【謎】考古学初心者雑談5【解明】
考古学関連に興味の有る人が 従来の一般的な説にはとらわれず自由に発言するスレッドです。 質問などに関連するリンクを貼る場合は 考古学に関連するモノに限ります。 このスレッドは考古学の知識が浅い人が多いので その事をバカにしたり罵る行為は禁止します。 個人に対しての悪口や 人種差別的な発言も当然ながら禁止です。 批判する場合は 発言に対し具体的にしましょう。 専門的な話題を追求したい人は その内容を扱っている各スレッドに移動しましょう。 考古学板の活性化の為 初心者が自由に何でも発言出来る場にしたいと思います。 【謎】考古学初心者雑談4【解明】 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1546775179/?v=pc 以前より言ってますが。。 この先ウクライナのフーストがポイントです。。 天空の遺跡「マチュ・ピチュ」の名前 実は間違いの可能性 南米ペルーの標高2430メートルの山頂に浮かぶ、天空の遺跡「マチュ・ピチュ」。 15世紀のインカ帝国時代のもので、世界でもっとも有名な遺跡の一つとして知られます。 しかし、この「マチュ・ピチュ(Machu Picchu)」という名前について、誤りである可能性を指摘する研究が発表されています。 本当の名前は、単に「ピチュ(Picchu)」あるいは、「ワイナ・ピチュ(Huayna Picchu)」と呼ぶべきだと研究者は指摘します。 しかし、考古学研究を含めあらゆる場所で、この遺跡は「マチュ・ピチュ」として定着しています。 いったい何が問題なのでしょうか? その秘密を以下で詳しく見ていきましょう。 本研究は、2021年8月13日付で学術誌『Ñawpa Pacha』に掲載されたものです。 (以下略。続きは下記URLの記事を参照ください) https://nazology.net/archives/106663 >>7 目の形状からしてザンスカール帝国軍のモビルスーツですね たしかに、ベスパの水陸両用モビルスーツのガルグイユに、シルエットが似ています 実際の遮光器土偶の目は、出産直後の赤ちゃんの目を模したものでしょうけど 大集経の三災がすべて発生している https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%81%BD%E4%B8%83%E9%9B%A3 穀貴:飢饉等が起こり穀物等食糧の価格が高騰し品切れしたりする。 兵革:戦乱や革命がおこり社会が乱れる。 疫病:伝染病等が流行する。 米伝道師、ウクライナ侵攻はイエス・キリスト再臨の兆しと主張 3/9(水) 6:45配信 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/37304 数千年にわたり、キリスト教終末論の信者たちは、かなり強引な方法で時事問題とキリストの再臨が近い証を結びつけてきた。 彼らは、『エゼキエル書』、『ダニエル書』、『マタイによる福音書』といった旧約聖書の預言書や新約聖書の『ヨハネの黙示録』の預言的なことばを引き合いに出しては、ありとあらゆる理論を構築した。 ↓ この記事が配信される以前から上記の全ての書名の内容がまとめ上げられていたスレ ↓ 聖書の記述と近年の出来事の一致点まとめ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1627904338/ 日経平均株価にアララト山の山頂が描画されている http://egg.5ch.net/test/read.cgi/shugi/1576318170/ 聖書以外の経典も含めた凶兆まとめ http://fate.5ch.net/test/read.cgi/watchbakusai/1620970690/ 01 ま ムリヤリ成就させたいヤツらもイルわな。。 以前ヌーランドがキーフで暴動演者達にパン配ってたり 両陣営を狙撃するスナイパーの存在も確認されてイル。。 カギはフーストにアル。 「世界最古の都市遺跡」チャタル・ヒュユク、複雑な埋葬の風習が明らかに 新石器時代の古代都市チャタル・ヒュユクには、死者の骨の一部に顔料を塗り、一度掘り起こした骨を再び埋葬するという複雑な弔いの風習があったことが分かりました。 先日、ジャーナル『Scientific Reports』に掲載された論文は、新石器時代のアナトリア人、具体的には現在のトルコ南中部にある重要な古代遺跡チャタル・ヒュユクの住民についての新たな見識をもたらすものでした。 なぜ埋葬時に顔料を使用したのか? チャタル・ヒュユクは全盛期には8,000人以上が暮らしていた、「世界最古の都市」だと言われています。この新石器時代の都市は紀元前7100〜5950年にかけて存在し、過密化や対人暴力、感染症の蔓延に虫歯の流行、公衆衛生の問題、環境悪化など現代にも通じる多くの問題を抱えていました。チャタル・ヒュユクの住民たちは泥レンガでできた住居に住み、木の繊維から作られた衣服をまとい、人間の歯を宝飾品として身に着け、籠や縄、ござなどを作っていたのです。 住民たちはまた、壁の装飾と埋葬に色とりどりの顔料を使っていたようです。どちらも同一の建物内で用いられることが多かったとか。研究の共著者でベルン大学の形質人類学学部、犯罪科学研究所の研究員Marco Milella氏は、「こういったタイプの調査結果は別々に研究されてきた」と教えてくれました。「しかしながら、私たちはそれらが関連している可能性に興味をそそられた」とコメントしています。 Milella氏たちの研究チームは、この遺跡で使われていた顔料、それらが塗られた方法、そして壁画に存在する色と埋葬で使われた色との間に関係性があるとすればそれの解明を試みることに。 顔料が文化において使われるようになったのは数万年前、いや数十万年前の可能性もあります。中東だと、顔料が葬儀で使われるようになったのは紀元前9000〜8000年前に遡ります。今回の研究の著者たちが指摘するように、こういった慣行のこれまでの調査では、再埋葬の前に取り除かれる頭蓋骨など人骨と儀式に関する特異な点に焦点を当てており、このような習わしを工芸品や建築といったコンテクストに結びつけることはありませんでした。最新の研究はそんな潜在的な見落としを克服しようとするものです。 (以下略。続きは下記URL記事を参照してください) https://news.yahoo.co.jp/articles/678da717d010efc927f3eb092efd5c7605e44a31 縄文時代の津波痕? 2900年前の遺跡で痕跡発見 神奈川・藤沢 2022/4/2 12:10 神奈川県藤沢市は、片瀬宮畑遺跡から、約2900年前の縄文時代晩期の高潮もしくは、津波と考えられる堆積(たいせき)物が確認されたと発表した。暴風雨による高潮か地震に伴う津波の痕跡とみられる。縄文晩期の状況を知る貴重な資料で、今後の災害研究にも役立つ発見という。 神奈川県藤沢市は、片瀬宮畑遺跡から、約2900年前の縄文時代晩期の高潮もしくは、津波と考えられる堆積(たいせき)物が確認されたと発表した。暴風雨による高潮か地震に伴う津波の痕跡とみられる。縄文晩期の状況を知る貴重な資料で、今後の災害研究にも役立つ発見という。 発掘調査は宅地造成に伴い、2021年4月12日〜5月10日に実施された。地層から堆積物の黒い層が見つかり、放射性炭素年代測定を行ったところ、約2900年前の縄文晩期と分かった。高潮や津波とみられる痕跡の発見は県内初という。 縄文晩期は市中心域の大半が海だったとみられ、今回の発掘現場は湾に面した一角と推定されている。【因幡健悦】 https://mainichi.jp/articles/20220402/k00/00m/040/073000c 縄文の、縄に何の意味があるのだろうね? 蛇の交尾説? >14 チナミにはやし浩司氏は、インカのキープ(縄の結び目で表す文字的なモノ) との繋がりや、現代のバーコードと対比して以前より見解を述べています。。 所謂 縄文模様は文字ではないかとの見方です。 縄文土器の紋様あるいは土器の形状自体が文字とまではいかなくとも アボリジニアートのような伝承や地形や暦の情報を伝える意味のある造形だったのかもね https://media.thisisgallery.com/20207971 エジプトの砂漠で発見されたローマ時代のエメラルド鉱山で発見された遺跡 エジプト東部砂漠にあるエメラルド鉱山を地形的に調べたところ、ギリシア・ローマ時代やビザンチン時代の部屋やトンネル、聖域が多数発見された。 神秘的で透明なグリーンの緑柱石(ベリル)であるエメラルドは、神の力を伝えるとされる、古代世界の神石のひとつだ。 ローマの上流階級に重宝されただけでなく、遊牧民のブレムニュエス族にとっても同様に非常に価値のあるものだったことが、新たな研究によってわかった。 ブレムニュエス族は、紀元前7世紀から紀元8世紀にかけて存在していた東部砂漠の民族で、4世紀後半にはおもに下ヌビアにいた。 新たな発見により、狩人であり、商人でもあったこの遊牧民が、ローマ帝国崩壊前に、エジプトの貴重なエメラルド鉱山を掌握していた可能性が出てきた。 エメラルド鉱山で見つかった11の新たな遺跡 バルセロナ自治大学のフアン・オラー・グズマン教授は、エジプト東部砂漠のワディ・エル・ジェマル国立公園にある、ワディ・シカイト遺跡内のローマ時代の遺跡で、2020年から2021年の間に行われた発掘調査の結果を発表した。 この研究は、ポーランド、ワルシャワ大学の地中海考古学ポーランドセンターの研究者たちによって行われた。 新たな論文には、「葬儀儀礼と地域労働者の社会組織」が確率していた証拠を発見した経緯が詳細に述べられている。 これはすべて、エメラルド鉱山の新たな地形スキャンと、ローマ時代の鉱夫の採掘法、記録方法の正式な研究によってもたらされた結果だ。 地下40メートルの深さまで調べたところ、小さな集落、共同墓地、斜面、通路、作業場、監視塔などが確認でき、全部で11の新たな遺跡エリアがあることがわかった。 ローマ帝国の唯一のエメラルド鉱山 伝統的に「モンス・スマラグドゥス(ローマ帝国で唯一エメラルドがある場所の意)」と呼ばれているシカイト遺跡は、エジプトの東部砂漠にあるエメラルド鉱山周辺の労働者用建造物から成る。 見つかった証拠は、特徴的な3つに分かれた建物が、住居とエメラルドを保管するための倉庫だったことを示している。 さらに、シカイトの主神殿である大きな神殿には、ふたつの祭祀スペースがあり、紀元4世紀から5世紀にかけて、ブレムニュエス族が支配していた時代に最後に使われていた。 グズマン教授は、この新たな発見で、この時代の終盤における宗教と地域の儀式の関連性が確認できるという。 さらに、ローマ帝国崩壊前のこの時期に、鉱山の開発がブレムニュエス族の手に渡った可能性がある。研究から、紀元4世紀から6世紀の間に、鉱山の建物がブレムニュエスの人々によって建設されたことがわかっている。 古代の鉱山の初めての地形学的調査 珍しい古代の碑文から、誰が鉱山で働いていたのか、どのように採掘が行われていたのかについての情報が得られた。 ローマ軍によって書かれた碑文には、ローマ軍がエジプトのエメラルド鉱山開発に直接関わっていたことが示されていて、鉱山の防衛だけではなく、建設の手助けもしたらしいという。 いくつもの新たな鉱山集落や、採掘インフラを発見したほか、古代の葬儀の証拠となる、未知の墓が100基もあるネクロポリスも確認した。 こうした新しい発見により、この遺跡が放棄される直前に人が住んでいた古代の集落について、新たな見解を得ることができた。 今年1月、小神殿が発掘され、神々を称えるギリシャの碑文が発見された。 今回の研究は、ギリシャ・ローマとビザンツィン時代のエメラルド採掘とその商品化についての科学的理解を大きく前進させるものといえる。 https://karapaia.com/archives/52311486.html 古代マヤ文明最古とみられる暦、グアテマラで発見 紀元前3世紀頃 中米グアテマラにある古代マヤ文明の遺跡の壁画から、マヤ暦で「シカ・7」と呼ばれる日を表す象形文字が見つかった。 紀元前3世紀ごろのものとみられ、マヤ暦で最古の可能性がある。これまで最古といわれていたのは紀元前1世紀頃のものだった。 マヤ暦の1年は260日。現代でも、この暦を使用しているマヤのコミュニティがある。 https://news.yahoo.co.jp/articles/c876729338b1287e72e44de421729e3ba491098c 古墳時代のイヤリング 純金の輝き変わらず 三重の遺跡から出土 三重県内の遺跡から発掘された出土品を紹介する展示が、津市にある三重県総合博物館MieMu(ミエム)で行われています。 ミエムと三重県埋蔵文化財センターが共同で開いたもので、県内3つの遺跡から出土した58点が展示されています。 今回は、縄文時代から昭和まで幅広い年代の資料が展示され、中でも現代のイヤリングにあたる金環は古墳時代のもので、純金が当時と変わらない輝きを見せています。 また、松坂城下町遺跡から見つかった陶器の皿は、長いひげが特徴的な丸いエビが描かれ、江戸時代の人々のセンスを感じさせる逸品です。 この展示は、24日まで開かれています。 https://news.yahoo.co.jp/articles/9242ae02f3e9ccc467914ee40f92b7959d6e3098 3800年前起きた「超巨大チリ地震」は、人類を千年間も沿岸地域から遠ざけていた! 約3800年前に史上最大級の地震がチリ沖で発生していたことが、新たな研究で明らかになりました。 マグニチュードは9.5に達し、巨大な津波をともなってチリ北部を襲い、沿岸部のコミュニティを壊滅させたという。 また遺跡の調査から、人々が沿岸部に居を戻すまでに1000年かかったことが示されています。 さらに、地震によって発生した津波は、遠くニュージーランドまで到達し、車サイズの巨岩を内陸深くに運び込んだようです。 研究の詳細は、2022年4月6日付で科学雑誌『Science Advances』に掲載されました。 (以下略、続きはソースでご確認ください) ナゾロジー 2022.04.15 https://nazology.net/archives/107667 紀元前300年の技術が凄い!古代ローマ人が道路を作った方法を3Dアニメーションで再現 https://karapaia.com/archives/52312092.html 弥生期の硯片発見 2022/04/27 05:00 四万十市など3遺跡 県内初 文字が使われた可能性 四万十市の古津賀遺跡群から、弥生時代中期末から後期初頭にかけてのものとみられる 硯(すずり)の一部が出土していたことが確認され、県立埋蔵文化財センター(南国市)と四万十市教育委員会が26日発表した。 県内で弥生時代の硯が見つかるのは初めてで、紀元前後に県内に文字を理解できる人がいた可能性を示す。 同センターは「この地域の弥生時代像を見直すきっかけになる」としている。(飯田拓) https://www.yomiuri.co.jp/local/kochi/news/20220426-OYTNT50115/ 2022年05月02日 07時00分 メモ 大勢の集団で仕事をする時、同じ仕事をするメンバーの中に仕事をサボる者が現れることがよくあります。紀元前1250年にエジプトでピラミッドを建設する時も仕事をサボる労働者がいたことを、当時のピラミッド建設チームの石板が記しています。 ostracon | British Museum https://www.britishmuseum.org/collection/object/Y_EA5634 3,200-Year-Old Egyptian Tablet Records Excuses for Why People Missed Work: "The Scorpion Bit Him," "Brewing Beer" & More | Open Culture https://www.openculture.com/2022/02/3200-year-old-egyptian-tablet-shows-why-people-missed-work-the-scorpion-bit-him-brewing-beer-more.html 石板は高さ38.5cm×幅33cmで、エジプト第19王朝のラムセス2世統治40年目のものであり、ピラミッド建設労働者の村であるデール・エル・メディナの遺跡から1823年に発掘されました。 https://i.gzn.jp/img/2022/05/02/3200-year-old-egyptian-tablet/514988001.jpg by The Trustees of the British Museum 石板にはラムセス2世の墓の建設に携わった労働者40人の名簿がエジプト象形文字で書かれています。名前の横に黒字で出勤日が、そして日付の上には「ビールを醸造していたから」「妻が出血したから」など、その日に欠勤した理由が赤色で記されていました。 ビールは古代エジプトで日常的に飲まれていたお酒で、ハトホルなどの神々と関連する飲み物とされていました。そのため、ビールの醸造は古代エジプト人にとって重要な意味を持つ儀式だったそうです。なお、2021年4月には世界最古のビール工場が古代エジプトの聖地・アビドスで発掘されています。 「世界最古のビール工場」がエジプトで発掘される - GIGAZINE 「妻の出血」は月経のことだといわれています。仕事とプライベートを両立するため、妻が家庭で働けない場合は夫がサポートする必要があったため、仕事を休むことが許されたと考えられています。 大英博物館のキュレーターによると、欠勤理由で最も多かったのは「目の病気になったから」「サソリに噛まれたから」で、次に多いのが「上司の私用に付き合わされたから」というものだそうです。 石板には他にも「大事な宴会に参加して二日酔いになったから」「弟の葬儀があったから」などの理由が記されているとのことで、節度があればこういった理由で欠勤することも禁じられていなかったようです。 https://gigazine.net/news/20220502-3200-year-old-egyptian-tablet/ 吉野ケ里遺跡で10年ぶり発掘調査 未発掘の神社跡「謎のエリア」 弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡で知られる国の特別史跡「吉野ケ里遺跡」(佐賀県神埼市、吉野ケ里町)で、10年ぶりの発掘調査が始まる。 対象となるのは、遺跡内にあった神社の跡地。 未発掘のため「謎のエリア」と呼ばれ、全国の考古学ファンの関心を集めてきた。 調査する佐賀県は「歴史的な発見が期待できる」としている。 (以下略、続きはソースでご確認ください) 毎日新聞 5/2(月) 8:30 https://news.yahoo.co.jp/articles/82b46bf68c5b98423a232975f21d46cdd76ff9c9 北海道・奥尻島になぜ勾玉が!? 「オーパーツ」の謎解明へ 考古学者に鑑定依頼 ■道路拡幅工事の際に出土 北海道奥尻町教委は本年度、青苗遺跡から出土した大きな勾玉(まがたま)の「謎」の解明に乗り出す。 この勾玉は、昔の有力者の副葬品とみられ、3〜4世紀ごろに新潟県糸魚川産のヒスイで作られたということが分かっているが、古墳時代の勾玉がなぜ奥尻にあるのかが判然としない。 そこで、考古学の専門家4人に再調査と鑑定を依頼し、1年がかりで勾玉の由来について町の公式見解をまとめる考えだ。 (以下略、続きはソースでご確認ください) 北海道新聞 5/11(水) 11:04 https://news.yahoo.co.jp/articles/5b994de18e064840f21da73ea0a89b8e04a37353 3000年前の「神々の行列」壁画を発見、新アッシリア帝国 約3000年前に建設された地下設備、幅3.5メートルに6人の神々 トルコ 2022.05.13 トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。5月11日付の学術誌「Antiquity」に発表された。 (以下略、続きはソースでご確認ください) https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/051200216/?ST=m_news >>29 オーパーツとは「作られた時代にそぐわない高度な知識や技術による工芸品」のことで 翡翠の加工技術や遠方との交易は縄文時代にあったから、オーパーツでも謎でも無い マヤ暦の現存する「最古のカレンダー断片」を発見! マヤ文明といえば、「2012年に世界が終わる」というマヤ暦の終末論で一躍有名になりました。 当時は、無事に2013年を迎えてホッとしたり、「いや、マヤ暦は新たな周期に入ったのだ」と言われたりで、一喜一憂した人も多いでしょう。 しかし、マヤ文明が高度な技術を誇っていたことは確かであり、今でも考古学的な注目度は非常に高いままです。 そんな中、米テキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)の研究により、マヤ暦の現存する最古のカレンダー断片が見つかった、と発表されました。 今から約2300年ほど前のもので、断片には「日付を示す数字」と「シカの図像」が描かれていたとのことです。 研究の詳細は、2022年4月13日付で科学雑誌『Science Advances』に掲載されています。 (以下略、続きはソースでご確認ください) ナゾロジー 2022.05.14 https://nazology.net/archives/107747 メソポタミア文明の神々の壁画、盗掘者を追っていた警察官により偶然発見される。 トルコ南東部の古代の地下施設で、メソポタミアの神々を描いた壁画が発見された。 嵐の神アダド、月の神シン、太陽の神シャマシュ、この地域で豊壌の女神とされていたアタルガティスなど、少なくとも6人の神が描かれている。 今から3000年近く前、当時の世界最大の帝国である新アッシリア帝国が、国境地帯で「ソフトな統治」を行っていたことを示す貴重な発見という。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/051200216/?ST=m_news 13万年以上前のヒトの歯をラオスで発見、謎の人類デニソワ人か、おそらく少女の奥歯 ■やはり東南アジアで暮らしていた? 最新研究 ラオスのアンナン山脈で急勾配の岩場をよじ登ったとき、ローラ・シャッケルフォード氏はあまり期待していなかった。 米イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の古人類学者であるシャッケルフォード氏は、コブラ洞窟と呼ばれる狭い空洞に立ち、地元のモン族の少年が見たという骨を探していた。 懐中電灯をつけて、一見何もなさそうな壁から壁へと光を走らせた。 (以下略、続きはソースでご確認ください) ナショナル ジオグラフィック日本版 5/19(木) 19:11 https://news.yahoo.co.jp/articles/0a0a08f5618142e507b172df4d00e28dee96e9b5 ストーンヘンジの周りから謎の巨大穴が何百個も見つかる ただでさえミステリアスな場所の周りに。 イギリスの世界遺産・ストーンヘンジ周辺地域で、人間が丸々入るくらい大きな穴が数百カ所から発見されました。 より小さなものも含めると、その数は数千個に上ります。 その穴の多くは、ストーンヘンジよりさらに数千年も前から存在していると推定されています。 (以下略、続きはソースでご確認ください) ギズモード・ジャパン 5/22(日) 6:00 https://news.yahoo.co.jp/articles/0ffb52c0491da1ad6973e9eda27a2f05821ceb18 1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている https://i.gzn.jp/img/2022/05/24/ancient-civilisation-eastern-turkey/00_m.jpg 古代の遺跡といえばギザの大ピラミッドやストーンヘンジなどが有名です。 作家のショーン・トーマス氏は1万1000年〜1万3000年前というピラミッドやストーンヘンジよりはるか以前に作られたとされる複数の石像がトルコの東部で発見されたと報告しています。 トーマス氏が報告している古代遺跡はトルコ東部のシャンルウルファ県で発掘されたもので、「Karahan Tepe」と名付けられています。 トーマス氏はKarahan Tepeの中でも印象的な出土品として男性器のような形状の高さ8フィート(約2.4m)の石柱をあげています。 トーマス氏によると、Karahan Tepeは1万1000年〜1万3000年前の遺跡だと推定されているとのこと。これは4000年〜5000年前に建造されたと考えられているギザの大ピラミッドよりはるかに古く、石造建築の遺跡としては世界最古とされています。 シャンルウルファ県にはKarahan Tepeの他にも1994年から発掘調査が行われている遺跡「ギョベクリ・テペ」が存在しており、ギョベクリ・テペはX線を用いた年代測定によって紀元前1万年頃に建造された遺跡であることが示されています。 ギョベクリ・テペの出土品の中には「6本の指で股間を保護している男性の石像」という特徴的なものが含まれています。 https://i.gzn.jp/img/2022/05/24/ancient-civilisation-eastern-turkey/02_m.jpg さらに、Karahan Tepeの近くに存在する遺跡「Tas Tepeler」周辺の村にはギョベクリ・テペで出土した石像と同様に股間を保護するポーズの浮き彫りの像が存在しています。 これらのことから、トーマス氏はギョベクリ・テペやKarahan Tepe、Tas Tepelerに強い関連があると推測しています。 https://gigazine.net/news/20220524-ancient-civilisation-eastern-turkey/ 縄文時代の大集落跡、実は1000年古かった 鹿児島・上野原遺跡 年代再測定で1万年超前と判明 2022/05/25 07:30 霧島市の上野原遺跡(国指定史跡)の9500年前とされてきた集落跡の年代が、千年古い1万500年前だったことが、近年の研究で明らかになった。年代測定法の進展を踏まえ、中央大学と県埋蔵文化財センターが遺物を改めて測定した。集落跡からはこれまでに52軒の住居跡が出土しており、国内で1万年超前の大規模集落遺跡はほとんど例がない。遺構や遺物を保存・展示する上野原縄文の森は来年度に展示を改装し、年代を修正する。 遺跡の年代は、木炭などの放射性炭素(C14)の残存量で測る。近年、加速器質量分析装置を使うことで、精度が大幅に高まった。測定値と実際の年代のずれを補正する手法も開発され、より正確な年代が測れるようになった。このため、全国の縄文時代の遺跡で、年代の見直しが進んでいる。 上野原縄文の森の堂込秀人園長(64)によると、2020年までに中央大と埋文センターのチームが新方法で測定し直した結果、9500年前の集落跡の遺物は1万700〜1万400年前のものと分かった。 さらに、南九州の縄文人の生活に大きな影響を与えた鬼界カルデラの大噴火の年代も千年さかのぼった。噴出物でできたアカホヤ層は6300年前とされていたが7300年前と分かった。展示館の地層の説明は書き換えたものの、今のままでは「遺跡の年代と矛盾が生まれる」(堂込園長)ことになったという。 https://373news.com/_news/storyid/156650/ 縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授 熊本大大学院人文社会科学研究部の小畑弘己教授(考古学)らは25日、約3千年前の縄文時代末期にアワなどの穀物が渡来していたことが分かったと発表した。穀物は縄文土器から見つかり、「同時期にイネも来ている可能性が高い。弥生時代の定義の見直しにも波及する可能性がある」としている。 定説では日本での穀物栽培は弥生時代早期に始まったとされるが、詳しい年代は議論が続いている。これまで「縄文時代に始まった根拠」と主張された炭化した米などもあったが、年代測定の結果、後代のものが混入していたことが判明。縄文時代の穀物の存在は十分に立証できていなかった。 小畑教授らは、江辻遺跡(福岡県粕屋町)から出土した縄文時代末期の土器を調査。破片の内部に残る炭化したアワをエックス線CTなどで検出した。取り出して年代を測ると、これまで弥生時代で最も古いとされる炭化した米より、約50〜80年さかのぼる結果が出た。 小畑教授は縄文時代の終わり頃、北部九州の縄文人が朝鮮半島の青銅器文化の人々と接触して穀物を手に入れ、小規模ながら栽培していたと想定。「弥生時代は紀元前9世紀後半から8世紀に始まった、という説の可能性が高まったのではないか」と話している。(園田琢磨) https://news.yahoo.co.jp/articles/a6a6b594df462a4bbe0179ff1488c0175a47a776 完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/903955171265576960/origin_1.jpg 奈良県田原本町の宮古平塚古墳(6世紀前半)から完全な形の太鼓形埴輪が出土し、同町が30日発表した。町によると、太鼓単体を表現した埴輪はこれまでに3例確認されているが、完全な形が残っているのは全国初で最古級。町文化財保存課の渡瀬加奈子技師は「現代と変わらない当時の太鼓の形が分かる貴重な史料だ」と話した。 見つかった埴輪は横置きで長さが28センチ、直径17.5センチの太鼓面が両面にあり、革を留めるびょう(直径1.5〜2センチ)や、革の端を表現した線もあった。 太鼓形埴輪は31日〜8月31日、唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で無料展示する。 https://www.47news.jp/news/7851351.html マヤのトウモロコシ神の像発見 メキシコ・パレンケ遺跡 【6月2日 AFP】メキシコ南東部パレンケ(Palenque)遺跡で、約1300年前にマヤ(Maya)人がつくったとみられるトウモロコシの神の像の頭部が見つかった。 国立人類学歴史研究所(National Institute of Anthropology and History)が5月31日、発表した。 発見された像は、西を向いていた。同研究所は「最初の太陽光と共にトウモロコシが生まれたということを象徴している」可能性があると説明している。 像は「神が冥界に行くことを模して、池に沈められたささげ物」の一部だったという。 研究者のアルノルド・ゴンザレス・クルス(Arnoldo Gonzalez Cruz)氏は今回の発見について、「トウモロコシの神の誕生と死、復活という神話の流れを、パレンケのマヤ人がどのように追体験していたのかということへの理解が深まる」と述べた。(c)AFP https://www.afpbb.com/articles/-/3407935?act=all ストーンヘンジの建設者は「寄生虫がいた加熱不足の肉」を食べていたことがうんちの化石から判明 イギリス南部のソールズベリー近郊に位置するストーンヘンジは、紀元前2500〜2000年に建てられた先史時代の遺跡であり、円形に直立した巨石が並ぶ様子は多くの人々を引きつけてきました。 そんなストーンヘンジの建設者や飼い犬が残した「うんちの化石」から、建設者らが「寄生虫に汚染された肉」を食べていたことが判明しました。 Intestinal parasites in the Neolithic population who built Stonehenge (Durrington Walls, 2500 BCE) | Parasitology | Cambridge Core https://doi.org/10.1017/S0031182022000476 (以下略、続きはソースでご確認ください) Gigazine 2022年06月04日 20時00分 https://gigazine.net/news/20220604-stonehenge-builders-parasite-poop/ ナスカに新たな地上絵 長さ60m、植物か 2022/6/8 11:19 南米ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」で知られる南部ナスカの丘陵地で7日までに、植物を描いたとみられる地上絵が新たに発見された。長さ約60メートル、幅約30メートルで、トウモロコシか、地元に自生するハマビシ科の植物を描いたものとみられる。地元メディアが報じた。 考古学研究の学生が発見した。考古学者アルベルト・ウルバノ氏は「紀元前200年から西暦450年の間に発展したナスカ文化のもの」と考えられると指摘した。ハマビシ科の植物は、この時代のつぼなどにもよく描かれていたという。(共同) https://www.sankei.com/article/20220608-NSRBWDKU7VOHZKVE3GZVQ4SMGA/ 約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に 10日にSNSで急上昇し、番組が注目したワードは「古代都市出現」です。3400年ほど前に栄えた王国の遺跡がある理由で突如姿を現して、注目を集めています。一体、どういうことなのでしょうか。 イラクのクルディスタン地方で撮影されたおよそ3400年前の古代都市は元々、チグリス川の中にありましたが、突如として出現したのです。 発掘現場からは陶器の器…。さらに、くさび形文字が刻まれた100枚以上の粘土板などが発見されました。これらは紀元前1550年から栄えたミタンニ帝国の時代のものだといいます。 国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニというのは北イラク、北シリア、トルコも含めて、あと地中海、東地中海方面も含めてかなり広大な領域を持って、支配していた王国」 発掘したドイツ人らの考古学者のチームによると、この遺跡は高層の建物や宮殿などで構成された古代都市だといいます。 それにしても、なぜ、古代都市が出現したのでしょうか。 その理由が「気候変動」です。イラクはここ数カ月の間、気候変動により、干ばつに見舞われるなどしていて、農作物を守るため、チグリス川の貯水場から大量の水がくみ上げられました。 すると、水位が下がり、再び姿を現したのです。 国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニ時代の拠点だといわれるような場所は発見されていないんですよ。この地域にそういうものが一つあったということは、歴史的に重要なことになると思う」 https://news.yahoo.co.jp/articles/8483e0040b383e46ddf0109edd95bd62b122d755 国内3例目の馬具と判明 壱岐・久保頭古墳出土「日韓交流知る貴重な資料」 壱岐市教委は9日までに、同市芦辺町湯岳興触の久保頭(くぼがしら)古墳で昨年度出土した馬具の鉄製轡(くつわ)が、「復環式鏡板付轡(ふっかんしきかがみいたつきくつわ)C類」と判明したと発表した。国内では群馬、京都に次いで3例目。東北アジアで9例目。朝鮮半島で多数出土しており、調査した市教委社会教育課の田中聡一課長補佐兼係長(52)は「日韓の交流関係を知る中で貴重な資料」としている。 同古墳は2020年度に新たに発見された遺跡として登録された。発見時、墳丘の裾部が削られ、玄室の天井石など石材が失われていたため、市教委が構造や造営時期などを調査。その結果、直径14メートル以上の円墳の可能性が高く、玄室と前室で構成し、その全長は約6・8メートル。6世紀末から8世紀初めまで祭祀(さいし)が行われたことが確認された。 轡は馬の口に取り付け、手綱を付けるための道具。前室入り口の左側門柱石の前室内で出土し、さびに覆われていたため県埋蔵文化センターの協力でエックス線写真を撮影したところ、特異な形状の鏡板が付いた轡と判明。馬具を研究する福岡大人文学部歴史学科の桃ア祐輔教授に照会し、複環式鏡板付轡C類だと分かった。 壱岐は、同C類が出土した京都の船山古墳と韓国南部の大伽耶(だいかや)地域(当時)の間に位置。桃ア教授は、船山古墳がある丹後半島周辺は物部氏系氏族の移住が確認されており、轡は実用馬具として物部氏系氏族の韓国南部への往来の中で搬入された可能性が高いと推測している。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1b5e4a308cf7dfdb75d8d3da6ea0c9c7c2d203c4 >>47 >丹後半島周辺は物部氏系氏族の移住が確認されており つまり、「倭人(阿波勢力)」の移住ってこと。 @阿波 はやし浩司について、どのような人物評価がありますか? 弥生時代の遺跡から麻の糸束ねた「糸玉」初めて見つかる 徳島 徳島市の弥生時代の遺跡から麻の糸を束ねた「糸玉」が見つかりました。この時代の糸玉が見つかったのは初めてで、徳島県埋蔵文化財センターは、徳島での縄文から弥生にかけての文化の変遷を知るうえで貴重な発見だとしています。 糸玉が見つかったのは徳島市にある「南蔵本遺跡」で、県埋蔵文化財センターなどが発掘調査を行ってきました。 糸玉は麻の糸を30本ほど束ねて結んだもので、縦4.5センチ、横6.2センチあり、一緒に見つかった土器の年代から弥生時代初期のものと分かりました。 何に使われたものかは分かっていませんが、全体に漆で赤く塗られ、衣服の装飾品などに使われていたのではないかと推定されています。 糸玉は全国でこれまでに12例が見つかっていますが、すべて縄文時代のもので、弥生時代のものが見つかったのは初めてだということです。 見つかった糸玉は繊維もよく残り、保存状態が良好で、県埋蔵文化財センターは、徳島での縄文時代から弥生時代にかけての文化の変遷を知るうえで貴重な発見だとしています。 センターの西本和哉主任研究員は「糸玉は発見例がまだ少なく、用途もはっきりと分かっておらず、今後さらに研究を進めたい」と話していました。 出土した糸玉は板野町にある「レキシルとくしま」で来月10日まで展示されています。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220615/k10013673471000.html 現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか 「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国 播田 安弘 邪馬台国はどこにあったのか? この難問を考える手がかりは遺跡・出土品や『魏志倭人伝』の記述などさまざまですが、どれも決め手を欠いている状況です。 そこで一つ、検討してみたいのが、中国大陸との交易路です。 女王・卑弥呼は国づくりのため積極的に大陸に船を出し、有用な物資や技術を導入していました しかし、朝鮮半島から対馬海峡を横断して日本に帰る航海は至難の業で、現代人による実験航海でもほとんどが失敗しているのです。 なぜ卑弥呼の船は戻れたのか? 船舶設計のプロフェッショナルであり、このほど『日本史サイエンス〈弐〉』を上梓した播田安弘氏の仮説から、邪馬台国への意外なルートが見えてきました。 (以下略、続きはソースでご確認ください) gendai.ismedia 2022.06.17 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96280 >>51 そもそも、釜山からの出航が間違っているから、山陰に着くのは当たり前。 @阿波 アンティキティラの沈没船からヘラクレスの頭部像や人間の歯が発見される かの有名な「アンティキティラ島の機械」が見つかった沈没船から、新たに古代ギリシャ・ローマ神話の英雄ヘラクレスらしき大理石像の頭部や台座、人間の歯が発見されたそうだ。 アンティキラの沈没船は、約2000年前のローマ時代に沈んだとされる船で、1900年に地元のダイバーによって発見され、翌年にアンティキティラ島の機械が考古学者によって回収された。 まだ未探査な場所が多く、様々な遺物がこの船と周辺に残されている。そうしたものを研究すれば、当時の航海の様子も明らかになるだろうと期待されている。 https://karapaia.com/archives/52313759.html 炊いた米 古墳時代も主食? 岡山大院生ら 古墳出土の人骨歯石にでんぷん粒確認 古墳時代も炊いたご飯が主食? 岡山県内の古墳から出土した人骨の歯石から、米とみられるでんぷん粒を検出したと岡山大大学院社会文化科学研究科1年の岩本紗采さん(22)、同大文明動態学研究所の鈴木真太郎教授(42)=生物考古学=が30日発表した。 煮沸された特徴があり、炊いた米だった可能性が高いという。 (以下略、続きはソースでご確認ください) 山陽新聞デジタル 6/30(木) 22:21 https://news.yahoo.co.jp/articles/efd4646177b7cec2c41c984a04ecf9d130684147 スペインで発掘の顎骨片、欧州最古のヒト属化石か 【7月9日 AFP】スペイン北部で先月30日に発掘された顎骨の断片は、これまでに欧州で発掘されたヒト属の化石としては最古となる可能性がある。 同国の古生物学者が8日、明らかにした。 研究チームによれば、スペイン北部のアタプエルカ山脈(Atapuerca Mountains)の遺跡で発掘された化石は、およそ140万年前のもの。 これまでに欧州で発掘された最古のヒト属の化石は、2007年に同じ遺跡で見つかった顎骨で、120万年前のものと断定されている。 (以下略、続きはソースでご確認ください) AFPBB NEWS 2022年7月9日 14:02 https://www.afpbb.com/articles/-/3413734 蒜山高原遺跡群(岡山県真庭市)3.6万年前の生活跡 中四国、近畿で最古級 中央大と東京大の研究チームは、後期旧石器時代の蒜山高原遺跡群(岡山真庭市)など岡山県北部の4遺跡から出土した炭化材の年代測定を行い、3万6千〜3万4千年前のものとする調査結果を13日までに明らかにした。人類の生活跡として中四国、近畿地方で最古級になるという。 分析したのは蒜山高原遺跡群の中山西、下郷原田代、城山東遺跡と、新見市の野原遺跡群。県教委による過去の発掘調査で見つかった、たき火跡とみられる土壌から1センチ〜数ミリ程度の炭化した木片のサンプルを採取し、放射性炭素年代測定を行った。 同じ地層からは、旧石器人が使用した局部磨製石斧(せきふ)、台形様石器などの石器群が出土している。3万6千〜3万4千年前という結果は、石器に確実に伴う炭化材の年代測定では近畿、中国、四国地方で最も古い値だという。 「日本列島でも最古級の遺跡が、蒜山高原を中心とした中国山地に残ることが分かってきた」と及川穣(みのる)・中央大人文科学研究所客員研究員。 さらに、木片を走査型電子顕微鏡で調べたところ、温帯性落葉樹のサクラ属やカヤと判明した。当時は最終氷期の最寒冷期(2万5千〜2万年前)に向かう時期で寒く厳しい気候とみられてきたが、「比較的温暖だったことが推測され、時代観を見直す材料になる」という。 国内での旧石器人の起源は明確ではないが、静岡県沼津市の井出丸山遺跡(3万8千年前)などが最も早い一つとみられている。岡山県では恩原遺跡群(鏡野町)で3万3千〜1万6千年前の地層から石器が出土している。 及川研究員は「人類が日本列島で定着し始める過程を知る上で、重要な手掛かりになる」としている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/f746e7ad6400ff23df6a531b78dddd08f896f4b8 イギリスのヘレフォードシャーには「アーサー王の石」と呼ばれる、巨石を組み上げて造られた遺跡が存在している。重さ25トンにもなる平べったく大きい岩「キャップストーン」を9本の大きな岩が支えるというテーブルを思わせる形状をしており、長さ4.6メートルの湾曲した入口通路が付近に存在している。北側にはカップの刻印がついた「クオイト・ストーン」という石が存在していたそうだが、今はどれが該当するかはっきりしていない。 まるで日本の石舞台古墳を連想させる外見だが、実際に「アーサー王の石」の下にも埋葬室があると考えられている。しかし今日まで遺骨が発見されたことはなく、誰が、あるいは何が埋められていたのかは長らく疑問の的となっていた。 そして現在、マンチェスター大学の考古学者が主体となって「アーサー王の石」の下に何があるのかを明らかにする発掘調査の準備が進んでいるという。 イングランドの歴史的建造物を保護する団体イングリッシュ・ヘリテッジ(English Heritage)のジニー・スレイド氏は「アーサー王の石は、この国で最も重要な石器時代の遺跡の一つです」とし、発掘調査について「一般の人々が考古学の現場を見ることができる貴重な機会」であると語っている。 日本でも活躍が知られるアーサー王の存在は謎に包まれており、ほとんどの歴史家が神話上の人物であった可能性が高いという見解を出している。しかし伝説上のアーサー王の活躍は数え切れないほどの王やドラゴン、魔法使いが登場する物語の源流となってきた。ちなみに「アーサー王の石」はアーサー王がドラゴンと戦った跡が残されているという伝説の残る場所でもある。 彼の名を冠した石の下に何があるのか、非常に興味深いところだ。 以下ソース https://mnsatlas.com/?p=79222 画像 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220723/K10013731861_2207222307_0723045932_01_02.jpg https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220723/K10013731861_2207222307_0723045932_01_04.jpg 中国 3000年以上前の青銅の巨大仮面などが出土 発掘現場を公開 3000年以上前のものとみられる青銅製の巨大な仮面などが出土した中国内陸部の四川省にある、三星堆遺跡の発掘現場がことし秋に調査が終了するのを前に、このほど外国メディアに公開されました。 中国四川省の徳陽市にある三星堆遺跡は、1980年代に本格的な発掘調査が始まり、3000年以上前のものとみられる青銅製の巨大な仮面や人物像、樹木の形をしたものなどが出土しています。 多くの出土品が見つかった場所の近くでは、おととし9月から新たに発掘作業が行われていて、その様子が21日、一部の外国メディアに公開されました。 発掘現場は屋根のついた構造物によって保護され、作業の区画ごとに設置されたクレーンに乗った研究者が地中から姿をあらわした出土品の真上から保存状態を調べたり、位置を確認したりしていました。 今回の発掘調査では、これまでに人の頭の像や鳥の形をしたものなど1万3000点余りが見つかったということです。 遺跡の出土品は儀式などで使われたとみられていて、目や耳の大きなものや目が突き出たものなど特徴のある青銅製の仮面は中国各地の遺跡で見つかったものの中でも、独自性が強いということです。 発掘作業はことし10月ごろに終了する見通しで、出土品は遺跡の近くに建設された施設で修復の様子と合わせて一般公開されるということです。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220723/amp/k10013731861000.html 縄文遺跡、掘ってみたら…太平洋戦争の遺構発見、横浜で展示 企画展「舞岡熊之堂(まいおかくまのどう)の戦争遺跡」が、横浜市戸塚区の戸塚区役所3階区民広場で開かれている。同区内で見つかった太平洋戦争末期の「照空(しょうくう)隊陣地跡」を紹介するもので、前期は23日まで。20日には、発掘に当たった「市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター」の古屋紀之所長が講演する。 発掘調査は市に委託され、同センターが2017年12月〜20年3月に実施。戦争遺跡のほか、縄文・弥生時代の集落に伴う100軒以上の竪穴住居が見つかった。 18年5月に本調査が始まり、すぐに円形部の直径が10メートルもある全長23メートルの大きな柄鏡(えかがみ)形の掘り込みが見つかった。川崎市の黒川地区で敵機を照らす照空灯を操作する照空隊の陣地が発掘された事例を基に、「照空灯掩体跡(とうえんたいあと)」であることが判明した。 さらに掘り進めると、いくつかの地下室と円形の遺構が見つかり、実際に照空灯を動かす通信室などの「照空分隊」があったことが分かった。19年の調査では予想通り小高い丘に中隊本部跡とみられる遺構も発見された。 同所に縄文時代の遺跡があることは分かっていたが、古屋所長は「掘り出される土の感じで新しいものだとは思ったが、戦争遺跡があるとは予想していなかった」という。 企画展では発掘の過程を紹介するほか、史料を参考に照空灯の仕組みや照空隊の実態に迫る。今回発掘された「空気電池」や照空灯を使うために使われたとされる「炭素棒」なども並ぶ。古屋所長は「まさに身近にある戦争の記憶。展示を通じ、遺跡や文化財を理解する一助になれば」と話している。 舞岡熊之堂の戦争遺跡を紹介する3DCG動画も、会場と動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開している。 入場無料。午前9時〜午後5時(20日は戸塚公会堂で展示)。後期は同区の舞岡地区センターで、25日〜9月14日(12日休館)に開かれる。講演会は午後1時半から戸塚公会堂で開催。資料代500円。申し込みはメール、ファクス、往復はがきで受け付ける。8月15日締め切り。定員100人(応募多数の場合は抽選)。詳細は市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターのホームページで。問い合わせは、同センター電話045(890)1155。 https://news.yahoo.co.jp/articles/5ff07044fb3219abbbe58dcfe71da5bb1005f8d4 英語の論文読んでるんだけど、 cultivation from c. 4600-4200 years ago. の年代のところ、どう訳したら良いですか? 「c.」は何を意味してるの? 引っかかった。 Circaの略でc. 「約」とか「およそ」の意味かな? 古墳の鶏の埴輪、3キロ離れた工房跡で見つかった破片がぴったり接合 赤堀茶臼山古墳から出土した鶏形埴輪。羽の一番下の色が変わっている部分に工房跡出土の破片が接合した=群馬県伊勢崎市提供 群馬県伊勢崎市にある赤堀茶臼山古墳から出土した鶏(にわとり)の形をした埴輪(はにわ)に、3キロ離れた埴輪の工房跡から出土した破片がぴったり接合することが明らかになった。5世紀前半に作られた埴輪は羽の一部を欠いた状態で、元々は同一個体だったとみられる。埴輪工房からそれを飾る古墳へ、という動物埴輪の流れが遺物で確実に判明したのは初めて。 この埴輪は、10月14日から同市の赤堀歴史民俗資料館で開かれる企画展「赤堀茶臼山古墳 東国屈指のハニワたち」で公開される。 鶏形埴輪と接合したのは、伊勢崎市の釜ノ口遺跡から出土した長さ22センチの埴輪片。2002年の発掘調査で出土した。表面に羽を表現した複数の線刻があることから、鳥の埴輪の一部ではないかと推測されていた。同資料館が昨年度から行ってきた整理作業で、1995年に赤堀茶臼山古墳から出土した鶏形埴輪の一部とみられることがわかった。 news.yahoo.co.jp/articles/f59b98f05ccb2a65ed375efccb8b7e575181e8c5 「まさかの発見に頭の中まっ白」弥生から明治まで2千年分、生活の痕跡残る遺構 平安初期の史書「日本後紀」に水運拠点として登場する川港「 淀津 」の遺構が、桂川西岸(京都市伏見区)から見つかった。 調査した京都市埋蔵文化財研究所を驚かせたのは、生活した痕跡が残る遺構面が時代別に10面確認されたことだ。 水害を示す粗い砂の層はなく、弥生期から明治期まで2000年の間、人の営みが途切れなかったことがわかった。 発掘時の様子や発見の意義を聞いた。(山口景子) (以下略、続きはソースでご確認ください) 読売新聞オンライン www.yomiuri.co.jp/culture/20220903-OYT1T50239/ 古代職人の墓を発見、鮮やかな織物や宝飾品も ペルー 2022年9月5日 8:30 発信地:ウアルメイ/ペルー [ ペルー 中南米 ] 【9月5日 AFP】ペルーの首都リマの北290キロにある有名なエル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ(El Castillo de Huarmey)遺跡で、ポーランドとペルーの考古学チームが発見した1000年前の墳墓から発掘された葬儀用織物。 調査チームを率いるポーランド人考古学者のミロシュ・ギエルシュ(Milosz Giersz)氏によると、この墳墓にはワリ(Wari)文化の傑出した職人が金や銀の宝飾品と共に埋葬されていた。(c)AFP www.afpbb.com/articles/-/3421652?act=all 縄文時代の極めて珍しい墓『焼人骨集積土坑(しょうじんこつしゅうせきどこう)』を初めて一般公開 新潟・村上市 新潟県村上市にある縄文時代の遺跡の発掘作業で全国的に見ても珍しい墓が見つかっています。複数の人の骨をひとつの墓に納めた『焼人骨集積土坑(しょうじんこつしゅうせきどこう)が初めて一般公開されることになりました。 【県埋蔵文化財調査事業団調査課 石川智記課長代理】「この黒くなっている部分、こちらは元々柱があった痕跡になります」 あちこちに掘られている穴は『柱穴(はしらあな)』。建物の柱があったと考えられる跡です。 ここは、縄文時代に大規模な集落があったとされる村上市の上野(かみの)遺跡。 2017年度から発掘が始まりこれまでに4500以上の『柱穴』やおよそ80棟の建物跡のほか数多くの縄文土器や石器が見つかっています。 その中でも7日、初めて報道陣に公開されたものが… 【県埋蔵文化財調査事業団調査課 石川智記課長代理】「これらはみんな頭の骨ですね。頭骨になります」 複数の人の焼けた骨を1つの穴に集めて埋めたお墓、『焼人骨集積土坑(しょうじんこつしゅうせきどこう)』です。 他の場所で焼かれた顎やあばら、すねなど様々な部分の骨が見つかり少なくとも3人分の骨があるとみられています。 複数人の骨を焼き、1つのお墓におさめた埋葬方法は全国的にも珍しく国内で最も古い時期のものだということです。 発見されたのは20年でしたが骨は壊れやすいため調査はあまり進んでいませんでした。 今月中に、お墓ごと屋内の施設に移して何人が埋葬されているかなど専門家に詳しく調べてもらうということです。 【県埋蔵文化財調査事業団調査課 石川智記課長代理】「調査自体は非常に大変なんですけれど、今後いろいろなことが分かっていけたら、縄文時代どんな暮らしをしていたのかもう少し鮮明に分かれば」 一般向けの現地説明会は9月10日、午前と午後の2回に分けて行われます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/144ea0686f00c77dab24024a114f0595de8cd81f 180万年前の初期人類の歯か、ジョージアで化石発見 アフリカ以外で最古 ジョージア(グルジア)の考古学者らが、180万年前の初期人類の歯とみられる化石を発見した。アフリカ以外では最も古い、先史時代の人類がこの地域に住んでいた証拠として重要な発見だという(ナレーションなし)。 ジョージアの考古学者らが180万年前の人類の歯を発見。 発見された場所はジョージア南部のオロズマニ。この地域が、有史以前の人類の最も古い居住地の一つであることを立証する発見だという。 英国の考古学者、ジャック・パート氏 「この遺跡だけでなくジョージア自体、そして180万年前にアフリカを出た人類の歴史にとって、非常に大きな意味がある。 (以前化石が発見された)ドマニシ遺跡から、この地域まで人類の居住地を拡大するものだ。 ジョージアが、古人類学と人類の物語全般にとって本当に重要な場所であることを確証する発見だ」 今回、歯の化石が発見されたのはドマニシという遺跡の近く。ドマニシでは、180万年前の人間の頭蓋骨が1990年代後半から2000年代初頭にかけて発見されており、アフリカ以外では世界最古のものとみられる。 最も古いヒト属の化石は約280万年前のもので、現在のエチオピアで発見された。 https://news.yahoo.co.jp/articles/a90201581a1a291622aa54aa7fedefcc90b98f67 三内丸山遺跡 新たに竪穴建物跡3基出土 昨年、世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中核である青森市の三内丸山遺跡で17日、本年度最後の発掘調査現地説明会が開かれた。今年は新たに縄文時代の竪穴建物跡3基や貯蔵穴の一部とみられる跡が見つかった。縄文時代のムラづくりの特徴や集落の全体像を知る手掛かりになる。 本年度は5月19日から集落の全体像の解明などを目的に、遺跡東側に位置する通称「南の谷」周辺の遺構分布状況を調査している。 17日は「南の谷」北側を調査した「第46次発掘調査」の進捗(しんちょく)状況を三内丸山遺跡センターの山地雄大文化財保護主事が説明し、一般の見学者約50人が聞き入った。 今回見つかった建物跡は、床面と考えられる平たんな面があり、壁面とみられる立ち上がりが確認された。1基あたりの広さは直径2メートルほどと考えられる。山地主事は「南の谷に面した斜面地の一定の範囲に居住域を設けており、当時の人は地形や立地条件を見極め(生活に)適した場所を選択しながらムラづくりをしていたのではないか。今回、縄文人の暮らしの広がりが明確になった」と説明した。 調査は10月20日までで、「南の谷」南側の「第47次発掘調査」も進める。 三内丸山遺跡では19日まで「さんまるJOMONの日」イベントを開催中。18日は「夜の遺跡を楽しもう」と題し、JOMONプラネタリウムなどを予定している。またご当地キャラが徒競走をして順位を当てる「ご当地キャラダービー」なども楽しめる。 https://news.yahoo.co.jp/articles/760c0cef877cb2694063180c1b37da42eda04696 縄文人は人体構造を理解していた? 鹿角・大湯環状列石「土版」に消化管に似た貫通孔 世界文化遺産の大湯環状列石(秋田県鹿角市)の代表的な出土品で、粘土板の表面に付けた穴で人間の体を表現している「土版(どばん)」の内部に、消化管に似た貫通孔があることが、レプリカの制作過程で分かった。土版を展示している大湯ストーンサークル館の担当者は「縄文人が体内の構造を理解していたのではないか」と推測する。 土版は1985年度に出土した長方形の粘土板(縦5・8センチ、横3・7センチ、厚さ1・5センチ)。表と裏には目や口などを表す穴があり、その数は口が1、目が2、右胸が3、左胸が4などとなっている。6までの数で人体を表現しており、縄文人の数に対する認識をうかがわせる珍しい出土品だ。 史料としての価値に加え、ゆるキャラのような表情から「どばんくん」の愛称で知られる。各地の博物館から展示の依頼があったが、文化財保護の観点から貸し出しは断っていた。 鹿角市教委は2020年1月、土版のレプリカ制作を秋田県産業技術センター(秋田市)に依頼。精緻に測定するために実施したCTスキャンの結果、口の穴と底部の穴が空洞化した内部でつながっていたことが判明した。空洞には別の年代の土が入り込んでいたため、これまでは目視で貫通していることを確認できなかった。 20日にストーンサークル館であったレプリカの完成会見で、同館の赤坂朋美主任は「貫通孔は口と底部の穴から細い棒でつついて、それぞれ中央に向かって開けられていた。縄文人が数に加えて人体構造も認識していた可能性があり、学術的に価値のある発見になった」と述べた。 レプリカは6個制作し、うち2個は英国の世界遺産「ストーンヘンジ」の観光施設と秋田市の県立博物館に貸し出された。実物は今後もストーンサークル館で展示する。 https://news.yahoo.co.jp/articles/5bb35f0c431f27edf9931538e233044d9e19789e 3000年前の丸木舟を発見、五大湖で最古 米ウィスコンシン州 (CNN)米ウィスコンシン州のメンドータ湖で、現地の人々が3000年前に使用していた丸木舟が発見されたことがわかった。五大湖地域で見つかった丸木舟としては最古級とみられる。ウィスコンシン州の史学会が明らかにした。 学会によれば、丸木舟は木片の状態で、湖の底で見つかった。収集には同州の先住民部族も協力したという。 学会によれば、丸木舟は1本のホワイトオークから削り出されたもので、全長は約4.4メートル。今回の丸木舟が見つかった場所の近くでは昨年11月に1200年前の丸木舟が完全な状態で発見されていた。 丸木舟は今後、2年をかけて専門家によって修復される見通し。 学会の考古学者は声明で、「メンドータ湖で歴史的に重要な丸木舟がさらに発見されたことは本当に驚くべきことだ」と述べ、3000年にわたって丸木舟のデザインに生じた、技術的、文化的、様式的な変化を探るための貴重な研究と教育の機会が得られるだろうとの見方を示した。 https://news.livedoor.com/lite/article_detail/22916975/ イスラエル沖に古代の難破船 ビザンツ帝国末期、国際貿易に使用か イスラエルの沖合で、7―8世紀のものとみられる古代の難破船が発見された。地中海各地からの荷物が積まれており、ビザンツ帝国が滅亡しオスマン帝国へ支配権が移り変わった後も、西洋との貿易が続いていたことを示す証拠だと専門家はみている。 イスラエルの沖合で発見された、古代貿易船の残骸。 7―8世紀のものとみられ、地中海のあらゆる地域からの荷物が乗せられていたという。イスラム教徒による聖地征服後も、西欧の商人が来航していた証拠とみられる。 ハイファ大学の海洋古学者、デボラ・クビケル氏 「長さ20m、幅5mと、これまで発見された難破船の中で最大だ。年代は7―8世紀とみられ、この地域の支配がビザンツ帝国からオスマン帝国へ移り変わった時期に当たる」 研究者らが水中ポンプで難破船から砂を取り除くと、オリーブ、ナツメヤシ、イチジクなどが入った特徴的な容器「アンフォラ」が200個発見された。 ハイファ大学の海洋古学者、デボラ・クビケル氏 「歴史の教科書によればこの地域は、ビザンツ帝国が衰退しイスラム教徒の支配が始まると、地中海で国際貿易は行われなくなり、小型船による沿岸輸送しか行われていなかったと書いてある。 だがここには、長さが約25mあったとみられる大きな難破船があり、地中海各地からの貨物を積んでいたと考えられる」 https://news.yahoo.co.jp/articles/3dca42bcda13836a7c7355b9a6c029ac59acdf6f 単にヨーロッパ側でまだイスラム勢力を脅威として認識していなかっただけのように思うんだが 巨大橋をかけて大陸を固定したり島を引っ張ったりする技術は どのくらい昔からあったのかな? ペルーの遺跡で「心臓の取り除かれた状態」の子供の遺骨が76体も見つかる! 米フロリダ大学(University of Florida)の人類学研究チームは、このほど、南米ペルーにある「パンパ・ラ・クルス(Pampa La Cruz)遺跡」にて、子供の遺骨が新たに76体発掘されたと発表しました。 パンパ・ラ・クルスは、首都リマから北に約305キロ離れたフアンチャコ(Huanchaco )地区にあり、発掘作業は今年の7月から8月にかけて行われました。 発掘を指揮したガブリエル・プリエト(Gabriel Prieto)氏によると、遺骨にはすべて、胸骨を横切る切り込みがあったそうで、「おそらく胸郭を開いて、心臓を取り出した痕と見られる」と話します。 遺骨が生贄であることは間違いないと見られますが、なぜ、これほど多くの子供たちを犠牲にしなければならなかったのでしょうか? (以下略、続きはソースでご確認ください) ナゾロジー 2022.10.10 Monday https://nazology.net/archives/115950 幻の「ヒッパルコスの星表」の写本を発見!観測精度の高さを再確認 「ヒッパルコス」は、紀元前147年頃から紀元前127年頃まで活躍した古代ギリシャの天文学者です。 古代バビロニアなどのさらに古い時代の天文記録や数学的手法を使い、非常に高精度な天体観測を行ったことから、ヒッパルコスは “天文学の父” とも言われています。 (以下略、続きはソースでご確認ください) sorae 宇宙へのポータルサイト 11/2(水) 21:31 https://news.yahoo.co.jp/articles/1a0f7fd18f520a0e15f2e1d588c91114e7a16d31 縄文時代の特徴残した弥生時代早期から前期の墓か 鹿屋で発見 鹿屋市にある遺跡で、弥生時代早期から前期にかけて作られた縄文時代の特徴を残した墓とみられる穴が見つかりました。 発掘した県立埋蔵文化財センターは「縄文時代の精神文化を受け継いだ南九州独自の特徴がみられる」としています。 県立埋蔵文化財センターは、県道の整備に伴って、鹿屋市吾平町麓にある立塚遺跡でおととしから発掘調査を進めています。 この遺跡で先月までに、およそ2800年前の弥生時代早期から前期にかけて作られた「土坑」と呼ばれる穴が環状に配置された状態で30基以上見つかりました。 センターによりますと、墓地から出土することの多い朱塗りのつぼ形土器などが周辺から見つかっていることから、これらは墓とみられるということです。 環状に配置された土坑の墓は縄文時代の墓の特徴とされ、環状に配置された弥生時代初頭の土坑の墓が見つかったのは国内で初めてだということです。 土坑は大きなもので縦6.5メートル、横1.3メートルほどあり、長い方の直径でおよそ60メートルのだ円形を描くように並んでいるものもあります。 県立埋蔵文化財センターは「縄文時代の精神文化を受け継いだ南九州独自の特徴と考えられる。弥生時代初頭の墓の作り方は未知の点が多いので、今後の研究の指標になるのではないか」としています。 遺跡では11日午後1時半から説明会が開かれ、土坑群や出土品を見ることができるということです。 https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20221110/5050021077.html 岡山の巨大前方後円墳『造山古墳』で石室見つかる。盗掘されていない可能性あり 全国第4位の規模を誇る巨大前方後円墳・造山古墳(岡山市北区新庄下、国史跡)で12日までに、埋葬施設に伴うとみられる複数の板状の石が見つかった。岡山市教委が初めて後円部墳頂で行っている発掘調査で、中央部の土中から5個が並ぶように出土。石室の一部である可能性もあるという。未確認だった埋葬施設が現存し、古代吉備の王が今も眠っている期待が高まった。 板石は後円部の中心点近く、現在の地表から深さ約80センチの場所で現れた。一辺40センチ前後の扁平(へんぺい)形で、中心線に沿うように南北方向に並んでいる。 石材は、葺石(ふきいし)に使われる在地の花こう岩と異なり、古代吉備の大型古墳の石室に多く用いられた香川県産の古銅輝石安山岩とみられる。 築造当時の墳丘表面ではなく、内部に埋まっている。市教委文化財課は「石室自体や、その上に設けられた葬送儀式の遺構などと推測されるが、見える石の数が少なく断定できない」とする。 古墳研究が専門の澤田秀実くらしき作陽大教授は「石室の天井や壁として積み上げられた石とも十分考えられる。埋葬施設がどのように広がっているかはまだ判断できないが、現存している可能性を示唆する重要な出土物」と指摘する。 石室発見の期待が高まるが、10月中旬に始まった今回の発掘は、墳頂に築かれた戦国時代の城跡の調査が目的。古墳本来の遺構は現状保存が原則で、これ以上掘り下げられない。市教委は板石の正体について、専門家の意見を聞いて検討していくという。 造山古墳の埋葬施設については竪穴式石室があると推測されてきたが、澤田教授は「石室の存在が確定すれば、畿内の大王墓と比べて遜色ない“格”だと裏付けられる。構造からも吉備の王の人物像に迫れるだろう」とする。 同課は「板石は埋葬施設の構造を知る上で貴重なデータになる。戦国期の改変状況も少しずつ把握できており、慎重に調査を進めたい」とする。発掘は12月中旬までで、現地説明会を今後開く予定。 https://www.sanyonews.jp/sp/article/1329761 【埼玉】なぜ堀った…二子山古墳に大穴 「後円部」に2カ所、いずれも2メートル前後の深さ 被害時期は不明 [ぐれ★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1674912143/ なぜ邪馬台国畿内説は韓国式歴史捏造を好むのか? 血統の問題では? ■邪馬台国は何処? 九州説:54.4% 近畿説:35.7% その他:9.9% https://i.imgur.com/L5Nc9eR.png 半島系固有DNAの分布図 https://i.imgur.com/lD1J7Fg.png 日本最古のニワトリひなの骨 北海道大、奈良の唐古・鍵遺跡 北海道大の研究者らでつくるグループは20日、弥生時代を代表する巨大な環濠集落跡「唐古・鍵遺跡」(奈良県田原本町)で見つかっていた骨が日本で最も古いニワトリのひなのものだと分かったと発表した。紀元前4〜同3世紀のもので、同遺跡では遅くともこの頃から飼育、繁殖させていたと推定される。 ニワトリは弥生時代に日本に持ち込まれたとみられているが、これまでに見つかった弥生時代の骨はほとんどが雄で、日本で繁殖させることができず朝鮮半島や中国大陸から運ばれたと考えられていた。 江田真毅教授(動物考古学)によると、骨は大腿骨や骨盤の一部で、1995年の調査で見つかった。研究グループが2020年に確立したコラーゲンを質量分析する手法でニワトリと特定し、放射性炭素年代測定で年代が判明した。 中国では文献記録から紀元前641年にはニワトリがいたと考えられるが、これほど古い年代の骨が特定された例は東アジアではないとしている。 弥生時代のこの年代にニワトリを飼う目的は分かっていない。 https://www.47news.jp/9222190.html 表面の石に「線刻」と呼ばれる多数の記号 佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡」にある「謎のエリア」で大きな発見です。邪馬台国時代のものとみられる石棺墓が新たに見つかりました。 ■「線刻」と呼ばれる多数の記号 吉野ヶ里遺跡で先月末に見つかったのは、縦1.7メートル、横3.2メートルの「石棺墓」です。吉野ヶ里遺跡には長年、 神社があり発掘調査ができていなかったいわゆる「謎のエリア」がありました。石棺墓は、去年5月に始まったこのエリアの調査の一環で見つかったもので、表面の石に「線刻」と呼ばれる多数の記号があります。一般の石棺墓より規模が大きく、見晴らしの良い場所にあります。 ■来月に石棺墓の入り口を開ける 邪馬台国があったとされる時期と重なっていることから、王など有力者の墓の可能性もあります。佐賀県は、来月5日にこの石棺墓の入り口を開け、1週間ほどかけて副葬品などを調べる方針です。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b1ecc567bd0e979d7100aa006959d899e4beb142 4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、調査を行っている佐賀県によりますと、墓の「ふた」だということです。 弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけられたとみられています。 吉野ヶ里遺跡では、これまで弥生時代中期の王の墓が見つかっていますが、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期の有力者の墓だとすれば、初めてとなります。 吉野ヶ里遺跡の発掘に長年携わってきた考古学者の高島忠平さんは「『謎のエリア』の中でも最も高く、見晴らしのよい場所にあり、かなり身分が高い人の墓の可能性が高い」と指摘したうえで「さらに調べれば、当時の政治のあり方を読み取るうえで歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。 佐賀県は今後、墓の中を調査することにしていて、副葬品などが見つかるかが注目されます。 2023年5月29日 5時40分 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230529/k10014081181000.html 世紀の発見となるのでしょうか。佐賀県は5月29日、吉野ヶ里遺跡で邪馬台国時代のものの可能性がある石棺墓が見つかったと発表しました。 「邪馬台国時代の可能性が高い。いま、我々は非常に興奮してときめていて、これからどうなんだろうという気持ちが高ぶっています。」(佐賀県・山口知事) 吉野ヶ里遺跡で新たに見つかったのは、縦1.7メートル、横3.2メートルの石棺墓です。去年5月から発掘が始まった、「謎のエリア」と呼ばれる場所で見つかりました。 見晴らしの良い場所に単独で存在し、線刻といわれる記号が刻まれているなど、これまでにない墳墓だということです。 佐賀県は、吉野ヶ里遺跡でこれまで見つかっていない弥生時代後期、いわゆる邪馬台国の時代の有力者のものの可能性があるとしています。 6月5日から石蓋をあけ、副葬品などを1週間ほどかけて調べるということで、佐賀県の山口知事は「世紀の発見を期待する」と話していました。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b5e6e9a20939b8f67d4fe4a0042eb3cdfa748a0c こんな感じ? 従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千余里 始度一海、千余里、至対海国 【(狗邪韓国から)始度(渡)】 又南渡一海、千余里、名曰瀚海、至一大国 【(対海国から)又南渡】 又渡一海、千余里、至末盧国 【(一大国から)又渡】 (東南陸行、五百里、至伊都国) 〔先に遠くを記し〕【(末盧国の)東南】 (東南、至奴国、百里) 〔後に近くを〕【(末盧国の)東南】 (東行、至不弥国、百里) 〔同上〕【(末盧国の)東】 (南、至投馬国、水行二十日) 〔先に遠くを記し〕【(末盧国の)南】 南、至邪馬台国、女王之所都、水行十日、陸行一月 〔後に近くを〕【(末盧国の)南】 (末盧国と邪馬台国の間にある国々21を国名のみ記す) 【女王国以北】【次有(×21)】 其南有狗奴国、…不属女王 【(女王国の)其南】 自郡至女王国、万二千里 (倭人の習俗) (帯方郡と韓国倭国の国交) (女王共立の経緯) (倭女王朝貢の履歴) (卑弥呼の列伝、墳墓) (男王誅殺、卑弥呼宗女壹与の即位、朝貢) 帯方郡から邪馬台国まで1万2千里(帯方郡から朝鮮半島南部の狗邪韓国まで7千里、狗邪韓国から九州北部の末盧国まで3千里、末盧国から邪馬台国まで2千里) (a) 一大国―(渡海1000余里)―末盧国―(陸行東南500里)―伊都国―(東南100里)―奴国―(東行100里)―不弥国―(南へ水行20日)―投馬国 (b) 一大国―(渡海1000余里)―末盧国―(陸行東南500里)―伊都国―(東南100里)―奴国―(南へ水行20日)―投馬国 (c) 一大国―(渡海1000余里)―末盧国―(陸行東南500里)―伊都国―(南へ水行20日)―投馬国 この場合、投馬国の1つ前の国と末盧国も水行で移動したほうが早い なんなら末盧国を中継せずに一大国から1つ前の国に直接渡ればいい 末盧国―(陸行東南500里)―伊都国 末盧国―(東南100里)―奴国 末盧国―(東行100里)―不弥国 末盧国―(南へ水行20日)―投馬国 末盧国―(南へ水行10日・陸行なら1月=2000里)―邪馬台国 邪馬台国―(以北21ヶ国、斯馬国〜奴国)―末盧国 邪馬台国―(其南)―狗奴国 邪馬台国の北隣は斯馬国で末盧国の南隣は奴国 邪馬台国に属する女王国は奴国まで(対海国・一大国・末盧国は女王国ではない) 伊都国の王は代々女王国に属す 伊都国には北方の女王国諸国を検察する一大卒が置かれ、帯方郡の使者が邪馬台国と往来する際にも必ず立ち寄る エイリアンやUFOの存在が常識となった現在。。 存在自体を否定し、訳のワカラン自説を唱えていた考古学者達は 自分達の無知を自覚し、反省しなければイケナイ。 考古学の発展を妨害してきた罪は大きい。。 UFOってただの試作機でしょ 米軍基地の周辺によく出現する >>106 >エイリアンやUFOの存在が常識となった現在。。 ケネス・アーノルド事件からまもなく76年が経つ その間考古学界隈では様々な発掘と研究が成され新たな発見とそれらによる通説·定説の見直しがなされているが UFO界隈でUFOやエイリアンの実在を立証する客観的・科学的な証拠は今のところ全く発見されていない 具体的な証拠を何一つ提示できないオカルティストの常識は世界の非常識であることを自覚しろ >存在自体を否定し、訳のワカラン自説を唱えていた考古学者達は >自分達の無知を自覚し、反省しなければイケナイ。 考古学者達の提唱する説を訳がわからないというのは 反知性主義で反権威的な頭の固いオカルティストの理解力が不足しているため 考古学はUFOを否定も肯定もするものではないことすら理解できない己のアホウさを自覚して恥じ入り 反省しなければいけないのはオカルティストのほう >考古学の発展を妨害してきた罪は大きい。。 上記の通り考古学は発掘調査による新たな発見や遺跡や遺物の科学的研究や学問的な議論などを経て夥しい学問的成果をあげているが一方のUFO界隈は? ケネス・アーノルド事件以降にエイリアンクラフトやその搭乗員について客観的・科学的に研究できるような発見はあったか? エイリアンクラフトの飛行原理や地球外生命の生態や言語や文化について具体的な成果はあったのか? 70年以上にわたり新しい発見も情報も出てきているが一度としてUFOも宇宙人も そしてはやし浩司の妄説に近しい事象も発見もなにもないのが現実 しかもオカルトが定説を覆したことはない、未だかつて一度もだ お前はもう少し現実を見ろよ ノロイノ輪使うの忘れてた。。 0077卍3286卍ss 2020/12/12(土) 17:53:44.83ID:8JDkszRs0 ベンジャミンフルフォード復帰 アメリカの新大統領について 新チャンネル開設 詳細は説明文へ https://youtu.be/M2eaaQWEa-g そもそもファイザーを信じるコトじたいアホ... ヒトリゴト:オレもノロイノ輪 ソロソロ使ってみよかな。。(笑) 伊都国は福岡県糸島市 王墓の平原遺跡から地中海産のガラス玉が出土した 伊都国の東南にあった奴国は福岡県博多市 志賀島から金印が出土した そして奴国の南にあった邪馬台国は奈良県桜井市 箸墓古墳が卑弥呼の墓 クルクルパーだろこれ 「メソポタミアと思われてきた都市の起源説を覆す可能性」ノートルダム清心女子大学などがトルコ古代遺跡の調査結果を発表 https://news.yahoo.co.jp/articles/abb40c65868a314e30b8938c40fee3a153ff3ab6 ノートルダム清心女子大学などが発掘を進めてきた古代トルコの遺跡の調査報告が行われました。従来、メソポタミアと思われてきた都市の起源説を覆す可能性が報告されています。ノートルダム清心女子大学や岡山大学などで作る研究グループが調査開始から15年の節目を迎えたことを受けて発表したものです。 報告会ではトルコ中部高原にあるキュルテペ遺跡の発掘で2021年に紀元前3300年前後のものと見られる大規模な建築の跡を発見したことが紹介されました。 (岡山大学 山口雄治助教授) 「これが壁がジグザグになっているのが大きなポイント。上に穴が開いているのがそれに伴う部屋がある初めてのタイプの大規模遺構」 従来、都市の起源はメソポタミアと考えられて来ましたが、今回の発見は同じ時期にトルコにも巨大都市があった可能性を示唆しているといいます。 (ノートルダム清心女子大学 紺谷亮一教授) 「今までは都市の発生というのはメソポタミアが起源だと。そこは農業を基盤にしたものが都市だと規定されていた。もしキュルテペ遺跡が都市の出現のひとつであるとしたら、バックグラウンドは農耕ではなくて交易」 周辺では鉱山跡とみられる遺跡も見つかっていて、希少鉱物の交易で都市が発展した可能性もあるといいます。研究チームは8月からさらなる発掘調査を行い遺跡の解明を続けたいとしています。 死者の埋葬って腐敗臭に肉食獣が寄ってくるからだよね 定住するなら生活圏から遠ざけないと 仁徳天皇陵の墳丘は半分が崩壊 初のレーザー測量で分かった地震の傷跡 https://www.sankei.com/article/20230726-V54VKDPYERKIVHIUA34MPBOOXE/ 国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)を宮内庁が初めてレーザーで測量した。歴史教科書では優美な前方後円墳の姿が知られるが、最新の科学の目で見ると、墳丘の半分ほどが地滑りで大規模に崩壊。すぐ西側には上町断層帯が南北に走り、地震が原因とみられる。後円部の斜面には地滑り被害の後に設けられた正体不明の円形の小道があり、頂上部には石室を囲む江戸時代以降の石柵もレーザーで確認された。一枚のレーザー測量図から、古墳築造以降1600年の歴史が見えてくる。 8月28日午前3時39分に何かあったの?(´・ω・`) youtu.be/C1UnMU13cbY?si=9b9-I4prawbE18Qr?t=8m13s 古代メソポタミアの遺跡から、2メートルを超える人物の彫刻が発見。「この時代で最も写実的」 トルコ南東部にあるカラハン・テペ遺跡から、2メートルを超える人物の彫像が発見された。専門家らは、この彫刻が聖書に関連する可能性があるものだとしている。 古代メソポタミアの遺跡から、2メートルを超える人物の彫刻が発見。「この時代で最も写実的」 TEXT BYFRANCESCA ATON トルコ南東部にあるカラハン・テペ遺跡から、2メートルを超える人物の彫像が発見された。専門家らは、この彫刻が聖書に関連する可能性があるものだとしている。 トルコ、カラハン・テペ遺跡で発見された人物の彫刻。 Photo:The Turkish Ministry of Culture And Tourism カラハン・テペ遺跡で発掘された人物の彫像は、肋骨、背骨、肩の骨、リアルな表情が描かれているのが特徴で、発掘を監督したトルコ文化観光局は「この時代で最も写実的な彫刻のひとつ」と称している。この遺跡は紀元前9400年頃のものであることから、この種の人間の像としてはこれまで発見された中で最古のものだと推測される。 上メソポタミア地方に位置し、古代の農村集落があるカラハン・テペ遺跡は、古代都市ウルと考えられているシャンルウルファ市の東約60キロメートルに位置している。この都市は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に登場する「信仰の父」アブラハムの生誕地と考えられており、3つの宗教の間では聖地とされている。 近くのギョベクリ・テペ遺跡では、H字型のシンボル、三日月、2匹のヘビ、3人の人間の顔(または仮面)で飾られたベンチの上で石灰岩で出来た等身大のイノシシ像が発見された。像の表面には赤、白、黒の顔料が残されており、この時代の彫像としては初めての特徴となる。 1963年、イスタンブールとシカゴの大学による共同調査でギョベクリ・テペ遺跡が発見され、1995年に発掘が始まった。この遺跡の巨石群は、イギリスのストーンヘンジよりも約6000年も前に作られたと考えられている。 ギョベクリ・テペ遺跡は、聖書のノアの記述に関連していると信じられており、紀元前9600年に遡る、最も古く、最も大きな信仰の中心地となっている。 https://artnewsjapan.com/article/1716 一昨日のNHKの番組見ると縄文人は再現モデルよりもっと黒人寄りだったんだろうな 一昨日のNHKの番組見ると縄文人は復元モデルよりもっと黒人寄りだったんだろうな 考古学興味あるなら、たまに募集している発掘作業に応募すべきよ。土方メインだけど 両刃や鋤簾作業なら土器ど遭遇する機会多し!。定年超えのおっちゃんやおばちゃんと 駄弁しながら掘れる人材貴重や! 日本人の祖先、と聞いてどんなイメージを持つでしょうか? 実は東南アジアのタイの奥地に暮らすある少数民族が、“最初の日本人”の「親戚」とも言える存在であることが近年のDNA解析から分かりました。 今回、日本のメディアとして初めて接触することに成功したその民族とは? その民族の名は「マニ族」 タイ南部、マレーシアとの国境近くに位置するパッタルン県 マニ族はその山間の奥深くに住み、現地で“森の民”と呼ばれています。 数千年にわたり、外部との接触を絶ってきたと考えられています。しかし、森で食料が取れなくなったため、4年ほど前に山の近くの村におりてきて、現代文明と関わりを持ち始めたといいます。 私たちは、マニ族を少数民族として保護する政策を取っているタイ政府の許可を得て、今年7月、マニ族に会いに現地に向かいました 800 Meter Disk Seen With Arecibo Radio Telescope, Dec 2023, UFO Sighting News https://youtu.be/4ijYC-E-fCs?si=PmlcbRxjFOs55z28 はやぶさ2が撮影した小惑星リュウグウの画像に巨大エイリアンが!? UFO SIGHTINGS DAILY: Alien Face Found On Asteroid Ryugu By Japanese Probe! Sept 2018, Video, UFO Sighting News. http://www.ufosightingsdaily.com/2018/09/alien-face-found-on-asteroid-ryugu-by.html?m=0 Giant Alien Face On Asteroid Ryugu Found By Japan Probe, Sept 2018, UFO Sighting News. Scott Waring https://youtu.be/MLFLFWXD6j4 ・・・とか、 NASAの火星探査機スピリットが撮影した火星表面の画像に行きだおれたエイリアンが!? UFO SIGHTINGS DAILY: Alien Figure, Faces, Statues, Found Near Mars Spirit Rover, NASA Source, Video, UFO Sighting News. http://www.ufosightingsdaily.com/2018/09/alien-figure-faces-statues-found-near.html?m=0 Alien Figure Found Near Mars Spirit Rover, NASA Source, UFO Sightings Daily. Scott Waring https://youtu.be/pC0GSESrLUk ・・・とか、 大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔が!? Evidence That Grey Aliens Created Hurricane Michael Show Up On Weather Map, Oct 2018, UFO Sighting News. http://www.ufosightingsdaily.com/2018/10/evidence-that-grey-aliens-created.html?m=0 ・・・なんて信憑性皆無で荒唐無稽なネタを乱発したり、 ストリート・ビューで確認できる、街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、 UFO SIGHTINGS DAILY: UFO Over Busy Street In Downtown Manchester, England, UFO Sighting News. http://www.ufosightingsdaily.com/2017/01/ufo-over-busy-street-in-downtown.html?m=0 UFO事件簿: 2017/1/1付 イギリスの街に浮かぶオーブ型UFO!? http://ufojikenbo.blogspot.com/2017/01/201711ufo.html?m=0 それを突っこまれて、恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止していた、 スコット・ウェアリングがどうかしましたか? (* ̄∇ ̄*)ノシ 国指定の史跡になってる古墳って未だに埋葬部分の発掘が許されないらしいな 天皇陵かどうかに関係なく 例えば神戸市の五色塚古墳とか 発掘したら当時の歴史が色々分かるかもしれないのになあ パンデミック条約・国際保健規則改定反対集会デモ行進 令和6年4月13日土 集会、デモどちらかだけの参加もOK デモ,集会ともにお子様連れ大歓迎 9:30-11:30開場9:15参加費2000円 学生無料 うしごめたんす会 牛込箪笥区民ホール 先着400名予約不要 大江戸線「牛込神県坂」A1出口直結 東西線「神楽坂」2番出口より徒歩10分 登壇者 ★井上正康★池田としえ★吉野敏明★林千勝 ★深田萌絵★須藤元気★神谷宗幣★松田学 ★山中泉★及川幸久 ★ポール・ド・ラクビビエ テモ行進出発13時30分予定 集合場所・東池袋中央公園(巣鴨プリズン) コース現在調整中 申込み不要 0121 名無し象は鼻がウナギだ! 2022/08/13(土) 12:09:56.12 チバザ犬もこういう壺ウヨなんやろ?👇 ID:0(121/249 千葉に嫉妬する土人大阪ゴキブリ関西パヨチョンコロは穢多非人部落の産地 ゴキブリはゴキブリらしくガス室で殺処分されとけ 財政破綻カッペ関西ゴキブリはチョンと部落の雑種wカッペとうほぐごと原爆で掃滅されとけ 0121 名無し象は鼻がウナギだ! 2022/08/13(土) 12:09:56.12 チバザ犬もこういう壺ウヨなんやろ?👇 ID:0(121/249 千葉に嫉妬する土人大阪ゴキブリ関西パヨチョンコロは穢多非人部落の産地 ゴキブリはゴキブリらしくガス室で殺処分されとけ 財政破綻カッペ関西ゴキブリはチョンと部落の雑種wカッペとうほぐごと原爆で掃滅されとけ 嫌われ者の血液a型は千葉ザイヌ連呼のとうほぐ雑種の関西チョン=ホビット短小9cm奇形のゴミチョンww 劣悪遺伝子として殺処分しとけww 関東は長茎高身長のb型日本人遺伝子 大谷はb型 県内最古級 旧石器時代の炉跡を普天満宮洞穴遺跡で発見 世紀の大発見となるかもしれません。 宜野湾市にある普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)で、県内最古級とみられる旧石器時代の炉跡(ろあと)などが発見されました。 【写真を見る】県内最古級 旧石器時代の炉跡を普天満宮洞穴遺跡で発見 沖縄国際大学 新里貴之准教授 「琉球列島では3万6000年前くらいから間違いなく人が住んでいて、その後どういう風に生活していたかがまだわかっていないので、そういうものを今後分析できる非常に重要な遺跡のひとつなんだろうと思っています」 「きわめて冷静に話しているつもりなんですけど、実は興奮しています。ものすごく興奮していて」 旧石器時代の遺跡を発見したのは、沖縄国際大学の学生およそ20人が参加する考古学研究室です。 考古学研修室ではおととしから普天満宮洞穴で発掘調査を行っていて、去年8月に県内最古級とみられるおよそ3万1000年前の火をたいた痕跡=炉跡を発見しました。新里准教授によりますと、炉跡から見つかった灰には旧石器時代の人類が食べていた物が含まれている可能性もあるということです。発掘作業を行った学生は…。 社会文化学科3年 中道美海さん 「他の土とは色が違ったので、堀り進めていくほどもっと広範囲に見えてきて。先生たちから、「もしかしたらこれが人が生活していた痕跡かもしれない」と聞いてわくわくしました」 このほか今回の調査ではおよそ1万1000年前の人類の頭蓋骨の一部なども見つかっています。考古学研究室は今回見つかった史料を分析するとともに、ことし8月に炉跡が見つかった場所をより深く堀り進めて、更に古い時代に人類が生活していた痕跡が無いか調べることにしています。 普天満宮洞穴は聖域とされているため、これまで発掘調査が行われてこなかったということなんです。そのため、今回の調査では次々と遺物が見つかっているそうです。3万年以上も前の人類の痕跡…ロマンを感じる今後の調査研究に期待が高まります。 https://news.yahoo.co.jp/articles/88704a50d66f111ced6b18e11cc9698c525c43e4 初代ローマ皇帝アウグストゥスの別荘か、ベズビオ山北麓で遺構発見 東京大など 2024/4/17 17:05 ps://www.sankei.com/article/20240417-H7R4FEQP2FOVVIMYMEAPXETJXE/ 馬鹿の骨頂 日本の解釈 幼稚園並の知能 日本の教科書 馬鹿ニッポンの教科書がこれ この板のにぶさが証明している ひっそしりとした板はオマエラの知能では届かない ひっそしりになっちまった 静かな板はオマエラの知能では無理だと言いたいのだ どれだけ古代人を馬鹿にしてんだ?オマエラが一番馬鹿のくせに 最近不思議だなと思い始めているのは 壁画の多くが真っ暗な洞窟とかピラミッドとか古墳に描かれていることです 真っ暗で見えないのにどういう理由でそんなところに描くのかわからない ピラミッドには松明やランプのような照明の痕跡さえ無いのです 高松塚古墳にも照明はありませんでした >>151 そのマンガさ、教科書ではなく、小学館の学習まんがだからな。 あとさ、ガゾーンってさ、 家族に燃えるゴミ出してきてと頼まれたら、 場所は近くのゴミ集積所を指しているとわからない人なの? 医者にいって発達障害の検査うけなよ。 >>156 お前がバカにしているだろ。「貝がらをすててきてちょうだい」というセリフに対して、どこか指定しなければわからないと思っているお前が、古代の人をバカにしているだろ。 >>160 そういう環境だから永らく保存されて来たとはなぜ考えられない? read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる