坂上田村麻呂とかいう歴史的ヒーロー
坂上田村麻呂と清水寺の関係
坂上田村麻呂と清水寺の関係は、深く複雑な歴史的関わりがあります。一般的には、田村麻呂が清水寺の創建に深く関与した人物として知られています。しかし、近年ではその関係性について様々な議論がされており、単純な善悪二元論で語れるものではないことが明らかになってきています。
田村麻呂と清水寺の創建
清水寺縁起などの伝承によると、田村麻呂は音羽山で修行中の僧侶・賢心と出会い、観音菩薩への信仰心を深めたと言われています。そして、延暦17年(798年)に、桓武天皇の勅願を受けて清水寺を建立したと伝えられています。
しかし、近年では清水寺の創建時期や田村麻呂の関与度について、疑問を投げかける研究も増えています。考古学的な調査結果から、清水寺の創建は8世紀後半ではなく9世紀に入ってからである可能性が高いことが指摘されています。また、田村麻呂が桓武天皇の側近として蝦夷征伐に活躍していた時期と、清水寺創建時期が重ならないことも問題視されています。
田村麻呂と清水寺のその後
田村麻呂は清水寺の創建後も、清水寺と深い関わりを持ち続けたと考えられています。例えば、田村麻呂は清水寺に多くの土地や財産を寄進しており、また、自身の子息を清水寺の僧侶としたという記録も残されています。
田村麻呂の死後も、彼の功績を称えるために清水寺では様々な行事が行われてきました。例えば、毎年9月12日に行われる「田村祭り」は、田村麻呂の命日に合わせて行われる法要です。