日本の古代史 Part36©2ch.net
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日本の古代史 Part35
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1481406180/ 水田稲作技術を持って来たのは縄文人自身?
以上のように、北部九州乃至は西北九州の縄文人が、水田稲作について直に肌で感じたり、
実際に水田稲作に携った可能性を認識した上で、菜畑遺跡の出土物を観察するとき、
その不思議な構成の理由が明らかとなってくる。
先程、菜畑遺跡で出土した「水田稲作」に必要な道具のセットについて調べた。それらの先端的な道具は、
確かに南部朝鮮からの到来品であった。 ところが同時に発掘された“生活用具”の方は、
「日本人はるかな旅4」の記述によれば、--菜畑遺跡ではすべて縄文文化に由来するものだった。 皿や浅鉢、甕、壺といった土器の類は、皆、典型的な「縄文土器」であった。--
また、「日韓交渉の考古学」(小田富士雄,韓炳三/編)の記述でも、--菜畑遺跡の晩期後半の石器には
大陸系と縄文系の2系統があるが、量的には後者が圧倒的に多い。--としている。
すなわち、菜畑ムラでは、従来どおりの西北九州縄文人が生活しており、そこに「水田稲作技術」だけが新たに導入された、
という印象なのである。とても南部朝鮮人が集団で菜畑ムラにやって来て、水田稲作を営んだという痕跡はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています