この板では何度も言ってるが東京芸術大学の美術学部はもともと
東京帝国大学の工学部の前身から分離したものだった。なぜ
工学部なのか?それは明治の人間が西洋画とは数学と工学の一分野だとちゃんと
見抜いていたからだ。だけどどういうわけか西洋の図学製図は「文化」枠に入れられて
しまう。そしてその西洋の「文化」を学ぶために美術学部ができるように
なった。本流の欧米は油の媒体から写真媒体、そして電子媒体へと順調に
進化していってるが、日本の場合油の媒体で終わっている。だから価値がない。
田舎者が都会の習俗を真似るようにいつまでもモノマネと追随から抜け出せない。
油絵なんてもはや死学。