>>79
それにしても「行っていない」も何も、
玄奘三蔵法師が持ち帰った数多くの経典・仏像・仏舎利、
また、仏教以外の医学・薬学・土木などの科学知識は、
ナーランダ大学に赴かなければ得られなかったものばかりですし、
( 二十二、玄奘三蔵が持ち帰ったもの | 三蔵法師〜苦難の西域への旅 http://sanzouhousi.com/life/22.html )

そのナーランダをはじめとするインド各地の仏教遺跡は、
大唐西域記を基に、発掘されたり研究されたものも多く、大唐西域記の記述を疑う余地はありません。

例えば、2001年に、アフガニスタンのターリバン政権によって爆破破壊された、バーミヤンの石窟寺院遺跡や石仏などは、
意外なことに、1885年にイギリスの調査団による調査がなされるまで、アフガニスタンの人々も仏教遺跡であるとは思ってもいなかったのが、
イギリスの調査団の、英訳された「大唐西域記」の記述をもとにした調査によって、ようやくバーミヤンの巨大な彫像が仏像であることが認められました。
また2005年にも、破壊されたバーミヤン遺跡の修復と保全のために、ユネスコの委託を受けた日本の文化財研究所が、
ターリバンが破壊した石仏から1キロほど離れた場所から、「大唐西域記」に記述されていた寺院と思われる仏塔の跡を発掘しています。

また、高野山壇上伽藍の根本大塔は、何度も火災で焼失し再建されていて、
現在にある根本大塔は、昭和12年に再建されたもの・・・、
大日如来像や曼陀羅の絵もそのときのもので、チベット密教の寺院や仏像を参考にしていた可能性はあっても、
玄奘三蔵法師が、インド(ナーランダ大学)に行っていない証拠には、なりません。

「捏造された人間史」って・・・時空や史実を捻じ曲げて捏造しようとしているのは、
はやし浩司センセーのほうじゃないのかな・・・ (* ̄∇ ̄*)?