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日本の古代史 Part38

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0001出土地不明
垢版 |
2018/06/16(土) 19:07:59.06ID:GkbZGs3O
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前スレ
日本の古代史 Part37
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0977出土地不明
垢版 |
2019/11/18(月) 22:21:58.53ID:wC4RkDR7
■倭人の鵜飼(うかい)
http://yamatai.cside.com/katudou/image2/359-13.gif
地図をみると、「倭人の家」でのべた「干欄式建物」の青銅器の出土した雲南省昆明
の近くの滇池(てんち)の付近も、鵜飼の分布域のなかにはいっていることがわかる。

かりに、「鵜飼」と「干欄式建物」「稲作」とが、可児弘明氏のいう「ある稲作民族の文化複合」
につながるものである。すると、石寨山古墓は、前漢の初期から後漢の初期、
つまり、紀元前202年ごろから紀元後100年ごろには、その文化複合が、
蜀の地の石寨山ふきんまで、およんでいたことを示していることになる。

『古事記』の「神武天皇記」には、
神武天皇軍が「鵜飼で漁をする人々よ、助けに来てほしい」という歌もみえる。
さらに、『隋書』の「倭国伝」に、わが国の七世紀ごろの鵜飼のことを記した記事がみえる。
八世紀成立の『万葉集』では、鵜飼のことが、かなり多く歌われている。
『万葉集』の4011番の歌で、越中の国(現在の富山県)の鵜飼たちのことが歌われている。
4156番にも、富山県の辟田(さきた)の川で、「鵜飼をする歌」がのっている。
0978出土地不明
垢版 |
2019/11/18(月) 22:26:39.76ID:wC4RkDR7
4187番の歌にも、福井県の叔羅川(しくらがわ)の「早瀬で、鵜をもぐらせて」とある。
なお、可児弘明氏は、さきの『鵜飼』のなかで、

「朝鮮半島に鵜飼がひろまった痕跡はみつからない」と記している。


照葉樹林文化は、共通の文化的要素によって特徴づけられる。
イモ類、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀類の栽培、稲作、絹の製造などを大きな特徴とする。
モチやナットウ、スシを食べ、絹や、漆(うるし)を利用する。麹(こうじ)で酒をつくり、
高床の家にすむ。歌垣(うたがき)や鵜飼の習俗がある。

照葉樹林文化は、ヒマラヤ山麓から東南アジア北部山地、南中国、
日本西部にかけての東アジアの温暖帯に分布する。
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