進しているのである。
どうやら、1910年代に、この“逆走”推進が始まったようだ。
方法は二正面作戦。正面攻撃は、津田左右吉に露骨な
「神武天皇は実在しない/皇室がでっちあげた小説よろしい物語だ」の大プロパガンダをさせた。
これは、1919年以降、燎原の火のごとく学校や大学で広まった。
背面攻撃は、GRUロスケが支配していた文部省が音頭を取って1940年に
「二千六百年祭」を全国規模で開催し、神武天皇の即位を紀元前660年に戻した(注6)。
那珂通世の学問を全否定したのである。
さらに、伊勢神宮だけでなく、皇室の祖先の高天原も日向三代も真赤な捏造嘘歴史になってしまう。
そこは、前漢鏡だらけの地だからだ。前漢が存在しない時代なら、前漢鏡も存在しない。
三種の神器のトップ神器“前漢鏡(国産)”を初代神武天皇は
神宮に奉戴していたと記述する記紀を編纂したのは現皇室。
が、前漢が存在する前に神武天皇が即位したとすれば、この記紀の記述は真赤な嘘の垂れ流しになる。
仮にも「紀元前660年に神武天皇が即位」とすれば、
この時には前漢も後漢もまだ支那には存在しないから、神武天皇自体も実在しないということが、
瞬時に確定する。
特に、皇室のレーゾンデートルは、前漢鏡を国産化した天照大神の八咫鏡だから、
「神武天皇は即位時に八咫鏡を奉戴した」が、瞬時に真赤な嘘となるからだ。 もう一人の重要な歴史学者が、内藤湖南である。
「邪馬台国は九州にあった」など、戯言ならまだしも、学問なら妄言・暴言に過ぎない。
なぜなら、「邪馬台国」とは、和語“大和の国”の支那国の宛て漢字だから、
「邪馬台国」は「やまとのくに」としか訓めない。
だが、これを「ヤマタイコク」と、日本は学校教育でもトンデモ嘘読みさせる。
天皇制廃止のためなら嘘を擦りこめ!である。
一方、「やまとのくに」と当り前に訓めば、大和朝廷の皇后クラスの女性皇族が
『魏志倭人伝』の「女王=ひめみこ」となる。卑弥呼は「ひめみこ」の宛て漢字だから、
ヒミコと訓むことはできない。
これはまた、大和朝廷が魏帝国(220〜65年)と外交関係を持っていたことになり、
大和朝廷が三世紀前半には北部九州をも統治下に置く確固たる統一国家だったことが判明する。
が、この正しい歴史が『魏志倭人伝』によって判明するのは、天皇制廃止勢力にとって、どうしても困る。
なぜなら、「大和朝廷は三世紀後半以降に誕生した」と、
事実を二百五十年ほど遅らせないと、神武天皇から少なくとも第九代開化天皇までを紙上テロルして抹殺する政治的歴史改竄ができなくなるからだ。
「大和朝廷は、邪馬台国の後に出現した」とか
「大和朝廷は、魏帝国が滅んだあと、邪馬台国が東遷した国家」等の政治的創作の嘘歴史にすれば、
皇室の祖先である「神武天皇〜開化天皇」は消え、皇室はどこの馬の骨かわからぬ人物から生まれたとなり、その由緒ある皇統史をぶっ壊せる。
これが、天皇制廃止勢力は暴言・妄言の類「邪馬台国(やまとのくに)は九州」を執拗にがなり立て続ける理由である。
現在は、共産党が組織的に指揮し、
暴言・妄言「邪馬台国(やまとのくに)は九州」を、大学だけでなく、
学校教科書の定説にデッチアゲている。これは明治時代から執拗で、
共産党員のハシリ久米邦武や水平社系の喜田貞吉はこの巨頭だった。
今もその悪影響は衰えていない。 あ、邪馬台国ね
ここだけの話。忖度なしで解決したいなら中国の正史に後漢書を見れば一目瞭然だよ
東夷列伝倭条に邪馬台国から狗邪韓国まで直線距離で北西7000里(525キロ)
・狗邪韓国から北九州まで約200キロ~400キロ
・狗邪韓国から近畿まで約700キロ
今の地図でもいい
525キロをピッタリと当てはまる場所は阿波なんよ 邪馬壹国は古代中国の発音で
邪:シャ/サ
馬:ムラ
壹:イツ
国:クワク
と読む
シャムライツクワク(サムライクワク)
となる。
つまりサムライコクだ
侍(サムライ)の語源はここにありだ!
分かったかい? 『もういちど読みとおす山川新日本史』 山川出版社 2022年
古墳が成立する時期を3世紀とする研究が進む中で、
「ヤマト」を中心とするヤマト政権に邪馬台国連合が直接つながる可能性が高くなった。
邪馬台国の中心部とされる候補地の一つに、纏向遺跡がある。
この遺跡は奈良盆地の東南、三輪山のふもとに位置し、大量の土器が出土し、大型建物跡も発見されている。
巨大な運河などの土木工事がおこなわれた大規模な集落であり、政治の中心的地域だったと考えられる
『高等学校 日本史探究』 清水書院 2023年
史料2に倭の女王(卑弥呼)が魏から銅鏡100枚を授けられたことがみえる。
それに該当する可能性があるのが、前期古墳に副葬された三角縁神獣鏡である。
また、史料1に、247年ころに卑弥呼が死去し、直径100歩あまりの塚をつくったことがみえる。
その有力候補に、奈良県桜井市の三輪山のふもとに立地する箸墓古墳がある ネトウヨの歴史観の間違いだらけ
日本人は縄文文明人の末裔
→間違い。弥生文化人の末裔です。
日本語は縄文時代から日本列島で話されていた
→間違い。縄文人は古代アイヌ人です。
稲作は中国江南から伝わった
→間違い。日本米は古代韓半島の無文土器文化人の稲の品種です。
日本の古代には神代文字があった
→間違い。上代日本語と神代文字は母音の数が合わないのでニセモノです。
縄文人と弥生人は同じ民族である
→間違い。人種レベルで異なる種族です。言語も違います。
天皇家は縄文時代から続く最古の王朝
→間違い。世界最古ではあるが贔屓目に見ても弥生時代終末期から。
日本は皇紀2600年の世界最古の国
→間違い。ヤマト王権の始まりは卑弥呼の即位と同時代で1800年程度。
ホツマツタエやオシテ文書や契丹文書や東日流外三郡誌は正史
→間違い。完全に近世以降の偽作。
邪馬台国の卑弥呼は九州の土蜘蛛の女酋長
→間違い。ヤマト王権の女王というのが学者の間でほぼ定説。 朝鮮人は少なくとも2700年前には若狭湾岸エリアに来ていた。その証拠に北陸弁や東北弁には朝鮮語訛りの発音が含まれてる。3000年前の出雲に流入した雑穀農民(シニガイ文化)が、水田稲作の普及と共に東へと拡散する過程で、ウラル語と朝鮮語が混じり合ったようだ。 古事記の干支から、
⑩崇神没年258年or318年と推定。
同様に、
⑬成務没年355年、
⑭仲哀没年362年、
⑮応神没年394年、
⑯仁徳没年427年、
⑰履中没年432年、
⑱反正没年437年、
⑲允恭没年454年、
(21)雄略没年489年、
(26)継体没年531年、
単純に没年記録ない他の天皇は実在してなかった模様 熊襲と同じだともされる隼人(はやと)が音感的にも邪馬台国の人達で元々は、耶馬渓
(やばけい)辺りにいたのでは?大和の政権に反抗したとも書かれてる。のちの大和朝廷
たちに追われ鹿児島や宮崎あたりまでにげてきてその後住んでいた伝説が、宮崎説とかに
つながって、菊池や日田に近い耶馬渓辺りに隼人たちが元々いた土地が邪馬台国。
やばけい、はやと、はやとこく、やばたいこく、やばとこく、やまとこく
その地名を奪って襲名したのが奈良に築いた大和国。 なんで考古学も歴史学も数理をもっと使わないのか
この界隈、統計を取らずに推論するばかりで流石に主観的すぎはしないか?
日本書紀に対して簡単に一次データを抽出する作業をしたらさ、4巻目が8代の天皇に対して文字数が少なすぎるとかでたんよな
こういうのどうやって考古学はどう答えることができるん?