三雲の硯は滞在していた楽浪帯方漢人が楽浪帯方との通信のために
使われたものだろうな。

紙に書いたのか木簡に書いたのかまでは分からないが。 

楽浪人は四川系の中国陶磁器なんか全然作ってないんで、四川遺民だとか
意味不明なデムパを飛ばさないように。

楽浪帯方漢人は楽浪帯方土器から見て、中国大陸の陶磁器文化を持っていないため、
中国大陸の影響が希薄な遼東あたりの漢人集団がメインだったと考えられる。

呉越とか昆明とかデムパ過ぎる。

日本にも朝鮮にも、呉越やら昆明やらの影響を受けた痕跡遺構なんかどこにもないし、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者など一人も居ませんので。