日本の古代史 Part36©2ch.net
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前スレ
日本の古代史 Part35
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1481406180/ だから渡来系弥生人にも地域ごとに文化的相違があったってだけの話だろ。
宗像あたりが甕棺墓文化の境界だったというだけで。
だいたいその辺りは渡来人骨のメッカじゃないですか。
今だって同じ福岡県でも、福岡市と北九州市では色んなところで文化的相違があるでしょうに。
縄文系弥生人なんか佐賀西部以西に追いやられてしまってますよ。
この時代の主役は渡来系ですよ。 わお〜わお〜わお〜
>>80
人骨だけみれば、渡来系弥生人の境界は、宗像より西方の博多辺りといわれている
↓
甕棺墓圏の興盛期の人骨を統計解析すると、有明海沿岸地方の吉野ヶ里タイプの弥生人と遠賀川一帯を含む玄界灘沿岸地方の弥生人とは大きく2つに 分かれる
↓
http://www.geocities..._no_yayoijinn338.jpg
侵入元の方が北方形質の純度が高くてもおかしくないのに、結果は逆転しているねw
ちなみに玄界灘に面した福岡西部の伊都国以西は、もともとは支石墓圏であり、甕棺墓圏討伐の起点となった場所だからー
本当に小笑い >>81
甕棺墓討伐って何ですか?
文化なんて消えるときはあっという間に消えますよ。
支石墓だってそうでしょうに。
俺が思うに、その頃、畿内の邪馬台国の手が延びてきたのかなとは思うけど。
ま、いずれにせよ、縄文系弥生人なんか関係ありませんから。 わお〜わお〜わお〜
>>83
>甕棺墓討伐って何ですか?
倭国大乱だったんですよ
甕棺墓圏(海幸)と箱式石棺墓圏(山幸)の間の
漢から金印をもらったものの、男王では治らなかった
縄文系弥生人にとっては失地回復だったのでしょう
総大将は海幸奴国と、山幸伊都国ではないでしょうか
それにしても、土器ちゃんは邪馬台国畿内説なんですか?! 土器編年やっている人はほとんどが九州説かと思ってましたーw
邪馬台国の纒向入りは、時代がたってからでしょう
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>75
とうとうやりましたー
祝!!「神宿る島」宗像・沖ノ島 世界遺産 登録へ
しかし新聞報道を見る限り、地元の宗像市は宗像三女神が引き裂かれると、複雑な反応をしています
倭国大乱で山幸側が勝利しなければ、この世界遺産は存在しなかったわけです
この遺産は、山幸側の縄文系倭人の自然信仰と楽浪遺民である四川漢人の方士の神仙思想が文化的にも習合されています
宗像三女神の宗像は胸形であり、縄文系倭人の分身の意味ですが、三女神は神仙思想での天(奥津)地(中津)人(辺津)の三才を表しています(この天地人三才のシンボルは、前方後円墳として大和民族の王都纒向でも具現化されています)
今回のイコノス勧告では、聖域(奥津)から離れた世俗的な辺津宮の宗像大社などが外されたことで、地元は宗像三女神が引き裂かれたと感じているのでしょう
「神宿る島」全体を神籬にした縄文信仰が世界遺産として認められたことだけでも、自分としては大変うれしいのですが.. >>84
土器から見れば、岡山の土器文化が奈良に流入しているから、
岡山の王族の王女だった卑弥呼を女王に立てて奈良に置く事で
事態の打開を謀ったのかなと。
>>85
で、72の答えは? 国際博物館の日
ICOM(国際博物館会議)では、5月18日を「国際博物館の日」とし、博物館が社会に果たす役割について
広く市民にアピールしています。当協会では、賛助会員の方々から寄付を募り、より多くの皆さまに
博物館に親しんでもらうための活動に取り組んでいます。
なぜ5月18日なのか?
1977年にモスクワで開催されたICOMの第11回大会で、「国際博物館の日」を設ける決議が採択されました。
第11回大会は5月18日から29日まで開催されたことから、5月18日を「国際博物館の日」としたようです。
2017年の「国際博物館の日」について
ICOM(国際博物館会議)による2017年のテーマは
“Museums and Contested Histories : Saying the Unspeakable in Museums"
「 歴史と向き合う博物館 ―博物館が語るものは 」です。
https://www.j-muse.or.jp/02program/projects.php?cat=8
★記念事業一覧★
https://www.j-muse.or.jp/02program/pdf/IMD2017list.4.27 >>84
海幸彦、、、先行した天村雲命を初代とする大倭国/海部葛城連合王国
山幸彦、、、遠祖を同じくするも九州から攻め上り先行王朝を追い出した物部大王家/垂仁天皇 わお〜わお〜わお〜
だいたい、わが大和民族の国家祭祀を司る伊勢神社の御神体八咫の鏡が、伊都国平原の後漢鏡、内行花文鏡と同じなのに
一方、甕棺墓文化圏からは、内行花文鏡の太陽信仰とはまるで関係のない前漢鏡しか出ないわけでー
渡来系甕棺墓人がわが大和民族の王統の主役であるわけがないのだよ
本当に小笑い 全部島根、要は出雲を介した渡来系だろ。
甕棺墓があったから九州北部は骨が遺っているだけで、西日本一帯が渡来系だよ。 そもそも伊勢神宮の神社建築自体、ルーツは弥生早期に朝鮮南部から松菊里型住居とセットで
江辻遺跡に伝わった高床式倉庫の建築技術がベースだしな。
ただ、それらを江辻に持ち込んだのは刻目突帯文土器人自身だが。
その点から見ても、日本神道は渡来系の信仰がベースになっていると思いますよ。 縄文狼さんの感想がほしいな。
白馬青牛さんはとうとうお亡くなりになったのかい? イカちゃんはどこへ?
24、人に知られず巧者なる者
https://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1493970502/479 わお〜わお〜わお〜
>>94
宗像市の「海のみちむなかた館」のホムペによると
http://d-munahaku.co...=91818&cgid=1001
↓
◯宗像地域は、弥生時代に栄えた強国で金印の出土で知られる奴国などが採用した甕棺というひつぎを用いた墓制を受け入れなかった地域であることにヒントが隠されています。
よその墓制を受け入れるわけにはいかなかったと考えられます。
◯土笛の分布や墓のあり方を検討すると、どうやら宗像の人々は、墓に甕棺を作らず、土笛を使った共通の祭祀をする日本海沿岸地域の人々と関わりが深かったと考えられます。
>よその墓制を受け入れるわけにはいかなかった
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>95
大型内行花文鏡のデザインはまさに旭日旗そのもの
陽光を忌み嫌う半島の朝鮮・エベンキ族に太陽信仰の象徴である旭日を尊ぶ文化的遺物があるのかね??
本当に大笑い 来た。縄文狼さん。
どうぞ、ぼくの忍者渡来卑弥呼朝貢説に解説を。 知りたいのは、
・最古の古墳は何年のものか。
・忍者最古の記録聖徳太子が志乃備(しのび)大伴氏を使ったのと何年の開きがあるか。
・なぜ民俗学板の忍者スレは、忍者の渡来を三世紀頃としたのか。
などが知りたいです。 ああ、日本史板でも聞いていたんだけど、
卑弥呼の墓は古墳であると魏志倭人伝に書いてあったわ。
だから、まちがいみたい。
ありがと。 ああ、日本史板でも聞いていたんだけど、
卑弥呼の墓は古墳であると魏志倭人伝に書いてあったわ。
だから、まちがいみたい。
ありがと。 古墳時代の開始は三世紀中頃で、卑弥呼の朝貢が古墳文化の開始となったとぴったり一致するそうだ。
その時に、大陸から秦氏が来て、現地の王を立て、古墳文化を始めとする文明を伝えて、
忍者もその頃から来て日本人を洗脳して支配したという説は成立するらしい。 >>87
よっぽど論破されて悔しかったんやねエベンキさん >>98
何を勘違いしているのか?
それらを取り入れたのは刻目突帯文土器人自身だと書いてあるでしょ。
いつ半島人が刻目突帯文土器人になったんですか?
刻目突帯文土器人は沿海州南岸から島根に渡来した人々ですよ。
半島なんか何も関係ない。
その刻目突帯文土器人が朝鮮南部から高床式倉庫の建築技術を吸収しただけです。
その建築技術が使われているから日本神道は渡来系だと言っているんですよ。 淡路銅鐸の元の中国の銅鐸に舌が見つからない?と言うことは、舌のある淡路銅鐸は日本のオリジナル? わお〜わお〜わお〜
>>96
どうも、ご指名さずかりまして
月光仮面さん、白馬青牛さんら歴代の重鎮は、2年ぐらい前まで他スレで散見されるものの
こちらへは全く顔出さなくなりましたね〜
というかココ数年スレの荒れ具合がハンパないので、舞台をYahoo掲示板などに移されて
いるのではないでしょうか(^-^;)
そんな中、イカちゃんはこのスレのシリーズを、地道に立て続けてくれているようなので感謝です〜 わお〜わお〜わお〜
>>94
さてご命題の、秦氏の渡来が古墳時代の幕開けに関与していたかについてですが
秦氏というか、わが列島から遠い大陸の西南夷に多い羌系渡来人が、列島に到達するのには
2つの経路しかないと考えます〜
魏志韓伝の辰韓の章によると
「秦人に似ていて、燕や斉のものではない。楽浪人を阿残と呼ぶ。
東方人は我が名を阿という故、阿残とは、我残りたるものの意、
つまり、楽浪人は、元は自分たちと同じで楽浪に残った人の意味である。
今、この国を秦韓という者もいる」とあります
秦と縁のない曹魏が秦人を持ち上げる必要もありません
それなのにあえて楽浪と半島南部の辰韓を同一種族として区別したわけですから
この2地域には、明らかに周辺種族とは異なる西域の渡来人が移入していたということでしょう
そして楽浪と辰韓の2地域は、わが列島の建国時代に非常に縁の深い地域ですね〜 で、西域の集団が楽浪と辰韓に移入していた事を証明する証拠遺跡とその生活痕たる証拠土器・石器は?
で、楽浪と辰韓の祖先が秦人なら何で中国土器とは異なる土器なんか作っていたの? そういえば藤井って人は見つかったのか?
思いっきり釣られてたみたいだけど わお〜わお〜わお〜
>>109
>>17で、自分でまとめられているではないですか〜
・陶鼎を墓に副葬する風習がない
・中国大陸の中国陶磁とは異なる土器文化を持つ
・大量の四川漆器を大切にして溜め込む
○しかも周辺種族とは似ていない
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>109
ていうか前漢期の四郡設置時代や後漢期の大楽浪時代などの、楽浪の全盛期には
当然、漢の王都から中央官吏が派遣されていたわけだから
それでも残っていないということは、被支配層の生活土器が拾われているだけだろ
本当に小笑い 被支配層はそれまで朝鮮無文土器を作っていた韓人のハズだろ。
楽浪土器は朝鮮無文土器か?
中央官吏はステイだけでほとんど定着してないだろ。
漢のシンボルは鼎だぜ。
公孫氏時代はステイすらないだろうしな。
ここから見えてくる事は楽浪の実質的な運営は朝鮮に最寄りの遼東漢人だったという事。
だから、魏志が燕人斉人がルーツではないと言っているのは正しいんだな。
ただ、秦人だろうというのは間違いで、正しくは遼東人がルーツな訳だ。 わお〜わお〜わお〜
>>113
ちなみに何でわざわざ「燕や斉のものではない。」
と戦国時代の他国の者を比較したかというと
別の史書で、箕子朝鮮の準王の代に、燕、斉などから秦統一による難民を半島西部に受け入れた
とされているから
国境を巡って曹魏を悩ませた東胡の子孫なら、間違いなく分かるだろうに
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>113
さらに、楽浪人が自らを称した阿残という種族は
国(くに)を邦といい
弓(ゆみ)を弧といい
賊(ぞく)を寇といったそうである
楽浪の影響を受けたわが邦(くに)の大和民族も
もちろん同様であるが
果たして、東胡の遼東人がそのように表現するのかな??
本当に小笑い 漢人化しているのだから、そう表現しても何らおかしくはないでしょうね。
とにかく楽浪人は中国大陸の陶磁器とは違う土器を遺している。
これが総てですよ。 わお〜わお〜わお〜
本日発売のグランドジャンプには、本宮ひろ志の
「こううんりゅうすい徐福」が連載されている
とうとうタイトルページ一面に、わが大和民族の女王、日巫女が現わるー(抱えている大型銅鏡が内行花文鏡でないのが残念w)
物語は創作満載であるが、描かれた時代背景はなかなか興味深い
↓
◎わが列島の主役は縄文系弥生人であり、安曇の海人族は脇役扱いである。 なお黥面文身しているのは、縄文系弥生人の方。
◎登場人物は少なくとも、縄文系弥生人と、方士の渡来系漢人と、先着の安曇系弥生人 の3種族いる。
・徐福が到来するとすれば秦代であり、吉野ヶ里興成期の弥生中期のはずが、 弥生早期のような描かれ方をしている。
てか作品紹介に縄文晩期〜と書いてあるw つまり歴博の500年前倒し修正前の編年にもとづいているので、大陸との文明差が激しい。
◎方士の渡来系漢人である徐福は、神仙思想をもとに大和民族の国造りを支えようとしている。
◎主人公の妻となるヒミは縄文系弥生人であり、低顔ソース系の濃い顔である。未来を見通す巫女的性格を持ち、やはり後のヒミコを生み出すようだ←NEW!
本当に小笑い もうそれやめたらどうだ?
デムパ丸出しで恥ずかしさの極みだぞ。
本宮ひろ志は考古学者じゃなくて単なるマンガ家だよ。
馬鹿? 古代の出雲族は、朝鮮半島からの渡来人が現地人(数千年前に朝鮮半島から来た人々)と交わり、その子孫たちにより形成された集団であった
考古学的には、隠岐の島やその周辺の島々で出土した四隅突出型古墳や腕輪、耳飾りなどの新羅系の品々が根拠である
又、古代出雲族が有していた鋳造技術やタタラ精錬(砂鉄を炭で熱して鋼を抽出)など高度な技術は新羅や高句麗からの渡来人が持ち込んだ
出雲神話に登場する、素戔嗚尊は渡来してきた人達の子孫が先祖を素戔嗚尊に重ね合わせた
素戔嗚尊は高天原を追放され、朝鮮半島の牛頭山(ソシモリ)に舞い降りたとある
息子の五十猛を連れて泥船で出雲の地に渡ってきた(渡来して来た人達を表している)とある
日本各地にある神社で、素戔嗚尊を祀っている神社は朝鮮系が多い
※例えば、高麗神社や高麗社などすべて素戔嗚尊をはじめとする韓神を祀っている >>119
じゃあ何で出雲に朝鮮土器がメインの集落遺跡が無いの? わお〜わお〜わお〜
>>119
わが大和民族の創世記に、半島の朝鮮エベンキ族の入り込む隙間もないのだが
↓
>>117
◎わが列島の主役は縄文系弥生人であり、安曇の海人族は脇役扱いである。 なお黥面文身しているのは、縄文系弥生人の方。
◎登場人物は少なくとも、縄文系弥生人と、方士の渡来系漢人と、先着の安曇系弥生人 の3種族いる。
本当に小笑い そんなにマンガの話がしたいならマンガ板に行けよ。
デムパ脳の方。
そんなマンガ家が創った創作デムパなんか考古学板に出すなよ。
馬鹿馬鹿しい。
だいだいだ、日本には漢人が定着した事を証明する証拠遺跡も
その生活痕たる中国系陶磁器も擬中国陶磁器も一切無い。
渡来系漢人とか、あほの極み。 わお〜わお〜わお〜
>>122
>>117
3番目の時代設定以外は、史実をよく押さえているのだが
歴博の500年前倒し修正前の編年にもとづいているので、大陸との文明差が著しく表現されてはいるが
これとは別に、北部九州になかなか進出できなかった弱体海人族が、主役になって天下取りをする妄想歴史小説でも書いてみたら
本当に小笑い だからマンガ板に行けってのデムパ脳のおまえは。
馬鹿馬鹿しくて付き合ってられんよ。
何が徐福だ。
そんなデムパ飛ばしてる頭のおかしな考古学者が歴博や弥生博のどこに居る?
馬鹿をダマして考古学を汚しているだけの悪質なフィクションだよ。
この有害図書が。 >>120>>121
お前ら頭悪すぎて古代史を語る資格なし 笑
出雲地方(周辺部含む)から半島由来の須恵器や堅焼き土器が出土しているではないか(おそらく、松菊里型住居跡も出土してると思われる)
※因みに、文身(刺青)していた集団は古くから朝鮮半島南部に住んでいた!
その根拠は「魏志韓伝」に書き記してあり、辰韓人の中には文身している者がいるとある(弁韓人の中にも文身している者がいた)
ある学者は、文身(刺青)していた集団は、古代越の国から朝鮮半島に渡ったのではないかと推測している(そして、朝鮮半島から日本海沿岸部に渡ってきた) わお〜わお〜わお〜
>>125
須恵器と松菊里型住居を同時に語ってる段階で、時系列めちゃくちゃw
須恵器は古墳時代中期で、わが大和民族の創世期ではまったくないだろ
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>125
>辰韓人の中には文身している者がいるとある(弁韓人の中にも文身している者がいた)
ていうか原三国時代、辰韓・弁韓は倭人の領域だろ
史書でも狗邪韓国は倭国の扱いだから
本当に小笑い >>126バカウヨ様のご登場 爆
君の頭では時系列が理解できまい 笑
ググったか? 笑 >>127妄言吐くバカウヨ様 爆
嘘も百回言えば本気にするネトウヨ 笑
「魏志韓伝」には倭国の領土(属国)であることは一言も記されていない 笑
勝手な憶測で属国にしてしまうバカウヨ様 笑
四隅突出型古墳や新羅系の腕輪や耳飾りなど都合の悪い事実は無視するネトウヨ様 笑
低学歴で無職だが国士だと思い込んでるバカウヨ様 笑
お前、頭悪すぎ 爆 世界標準の考古学では渡来人などの長距離移動集団の故郷を特定する際に
使われる材料は、
「その集団が生産していた生活土器と石器」
だけですよ。
青銅器などの金属器のような奢侈品だとか、武器のような非生活文物だとか、
その他、搬入土器を含めた搬入文物や、入れ墨や墓のスタイルなどのような
風習風俗など、交流や交易を通じて幾らでも導入なり搬入なりが
できてしまうものは一切使わんの。
分布範囲が広過ぎてピンポイントで故郷を特定できない遺伝子やDNAや
形質なんかも一切使いません。
その集団が生産していた生活土器と石器で立証できた場合だけ、
それを補強するために使われる事もあるという程度で、
単独で使われる事はありませんので。
悪しからず。 わお〜わお〜わお〜
>>128-129
2chでウヨ連呼とはw
煽り耐性少ない人種みたいだけど、土器ちゃんに負けずにがんばって
で本スレの基準年表はこのページの中ほどの表でいくからー
↓
http://bbs.jinruisi....log/2009/02/528.html
この表に、須恵器や四隅突出型古墳や新羅の時代は載っていますか??
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>128-129
その昔、このスレに生粋の左翼といえる白馬青牛さんという重鎮がいらして
そんなプサヨの大先輩でさえも、こう評しておりましたー
↓
『ほいから弥生期自体は縄文系人骨が圧倒的で、九州北部・山口県の土井ヶ浜のような日本海側だけが
渡来系人骨で、山口県の瀬戸内側の周防も広島県の安芸でも縄文人骨が圧倒的じゃったんで。 』
本当に小笑い >>131お前ww本物だなwww
自分で耐性が低い事をアピールしてどうすんだ 爆
体は大人だけど、頭の中は小学生 笑
この逆コナン野郎www
逆コナンバカウヨwww俺を殺す気かwww >>134
数年前、白馬青牛の書き込み(持論)を読んでたので知っている
若干の違いはあったが、白馬青牛の認識とほぼ一致していたので激しい反発はしなかったが…縄文人に関しては違うな
縄文人は現在の中国や朝鮮半島、バイカル湖を起源とし樺太方面から渡って来た人達が大半であった
その中でも南方の中華系は少数派であった
その根拠は日本語の語順や文法にある
仮に、東南アジアや南方中華(現在の福建から広州周辺)が縄文人の主流派で後の大和政権を築いた人達だったら日本語の語順は北京語や広東語の語順になっていただろう
日本語の語順や文法構造は朝鮮やモンゴル、バイカル湖周辺にいた民族と似ている
支配層の言語が広がり共通語になるのは世界の国々の歴史をみてもあきらかである! わお〜わお〜わお〜
>>136
弥生早〜前期の支配層のものと思われる支石墓から、長頭低顔種の人骨が出てくるわけで
その長頭低顔種の人骨を、生粋の左翼の大先輩である白馬青牛さんが、「縄文形質の人骨」と呼んでいるわけだが
本当に小笑い >>134
そう口先で言うだけで奴はその証拠を何も提示していません。
その発言は無効です。
>>136
違う。
35000年前に大陸の一部だった今の朝鮮半島から入ってきた石刃技法を
もたらした旧石器人が本州までの縄文人の主流なんです。
その15000年くらい後に細石刃と土器技術を持って樺太から入ってきた
旧石器人がサブなんです。
良かったなビビンバロイドの方。
日本人と朝鮮人は近いぞ近いぞ(爆 わお〜わお〜わお〜
>>138
生粋のビビンバロイドでないだろ
>>125で朝鮮南部経由で越人が来たと言っているのだから
呉越センサー働いてないぞ、大丈夫か??
どちらかというと、吉野ヶ里→出雲の銅鐸族が朝鮮経由の呉越哀牢だったという、月光さん説に近いから親近感あるねーw
本当に小笑い 江南やら呉越やらと狂った事を言ってる頭のおかしな考古学者が一体どこに居るんだって話だわな。
もう何百回とその考古学者名を要求してやってるんだが、一度も名前を聞かせてもらった事がありませんねえ。
それに江南やら呉越から朝鮮や日本に渡来定着したという証拠遺構とその生活痕たる中国系陶磁器や
擬中国陶磁器や石器やらを早く見せてもらいたいもんだ。
もう何百回と要求してやってるんだが、これも一度も見せてもらった事がありませんねえ。
そういうのって、世間一般では詐欺とか狂言と呼ぶみたいですよw 宝器として搬入した楽浪文物の貨泉ならまれに出るが、
生活文物じゃないから渡来定着の証拠には全くならんし。
永楽通宝とか時代が全然違うだろうがカス。
そろそろおまえ電波板に行けよ。
「台湾人・陳が語る楽しいでむぱ考古学〜江南からやって来た〜」_
と題したスレ建てて、江南から来た来た言ってればいいしゃんw わお〜わお〜わお〜
>>142
俺と勘違いするなよーwww
コピペ荒らしカスとは違うぞ
でその楽浪貨泉は誰が持って来たのー??
本当に小笑い 弥生人自身だろ。
楽浪文物は全て宝器だったんだよ。 わお〜わお〜わお〜
>>144
伊都国から2度も出土した硯(すずり)も宝器かい?w
いったい誰が誰に対して何のために書をしたためたんだろうなー??
本当に小笑い 三雲遺跡の硯は宝器じゃないけどな。
三雲は楽浪帯方漢人の駐留所遺構だろ。
漢人の生活文化が何も伝わってないから、定着まではないね。
倭に滞在するときに一時的にステイしていただけの場所だろうな。
とにかく漢人が定着できるような文化水準のある場所じゃないんですよ倭は。
漢服も無いし、木沓も無い。
定着するなら、倭人のように布を羽織って結ぶだけのヘソ出しルックに
裸足での生活ができなくてはならない。
竪穴式住居の地面に直での生活をしなくちゃならない。
小麦を食べる食文化も無い。
俺なら絶対にイヤです。 わお〜わお〜わお〜
>>146
>小麦を食べる文化もない
そんなにチャンコロ漢文化が好きなのか?w
てか四川遺民は稲作民だろうに
伊都国の硯(すずり)の持ち主はいったい
誰が
誰に対して
何のために
書をしたためたんだろうなー??
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>147
出雲vs伊勢とは
一般に銅鐸文化人vs銅鏡文化人ですが
同じ兄弟銅鐸を共有した吉野ヶ里→出雲が同種族とすると山幸海幸戦争で
負けた側の甕棺墓文化人vs勝った側の箱式石棺墓文化人
に置き換えられます
そこからかつての重鎮である月光さんの説では
呉越哀牢文化人vs昆明文化人(楽浪など)
すなわち稲作民vs稲作放牧混合民
これに対して土器ちゃんと私のフレーバーを加味すると
沿海州文化人vs縄文文化人+楽浪
すなわち列島での稲作民vs漁労狩猟民
ということではないでしょうか? 三雲の硯は滞在していた楽浪帯方漢人が楽浪帯方との通信のために
使われたものだろうな。
紙に書いたのか木簡に書いたのかまでは分からないが。
楽浪人は四川系の中国陶磁器なんか全然作ってないんで、四川遺民だとか
意味不明なデムパを飛ばさないように。
楽浪帯方漢人は楽浪帯方土器から見て、中国大陸の陶磁器文化を持っていないため、
中国大陸の影響が希薄な遼東あたりの漢人集団がメインだったと考えられる。
呉越とか昆明とかデムパ過ぎる。
日本にも朝鮮にも、呉越やら昆明やらの影響を受けた痕跡遺構なんかどこにもないし、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者など一人も居ませんので。 わお〜わお〜わお〜
>>150
>日本にも朝鮮にも、呉越やら昆明やらの影響を受けた痕跡遺構なんかどこにもないし、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者など一人も居ませんので。
土器ちゃんの大好きなチャンコロ漢族の考古学者が言っているのだがw
天孫制圧後に構築された出雲大社について
↓
http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/59447352a7e0b17de6e2fcae0c39d30e
『中国の古代建築物の専門家、楊鴻教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べている。』
本当に小笑い その人、考古学者じゃないだろ。
建築家だろ。
神社建築は竪穴式住居の建築技術と朝鮮から導入した高床式倉庫の建築技術の
融合で成立したもの。
勝手に日本の神社の原型を名乗るのは騙りだよ。
まあ、チンクらしいと言えば、チンクらしいけどな。 三星堆遺跡の青銅器は本当にため息が出るくらい凄いね。
吉野ヶ里にやって来た古代漢民族は羌族系ですよね。
上海駐在2年間の自分の翻訳では完璧ではありませんが
現代中国人もチベット系羌族(棒族、哈尼族を含む)は三星堆遺跡の末裔
だと思ってるみたいですよ。 わお〜わお〜わお〜
>>153
>>154のような下品な言い回しは一見土器ちゃんのようですが、土器ちゃんじゃないかもしれないので無視してくださいねー 笑
前スレに貼られてた関連情報貼っておきますー
↓
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-11/09/content_228967.htm いや、俺だよ。
2行目を見れば、考古学偏差値30未満の最下層のゴミカスだって丸分かりじゃないの。
まあ、徐福なんて言ってるおまえも40あるのかどうか疑わしいけどな。
漢人が定着してるかどうかなんて、少し考古の勉強をすれば常識レベルで
分かる事じゃないの。
つまり、その程度の勉強もしてないゴミクズだと自ら暴露している中卒程度の
大バカなんですよ。
それに鳥越憲三郎は考古学者じゃないんで。
考古文物一つ出てこないただのデムパ作家なんで。
入れ墨と鳥居と納豆となれずしがあるから雲南から来たとか言ってるような
どうしようもないデムパ二スト。
付けるクスリなし。 わお〜わお〜わお〜
>>153
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-11/09/content_228967.htm
↓
・チャン族は長く移動する間に2大系統に分かれた。
・1系統は東へ向かい、もう1系統は西南へ移動した。
・生業は羊牧であったが、西南へ進出して稲作民と融合した。
・西遷して四川・雲南とチベットを結ぶ茶馬街道(南方シルクロード)を形成した。
西南に移動した四川・雲南のチャン族末裔は、写真で見る限り相当な土人ですねー
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
http://www.peoplechina.com.cn/wenhua/2009-11/09/content_228967.htm
↓
・ここにはもうひとつ問題がある。徐福の方士(神仙)文化と古代チャン人文化とはかかわりがあるかどうかである。
・『倭人・倭文化・東渡文化と徐福』の文中で、神仙文化は倭文化から来たと述べた。
・神仙文化の源は間違いなくチャン文化であろう。 で、古代漢民族の羌族が吉野ヶ里に渡来定着した事を証明する証拠文物、
とりわけ生活痕たる証拠土器および石器は?
で、徐福集団が渡来した事を証明する証拠遺跡とその証拠文物、
とりわけ生活痕たる証拠土器および石器は?
で、古代漢民族の羌族と徐福集団が渡来定着したと提唱している考古学者の氏名と
所属団体は? わお〜わお〜わお〜
>>108で述べたとおり
わが列島から遠い大陸の西南夷に多い羌系渡来人が、列島に到達するのには2つの経路しかありませんー
曹魏の史家が「秦人の阿残」として周辺民族とは区別した地域であり、楽浪と半島南部の辰韓におりました
そして楽浪と辰韓の2地域は、わが列島の建国時代に非常に縁の深い地域ですねー で、楽浪と辰韓に羌族が移動定着した事を証明する証拠遺跡とその証拠文物、
とりわけ生活痕たる証拠土器および石器は? 朝鮮半島における灰陶の登場が楽浪土器の瓦質土器からである事を考えても、
魏志の辰韓の秦の労役から逃れてきた秦人の話はフィクションである可能性が高いが、
仮にフィクションではないとするのであれば、中国系陶磁器も擬中国陶磁器も無いゆえ、
その秦人とはやはり遼東あたりの中原の影響が希薄な漢人だと考えられる。
秦の時代は遼東あたりの漢人も秦人なのである。 中国の隠れ日系人が増えていけばこういう漫画も正史になるかもよ
『覇-LORD-』(小学館 ビックコミックスペリオール連載)
倭人の主人公が大陸に渡り劉備を殺してなりかわり三国志の世界をめちゃめちゃに わお〜わお〜わお〜
>>162
>秦の時代は遼東あたりの漢人も秦人なのである。
遼東あたりの漢人が、国を邦という秦語をしゃべるのかね??
本当に小笑い むしろそれが正しい有り様である。
遼東のような僻地ではかつて中原で栄えた古い文化や言葉などが残りやすいハズである。 神社建築を見ると、沿海州南岸から渡来した刻目突帯文土器人、つまり弥生人が
朝鮮から導入した高床式倉庫の建築技術がベースになっているから渡来系の可能性が
高いが、最近思うのは、日本神道の起源はそんなに古いものではなく、実は卑弥呼から
始まった霊媒師か霊能者のための修行道が起源だったんじゃないかと。
木村藤子さんとか、霊能者の巫女さんを見ると、今も卑弥呼の生活そのものだよね。
日本神道の始祖は卑弥呼かもしれない。 神仙・神獣を描いた舶載鏡を「好物」としていた卑弥呼の宗教は、神道系よりも道教系だったような気がする。 >>168
今でも沖縄や奄美にノロとかユタというのが残っている >>169
卑弥呼は巫女であるのと同時に30以上の国を支配する大王ですよ。
卑弥呼が中国の鏡を必要としたのは神道に使うためではなく、政治のためですよ。
支配している国々に魏の鏡を配る事で、魏でさえ卑弥呼を支持しているんだという
証明をする事で、権力と支配力を強化するために必要だったんですよ。
道教なら魏志に道教だと書くはずだし、どこに卑弥呼が不老不死を求めて医薬を
追求したと書いてあるんですか?
鬼道で人を惑わすという響きからは、巫女さんが祈祷でトランス状態になって
神のお告げをするシーンしか俺には見えてきません。
卑弥呼の宮殿には女性ばかり1000人いたとか。
この卑弥呼の宮殿こそが日本初の巫女さんを育成する修道院だったのは間違いありません。
やはり日本神道の始祖は卑弥呼その人だったように思いますね。 わお〜わお〜わお〜
>>168
>最近思うのは、日本神道の起源はそんなに古いものではなく
>日本神道の始祖は卑弥呼かもしれない。
言語や宗教祭祀など土器以外の分野については意外に知識なくていい加減なコメント連発だなーw
卑弥呼の3世紀に纒向で整列配置された立柱と掘立柱神殿による祭祀形態は
そのまま弥生後期の伊都国平原などの墳丘墓時代に直結するだろ
↓
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1608775/82/57550582/img_0_m?1468633230
ヒメヒコ制とか知らんの?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヒメヒコ制
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>171
>卑弥呼が中国の鏡を必要としたのは神道に使うためではなく、政治のためですよ。
>道教なら魏志に道教だと書くはずだし
だからわざわざ鬼道と書いてあるだろ
まるで鏡が祭器でないかのような言いぶりだが
銅鏡や銅剣など2〜3種の神器を使用して道教的祭祀を行うのが鬼道
同じく魏書には天師道の張魯が鬼道を用いたと書いてある
道教の経典では、「鏡、剣、玉璽」が道家の三宝とされている
本当に小笑い じゃあ卑弥呼の鬼道が道教なら何でその後にその道教がないの? >>173
1000人の侍女がいた上に、後継者の台与もいたんだぞ。
卑弥呼の道教はどこに消えたんだよ?
早く言ってみろよ縄文を騙るタイワピーノの方。 アナタ タイワン カエル カエル
タイワン カエル カエル カエル
アナタ ニホン デテク デテク
ニホン デテク デテク デテク わお〜わお〜わお〜
>>174
え?どゆ意味?
質問の意味すら分からんw
わが大和民族の王統は、道家的三種の神器をもって、神仙思想による祭祀文化を弥生後期から現代まで継承しているのだが
各地の神社では、天地人の三巴紋を社紋とし、神器の鏡を御神体に護り続けているだろ
京都の葵祭りのように、姫巫女による斎王制まで継承する神社もあるし
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>175
だいたいお前がイメージしている道教は、老子が最高神として偶像化され、金キラの寺院で崇拝されている後世のものだろ
それは新興宗教である仏教に対抗するために、民衆に分かりやすく擬人化され、5世紀以降に確立されたもの
1〜3世紀の天師道や太平道など張魯が鬼道を行なっていた時代はまだ道教の祖型で、神仙思想をもとにした原始的なアミニズムの祭祀形態だから
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>178
五斗米道(ごとべいどう)は、通説では後漢末に張陵が、蜀(四川省)の成都近郊の鶴鳴山(あるいは鵠鳴山とも、現在の大邑県)で起こした道教教団。2代目の張衡の死後、蜀では巴郡巫県の人である張脩(張修)の鬼道教団が活発化した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています