>>113
弥生期の渡来人骨が出土しているのは吉野ヶ里遺跡から松江の古浦遺跡までの
範囲だから、出雲の人たちが弥生期の渡来人の血を引いてない訳がないんだわ。

だから、渡来人が最初に渡来定着した場所はその範囲のどこかである事だけは
間違いないんだわ。

土器から見れば、九州北部の黒川式縄文土器は山陰方面から入ってきた
前池式に始まる弥生開始土器に押しのけられているから、それは下関から松江までの
範囲だという事になる。

遺伝子的に反映されていないとするなら、もっと複雑な事情があるんだと思われ。

渡来人たちの子孫はその後、太平洋側にも拡散していく訳だが、太平洋側の子孫たちは
豊かで繁栄が続いたが、初期の頃の本拠地の子孫たちは豊かではなかったため、
廃れてしまったのかもしれない。