>>243
悲惨さを強調する事で、交戦意識を高めるこれはプロパガンダの基本です。

藤田に戦争画を依頼したのは、谷萩那華雄陸軍大本営宣伝部長ですが、谷萩は
上野の国民総力決戦美術展で藤田のアッツ島玉砕が発表される前の、玉砕を伝える大本営発表の直ぐ後
アッツ島の血戦についてと言う番組でアッツ島の戦闘がいかに悲惨で、その悲惨な中敵に数倍の損害を与え
玉砕した兵士を誉め讃え、国民に後に続く様に鼓舞しています。
この放送内容を基に谷萩が依頼して、そのまま藤田のアッツ島玉砕に成ったのです。
谷萩の放送を基に作られたアッツ島血戦勇士顕彰国民歌でも、
/火砲はすべて摧け飛び、僅かに銃剣、手(て)榴弾、寄せ来る敵と相搏ちて、血汐は花と雪に染む
/他に策なきにあらねども、武名はやはか穢すべき、傷病兵は自決して、魂魄ともに戦へり
等と、絵画と同じ内容が描かれています。

この時代の情報は色々揃ってるので、あなたが幾ら妄想で適当な事を書いてもすぐに本当の事は分かります。