>今までの九州の曽畑式土器は朝鮮半島の櫛目文土器に影響されてがヒックリ変えるかも。

対馬茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさし、縄文前期から古墳時代に至る複合遺跡で、
本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期の土器、
石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。

今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが
学会の常識であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、

さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器が見つかった。
つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということになってしまう。