2403 これが日本の銅鐸です(簡易天文観測装置説byはやし浩司)

銅鐸上部の平面部には穴があるので水を使って水平は測れない

型持穴を覗いて水平をとるには高低差や遮蔽物のない見晴らしのよい平地でしか出来ない
実際問題、銅鐸が出土した場所は山頂や尾根近くの斜面あるいは谷間など
穴を覗いて水平をとるには不向きなところが多い
月日や時を知るような生活に重要な道具であるなら、なぜ集落跡や住居跡から発見されないのか?

どのように銅鐸の紐に日・月・年の印しをつけるのか?
そもそも土中に埋納していてはカレンダーとして使えない

銅矛を針として使っていたというが銅鐸と銅矛が一緒に出土した例は、ほとんどない
(島根の神庭荒神谷遺跡ぐらい)
また銅鐸と銅矛の大きさが違いすぎて(ほとんどの銅矛は銅鐸より大きい)針として使えない

紙製の模型では影がハッキリ見えるかもしれないが当時の銅鐸や銅矛は光沢があるので反射しやすく影はハッキリ見えず
天文観測装置や日時計として使えない


馬鹿のひとつ覚えのように銅鐸=天文観測装置説を繰り返し
疑問やツッコミに対して、いつまでたっても何一つ具体的な回答ができず
はぐらかし黙殺することしかしない(できない?)の
情けないとは思わないのかな?