日本の古代史 Part36©2ch.net
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日本の古代史 Part35
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1481406180/ わお〜わお〜わお〜
>>174
え?どゆ意味?
質問の意味すら分からんw
わが大和民族の王統は、道家的三種の神器をもって、神仙思想による祭祀文化を弥生後期から現代まで継承しているのだが
各地の神社では、天地人の三巴紋を社紋とし、神器の鏡を御神体に護り続けているだろ
京都の葵祭りのように、姫巫女による斎王制まで継承する神社もあるし
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>175
だいたいお前がイメージしている道教は、老子が最高神として偶像化され、金キラの寺院で崇拝されている後世のものだろ
それは新興宗教である仏教に対抗するために、民衆に分かりやすく擬人化され、5世紀以降に確立されたもの
1〜3世紀の天師道や太平道など張魯が鬼道を行なっていた時代はまだ道教の祖型で、神仙思想をもとにした原始的なアミニズムの祭祀形態だから
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>178
五斗米道(ごとべいどう)は、通説では後漢末に張陵が、蜀(四川省)の成都近郊の鶴鳴山(あるいは鵠鳴山とも、現在の大邑県)で起こした道教教団。2代目の張衡の死後、蜀では巴郡巫県の人である張脩(張修)の鬼道教団が活発化した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています